第ニ話:婚約翌日に馬車五台分の贈り物。……これ、もしかして「責任」という名の嫌がらせですか?
「はぁ……」
翌朝。離宮の私室で身支度を整えられながら、私は鏡の前で本日何度目かわからない深いため息をついた。
「あら、ユーフェミア殿下。朝からため息ばかりですね。せっかくお肌のツヤはよろしいのに」
「あ……ええ。ちょっと、困ったことになったのよね」
のんきに微笑む侍女に苦笑を返しつつ、私は昨夜の狂騒を思い返して頭を抱えたかった。
あの後、お父様とお兄様たちの恐ろしいほどの手回しにより、私とギルベルト様の婚約は口を挟む間もなく決定事項となってしまったのだ。
ギルベルト・フォン・レオンハルト辺境伯。
先の戦争で多大な功績を挙げた若き英雄であり、次期国王であるヴィンセントお兄様すら一目置く実力者。
おまけに、あの見惚れるような美貌だ。令嬢たちから引く手あまたな完璧な騎士様が、なぜか『事故キスの責任をとる』の一点張りで引かないのである。
(あんな優秀な方が、私みたいな取り柄のない第三王女と婚約してくださるなんて、本当に申し訳ないわ……)
私にあるのは、植物の生育をほんの少し助ける『緑の手』だけ。彼ほどの英雄の隣に立つには、あまりにも不釣り合いだ。
(やっぱり、彼が冷静になったら、王族への不敬を問われない形で婚約破棄できる方法を探さなきゃ……)
己の価値の低さに本気で頭を悩ませていた、その時だった。
「ユ、ユーフェミア殿下! 大変でございます!!」
普段は冷静なはずの初老の執事が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「どうしたの? 珍しいわね、あなたがそんなに慌てているなんて」
「そ、それが、先程離宮の中庭に、商人の馬車団が参りまして……!」
「馬車団? 頼んだ覚えはないけれど」
「はい……っ、オズワルド商会の店主が直々に参りまして、その、殿下へのお届け物だと」
「ええ? 私宛の届け物なら、受け取って後で部屋に運んでおいてちょうだい」
「そ、それが……量が、量でして……!」
執事が震える指で窓の外を指さした。
嫌な予感がして、私が急いで窓辺に駆け寄り、眼下の中庭を見下ろすと――。
「えっ……?」
そこには、広大な離宮の庭を埋め尽くさんばかりの、大型馬車が五台も連なっていた。
そして、その馬車の荷台からは次々と、高級なシルクのドレス、意匠を凝らした宝石箱、珍しい異国の分厚い本、そしてなぜか最新の農具まで、目も眩むような品物が運び出されているではないか。
「えっ? ……ええええええっ!?」
「ギ、ギルベルト辺境伯閣下からの、婚約の贈り物だそうです! オズワルド商会が総力を挙げて、一晩でかき集めてきたと……!」
いや、いくらなんでも一晩で馬車五台分は無理がある。
真実は、ギルベルト様が『いつか愛しの女神に贈るため』にと、何年も前から密かに買い集めては秘密の倉庫に溜め込んでいた品々が一気に放出された結果なのだが、この時は、そんな恐ろしい裏事情など知る由もない私は、ただただ顔を引きつらせるしかなかった。
馬車の横では、恰幅の良いオズワルド商会の店主が、滝のような汗をハンカチで拭いながら「か、閣下のご要望通り、今朝一番で全て運び込みましたぞ……!」と天を仰いでいる。
「な、なんでこんなに!? やっぱり、彼ほどの英雄に『責任』をとらせてしまったから、無駄に気を遣わせてしまっているのね……!」
「……殿下。これは気遣いという次元をとうに超えているかと……」
侍女の的確なツッコミも、混乱の極みにある私の耳には届かなかった。
「これ、一体、どうすればいいの……?」
離宮で一番広い応接室にみっちりと積み上げられた、大小様々な化粧箱や木箱の山。
使用人たちが総出で運び込んでくれたものの、もはや足の踏み場すら怪しい。天井に届きそうな箱のタワーを前に、私だけでなく、歴戦の執事や侍女たちまでもが呆然と立ち尽くしていた。
「殿下……中身の目録だけで、辞書のような分厚さになっております……」
「そう……ごめんなさいね、私の不手際のせいで、みんなにこんな苦労を……」
「い、いえ! そういう意味では!」
私が本気で頭を抱え、どうやってこの「責任(という名の物理的圧力)」から逃れようかと真剣に思案していた、その時だった。
「――ユーフェミア殿下、おはようございます」
鼓膜を甘くくすぐるような声。
振り返ると、開け放たれた扉の前に、昨晩の銀甲冑とは打って変わって、上質な濃紺のフロックコートを完璧に着こなしたギルベルト様が立っていた。
(ひっ、き、きたわ……っ!)
