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拾壱【8月10日・午後1時24分】


 互いの自己紹介もそこそこに、僕は使用人の仕事内容を聞いていた。

 今まで力仕事をしていた渡辺さんに加え、僕が入ったのだから、畑仕事をして欲しいといった内容だった。


「畑仕事は楽しいですよ。自然と一体になったって感じですからね」

「そうですね。それに色々な野菜がありますからね」


 僕がそう云うと、全員が不思議そうな顔をする。

 云うまでもないが、僕を知ってる人はいない。みんな初対面だ。

 だから農園にどんな野菜があるのか、直接其処に行った人でないと知る由もない。


「いや、此処に来る前に色々調べたんですよ。屋敷には大きな農園があるって」


 そう云うと、何人かが納得してくれた。

 突然襖が開く音がし、全員が其方を向いた。

 襖は小さく開かれ、襖半分が開き、そして全体が開く。


「お待ちしておりました。瀬川様……」


 襖を開いたのは鹿波さんで、僕に挨拶をしたのは霧絵さんだった。


「この度は暑い中、こんな山奥まで来て頂き、本当にありがとうございます。私がとう耶麻神……、いいえ、夫の姓を名乗らせてもらいます」


 そう云うと、渡辺さんが驚く。


「ちょっと待ってください! 貴女は戸籍上、“耶麻神”なのですよ」

「はい。戸籍上は……ですが――」


 霧絵さんは一瞬鹿波さんを見遣り、再び僕達を見ながら……


「私は太田大聖の妻。そして、この屋敷の主にございます」


 そう云うと、深々と頭を下げた。


「霧絵さん、何を申しますか! 旦那様を差し置いて! それに旦那様は放浪癖のある方。何処いずこへ行かれたのか、わからないのですぞ!」


 渡辺さんが妙に狼狽する。


「いえ、大聖さんは先日、亡くなりました」


 霧絵さんの言葉で広間の中には冷たい空気が漂い始めた。


「亡くなった? 何を証拠に」

「先日の七日、岐阜の刀鍛冶が何者かに殺されました。その近くに大聖さんと思われる死体があったんです」

「母さん、冬歌と秋音がいるのよ!」


 深夏さんがそう云うと、鹿波さんが途端鋭い目つきで、「だからこそです。それに亡くなったと言う事を隠すのは酷だと思いますよ」

 そう云われ、深夏さんは秋音ちゃんと冬歌ちゃんを見たが、以外にも二人はジッと話を聞いている感じだった。

 まるでこうなることを知っていたかのように……。


「それにしても、なんですか? 気が狂ったことを……」


 渡辺さんが呆れた口調で言葉を発する。


「今日は新しい使用人が来てるんです。ですが、彼はこの耶麻神の事を知らない……いや、全く知らない」

「いいえ、少なくとも“正樹”さんは私たちと関係しています」


 ジッと僕を見ながら、霧絵さんはハッキリと云った。


「それは私の“弟”だから?」


 春那さんが不安そうに訊ねる。というか、弟ってどういうことだ?


「それもあるわ…… でも、春那と正樹さんは血が半分しか繋がっていない姉弟」


 霧絵さんにそう云われ、春那さんは僕を一瞥する。

 僕はあの夢とも現実とも取れない世界で見た写真の中に、親父がいた事を思い出す。

 その近くに写っていた女性は全くもって知らない人だった。

 だから、春那さんとは半分しか血が繋がっていないと云う事だろう。

 霧絵さんの話だと、写真に写っていた赤ん坊は春那さんのようだけど、全く持って実感がない。

 それに僕は耶麻神とは一切関係ないはずだ。


「母さんはお父さんが死んでたことを知ってたんだね? それをずっと隠してた……」


 秋音ちゃんがそう云うと、霧絵さんは隠すわけでもなくハッキリと頷いた。

 秋音ちゃんは少しばかり俯くと、次第に肩を震わせ、


「あああああああああああああああああああああああ……」


 慟哭が鳴り響く。お父さん子である秋音ちゃんが嘆き苦しむのも無理は無い。


「それにしても、どうしてそんな話をするんですか?」


 渡辺さんがそう尋ねると「みんなに心の整理をしてほしいからです」

 と、霧絵さんは答える。


「それが“耶麻神”の主がする事ですか?」


 渡辺さんは憤りを露にしながらも、仕事があるからと言い、広間を出ようとする。


「ここに……この屋敷に“耶麻神”と名乗れる人間はいません……」


 そう霧絵さんが発すると、秋音ちゃんの下に歩み寄り、優しく頭を撫でる。


「ごめんなさい、秋音。お母さんも大聖さんが亡くなった事を知ったのは昨夜なの。すぐに云えばよかったのに……ごめんなさい」


 霧絵さんが謝ると、秋音ちゃんは頭を振る。


「ううん。お母さんは私たちを思って云ってくれたんだよね?」


 確認するように秋音ちゃんが云うと、霧絵さんは頷いた。

 小さく渡辺さんが何かを呟くが、その声は誰にも聞かれなかったのだろう……。

 ただ一人、険しい顔をしながら、渡辺さんの後姿を見ていた鹿波さんを除いては……。


「すみません正樹さん。突然こんな話をしてしまって」

 霧絵さんが僕に麦茶を注ぎながら謝りを云う。


「母さんは前から瀬川さんの事知ってたの?」

「ええ。一度私と大聖さんは瀬川さんに会ってるの……」


 僕はそれを聞いて驚いた。

 何故なら、僕は霧絵さんにあった記憶が無いからだ。


「あ、そういえば…… ここに来る途中、山道で人にすれ違ったんですけど、霧絵さんによろしくと云ってましたよ」


 僕は思い出しながら、霧絵さんに伝えた。

 ――が、驚いた表情で僕を見直す。


「ちょっと、瀬川さん? この山はある程度の高さがありますから、この山に登ってくる人は事前に区役所から連絡が来るんです。いくら一本道の車が通れるほどの緩やかな山道でも、それはこの屋敷に入るまでで、山頂には険しい道を通らないといけないんですよ。それに、今日は瀬川さん以外誰も来てないんです」

