第20話「王子の動揺」
ディートリヒ・フォン・クローネは、中庭の噴水の前に立っていた。
王宮の中庭を私に使わせるわけにはいかないから、と彼が指定したのは領主館の裏庭だった。噴水は枯れていて、苔むした石の鉢から乾いた風だけが吹き上がっている。
第一王子の顔は、断罪の日とは別人のようだった。あの日の彼は正義の化身だった。揺るぎなく、冷たく、私を裁いた。今の彼は——目の下に隈があり、軍服の襟元が僅かに乱れている。
「話がある、とのことでしたが」
私が口を開くより先に、ディートリヒが言った。
「俺のほうからも話がある」
噴水の石縁に片手を置いた彼の指先が、白く力んでいる。苔の湿った感触を握り潰すように。
「マリオネット家の血統について調べた。フィル家との契約についても」
息を飲んだ。私が説明するまでもなく、この人は自力で辿り着いたのだ。
「器の制度。人形師の糸。百年以上続いている」
ディートリヒの声は平坦だったが、それは感情を殺しているのだと分かった。王族はそういう訓練を受ける。
「それが本当なら——」
彼の声がふいに揺れた。
「俺は、人形を断罪していたのか」
風が止んだ。噴水の乾いた鉢の中で、枯葉が一枚だけ音を立てて動いた。
「自分の意志で罪を犯した者を裁くのが断罪だ。意志がなかった者を裁いたのなら、それは——」
言葉が途切れる。ディートリヒの顎が強張り、喉仏が上下する。飲み込もうとしているのだ。自分の失態を。
私は黙っていた。ここで何を言っても言い訳になる。被害者の私が加害者に慰めの言葉をかけるのは、構造が歪んでいる。
「証拠はあるのか」
「家系図に記録があります。フィル家の管理者名と契約年が」
「それだけか」
「母が——認めました。自分も操られていたと」
ディートリヒが目を閉じた。長い睫毛の影が頬に落ちる。王族の端正な顔立ちが、苦悩によってようやく人間の顔に見えた。
「知らなかった。調べもしなかった」
声が硬い。自分を責めている声。
「断罪の前にお前の家のことを精査すべきだった。被害の申告だけで裁いた。俺は——」
「殿下」
私が遮った。喉の奥で糸がぴくりと動く。クロードは聞いている。この会話を、どこかで聞いている気がする。でも構わない。
「あなたが裁いたオフィーリア・マリオネットは、確かにセシリアさんを虐めていました。それは事実です」
「だが、お前の意志じゃなかっただろう」
「意志がなかったとしても——この体がやりました」
ディートリヒが目を開けた。紺碧の瞳が、初めて私を「裁く対象」ではなく「一人の人間」として見ている気がした。
「……難しいな」
その一言に、感情が凝縮されていた。正義を信じて裁いた者が、正義の前提を崩されたときの、行き場のない苛立ちと後悔。
「俺に何ができる」
「まだ分かりません。でも——フィル家の糸が存在することを、王家として認知してほしいのです」
ディートリヒは噴水の石縁から手を離した。苔の欠片が指に残っている。彼はそれを見つめて、小さく息を吐いた。
「分かった。調べさせる」
踵を返しかけて、立ち止まる。
「もう一つ聞く。お前を操っている人形師は——今もお前を操れるのか」
背筋に糸の冷たさが走った。質問に答える前に、体が答えを出していた。右手の薬指が、ほんの僅かに動く。私の意志ではなく。
「——はい。今も」
ディートリヒの表情が凍った。
乾いた噴水の鉢の中で、枯葉がもう一枚、風もないのに動いた。