ただでさえ見目麗しいのに、洗練された装いの彼は、朝の光を浴びて眩しいほどのオーラを放っている。
しかし、その彼の背後の背景が『馬車五台分の箱の山』であるせいで、なんとも言えないシュールな空間が出来上がっていた。
ギルベルト様は部屋の惨状……もとい、積み上げられた愛の結晶を一瞥すると、ふっと爽やかな、それこそ一枚の宗教画のように美しい微笑みを浮かべた。
「おや、早いな。オズワルドはもう贈り物を運び終わったのか」
「…………はい?」
「手際が良いのは彼の長所ですね。貴女の美しい朝の時間を邪魔せずに済んで何よりです」
(い、いや、物理的に空間をめちゃくちゃ邪魔してるんですけど!?)
私の内心の絶叫など露知らず、彼は長い脚で優雅に箱の山を避け――なぜか、どこに何が置かれているか完全に把握しているかのように一切つまずくことなく――私の目の前まで真っ直ぐに歩み寄ってきた。
そして、ごく自然な動作で私の手を取ると、その甲にチュッと、羽が触れるような挨拶の口付けを落とす。
「昨晩はよく眠れましたか、私の愛しい婚約者殿。本日は、貴女を王都で一番美しい庭園へエスコートしたく、お迎えに上がりました」
「えっ、エスコート……!?」
「ええ。もちろん、ここに用意したドレスや装飾品の中から、お好きなものをお召しになってからで構いませんよ。すべて、貴女の瞳と髪の色に一番似合うものを見繕いましたから」
さらりと告げられた事実に、私は戦慄した。
(一晩でかき集めたはずなのに、全部私のサイズと好みに合わせてあるの!? ギルベルト様、どれだけ有能なの……っ!?)
いや、有能な英雄だからこそ、これくらい朝飯前なのだろう。
ますます「私なんかには勿体ない、完璧すぎる騎士様だわ」とコンプレックスを刺激され、私は引きつった笑顔を返すことしかできなかった。
「そうですね。今日お召しになるのでしたら……あの紺色のリボンがかかった箱と、その下にある平たい箱。あ、あと、その辺りの小さな箱を見ていただけたらよろしいかと」
淀みなく、ギルベルト様が迷いの一切ない動作で箱の山の一部を指差した。
それに従い、従僕たちが箱の雪崩が起きないよう細心の注意を払いながら、指定された箱を取り出していく。
「あら、本当ですわ!」
箱の蓋を開けた侍女が、感嘆の声を上げた。
中から現れたのは、私のハニーブロンドの髪にひどく映えそうな、柔らかい若草色の良い仕立ての新作ドレス。そして、それに完璧に計算されたように合わせた華奢なアクセサリーと、歩きやすそうな可愛らしい靴が、次々と箱から出されていく。
「まぁ……! 素晴らしいセンスですこと!」
「さすがは辺境伯閣下でございますね」
侍女や使用人たちが頬を染めてうっとりとしている中で、私だけがサァッ……と血の気を引かせていた。
(ちょっと待って……? ギルベルト様、この山のような箱の中身を、全部おわかりなのかしら……!?)
いくら有能な彼とはいえ、一晩で商人がランダムにかき集めてきた品物の配置や中身を、外箱を見ただけで正確に把握できるはずがない。
となると、導き出される答えは一つ。
これらはオズワルド商会の店頭から運ばれてきたのではなく、あらかじめ『ギルベルト様ご自身が中身を厳選し、どこかの屋敷に保管していたもの』がそっくりそのまま運び込まれたということだ。
(い、いつから準備していたの!? というか、どうして私の今のサイズにピッタリなのよ!?)
背筋を駆け抜けた戦慄に私が震えていると、ギルベルト様はクスリと優雅に微笑んだ。
「さあ、お支度を。最高に美しい貴女をエスコートできる喜びで、私は今にも気が狂ってしまいそうですから」
(もう狂ってるわ!!)
私の内心の絶叫は、うっとりとしたため息を漏らす使用人たちの声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。