「そうか、目の前から下ってきてたから、てっきり登った後かと」


 僕がそう云うと、“どんな人だったんですか?”と春那さんが問いかける。


「えっと、ちょっとおじいさんみたいな人でしたね……。ただ、汗をかいてなかった事ですかね」

「それはいくらなんでもないですよ。ここは雪が多く降る地域ですけど、夏は平気で30度を超えますから、汗はかきますよ」


 そう澪さんが言う。

 確かに駅に着いたときの蒸し暑さは異常なほどの暑さだった。


「それに若しかしたら、その人は汗をかき難い人だったんじゃないですかね?」


 繭さんの云う通り、そうなのだろうと納得も出切る。


「あれ、春那姉さんどうしたの?」


 お茶を飲む訳でもなく、ぼーと湯飲みを見ている春那さんに、深夏さんが呼びかける。


「え? あ、ごめん……」

「若しかして、自分の弟が目の前にいて緊張してるとか?」


 深夏さんが揶揄からかうようにそう云うと、「私はこれから貴女達に“さん付け”で呼ばれるのかなって思ってただけよ」


 そう云うと、少しばかりお茶を飲む。


「は? 何云ってるの? 姉さんは姉さんでしょ?」


 深夏さんが呆れたといった感じの表情で聞き返す。


「でも、私たちは血が繋がっていない……」

「そんなの関係ないでしょ。別に血が繋がってなくても“姉”とか云ってる人一杯いるわよ? いろんな意味で……」


 深夏さんがそう云うと、近くで聞いていた冬歌ちゃんがキョトンとする。

 秋音ちゃんは意味がわかったらしく、俯いていた。


「春那…… 確か貴女は三月生まれだったわね?」


 霧絵さんはそう問うと、春那さんは頷いた。


「だったら、貴女の誕生石は“藍玉アクアマリン”」

「確か、“藍玉アクアマリン”の宝石言葉は…… “人との繋がり”」

「それは宝石として考えた場合で、今は誕生石として考えましょ」


 霧絵さんはそう云うと「誕生石での“藍玉アクアマリン”は沈着と聡明。そして勇敢」

「私はそんなに強くないよ」


 春那さんが俯いたまま抗議する。


「でも貴女は四年前の事件から、立派に旅館を建て直してる」

「それはいろんな人が私のために……」

「それが“藍玉アクアマリン”の持つ力。そして、貴女は慌てる様子も無く冷静に判断し、そして勇敢に立ち向かった。若し、役員の言うことを素直に聞いていたら、耶麻神旅館は潰れていたのかもしれません」

「ちょっと待って? 四年前の事件が耶麻神を潰す為だったとしたら、どうしてあんな事故を起こしたの?」

「まだ社長として不安要素があった春那だから、大きな事件を起こせば動揺すると思ったんでしょうね。でも、貴女は決して動揺しなかった」


 霧絵さんはそう云うと、スッと立ち上がり……

「私はこの場を置いて“耶麻神”という名を捨てます。いいえ元々勘当されていた身ですから、可笑しい感じがしますけどね……」


 それはまるで、大きな籠の中から漸く飛び立とうとしている鳥のような感じだった。


「これからの旅館を切り盛りするのは春那の仕事です。ですが、それを決して一人でしないように」


 霧絵さんは深夏さんや秋音ちゃんを一瞥すると「貴女達もまだまだ未熟な“姉”を支えてあげてください」


 そう云われ、二人はどうしたものかと云った感じだった。


「それと…… 私の事を“お母さん”と云ってくれますか?」


 確認するように二人に訊くと、「いや、だから、お母さんはお母さんでしょ? だって、私たちを育ててくれたのは、お母さんなんだから」


 そう当たり前のことを今さら確認するのは億劫だと云った感じに、深夏さんがそう答えた。

 秋音ちゃんも同意見なのだろう。


「ありがとう」


 そう霧絵さんは云うと、広間から出て行った。

 その時に見せた霧絵さんの表情は、心のそこから笑みを浮かべていたのと、もう会う事が出来ないといった複雑な表情だと思ったのは僕の錯覚だろうか……。


「澪さん、今日は色々有りましたね……」


 春那さんにそう尋ねられ、澪さんは頷いた。


「久しぶりですね。こんなに幸せだって思えるのも……これで修平さんがいてくれたら……」

「香坂さんですか? 全くあの男は何処に行ったんだか」


 澪さんは呆れた口調でそう云う。


「瀬川さん…… 私は自分が貴方の姉である自覚はありませんし、姉と名乗る気は毛頭有りません」

「いや、僕も突然云われて気持ちの整理は出来てませんけど…… 僕も春那さんの弟という自覚は最初から無いですよ」

「えっと? それって、可笑しくない?」


 僕と春那さんのあいだをわって入ってきた冬歌ちゃんがそう云う。


「どうして?」

「だって、春那お姉ちゃんと正樹お兄ちゃんは姉弟なんだよね?」

「冬歌、二人には事情があるの」


 深夏さんがそう冬歌ちゃんを宥めるが、疑問に思ったことをやんわりと隠されたことが腑に落ちなかったらしい。

 執拗に質問をしていたか、数分経った頃には興味がなくなっていた。


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