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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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【短編】まとめ

どうかこのワンナイトだけは許してください

いつもお読みいただきありがとうございます!

 とうとう、やってしまった。

 お酒の力を借りまくって。


 こんなことをしてしまったのは、彼がどこかの、ナントカ家のニャントカ令嬢と婚約するかもしれないという噂を飲み会の席で聞いてしまったからだ。

 昨夜の私はどうかしていた。でなきゃ、酔っぱらって好きな人とワンナイトになんて持ち込まない。


 差し込む朝陽で目覚めた私は、隣に眠る自分よりもよっぽど綺麗な男性を見て、次に上掛けをめくって自分の状態を確認してから虚しさを覚えた。


 昨夜の飲み会ではよく飲んだ。これはいつも通りである。

 鼻歌を歌いながら職員寮に戻ろうとしていたら、ばったり彼に会ったのだ。

 あの時間にあの場所で偶然会ったのがいけない。彼が婚約するかもという話を聞いた後だったし。

 ほら、偶然って運命みたいでロマンチックじゃない?


 いえ、嘘です。誰に謝ったらいいのか分からないけどごめんなさい。

 彼の家が近いと分かっていて、私は敢えて遠回りになるのにあの道を歩きました。お酒に酔っていてもあの道を選びました、もう本能です。

 嘘をついてすみません、懺悔します。

 あ、そうか、神様に運命を偽ったことを謝ればいいのか。


 懺悔を続けます。

 まるでストーカーのようですけれども、はい。

 でもでも、人間誰しも一度くらいはあると思うんです。

 好きな人が残業しているから少しでも会えないだろうかと帰る時間をモダモダと遅らせてみたり、この辺りに彼の行きつけの店があるから敢えてその道を通るように遠回りして帰ってみたりすることってありますよ、うん。ありますよね?


 別にいいじゃない。ストーカーみたいだけれど、誰にも迷惑はかけてないんだから。

 私は彼に告白する気も、どうにかなる気もない。

 ただ、一方的に好きだっただけ。



 エルナン・ウィンズレッド。

 学園時代から私がずっと片思いしている相手だ。

 告白なんてしようとも思わない。だって彼は三男といえウィンズレッド公爵家の子息で、私は魔力が多いだけのただの平民だ。


 十三歳の時に流行病で両親を亡くし、一時的に教会で預かられた際に魔力がかなり多いことが分かった。私の魔力量は高位貴族並みだったのだ。平民でここまで魔力があるのは珍しいと、神父やシスターたちが王都に連絡を取ってくれて、国から奨学金をもらえることになり、王都の学園というものに行かせてもらえることになったのだ。


 魔力が多くなかったら、この国で親のいない私の行き先は娼館か劣悪な職場くらいだっただろう。


 背水の陣、もとい陣の向こうには娼館と劣悪な職場しか見えない私は、学園で必死に勉強した。

 私は水魔法が使えた。

 魔法が使えるといっても、皆一属性しか魔法が使えないのが普通だ。王族で稀に二属性使える人が生まれてお祭り騒ぎになるほど、複数属性は珍しい。


 奨学金で学園に入り、私はエルナン・ウィンズレッドに会った。

 彼は火魔法が使える人だったが、魔力が豊富過ぎて火力の調整ができていなかった。弱い火だったら問題なかったが、ほとんどの場合、彼の魔法で火事になりかける。

 そして白羽の矢が立ったのが、魔力が多くて水魔法が使える私であった。


 要は本物の火消し係だ。

 魔法実習で彼が失敗すれば大量の水を出して消火し、被害を最小限でとどめるありがたいお役目である。学園側が「大変だろうから」と食堂利用をいつでも無料にしてくれたのが大変ありがたかった。


 エルナンはサラサラの銀髪にグリーンの目で大変綺麗でカッコいい人だったが、目力鋭く大変ツンケンした人でもあった。

 魔法操作がうまくいっていなかったのがツンケンの要因である。

 クラスの他の生徒たちがどんどん上達していってるのに、一人だけ私に消火されているのだ。高位貴族でプライドも高かっただろうし、落ち込むだろう。


 私はそんな勢い余った彼の魔法の炎を消火して消火して消火して消火して消火しているうちに、魔法操作は大変うまくなり、実技はクラスでトップになれた。花壇のちょっとした水やりから水不足の田畑に大雨降らすくらいの水供給まで何でもござれである。


 消火しまくっているうちにエルナンとはそこそこ喋るようになっていたが、私が消火係であるうちは、彼との間にははっきりとした境界線があった。

 その境界線が薄くなったのは、彼が私の課題のレポートを助けてくれてからだ。


 ベタだって? いいじゃない。学園だからベタでいいの。

 私だって本を取ろうとして手が触れるなんていうベッタベタな展開が良かった。


 思い返してみれば、あれは平民の私がエルナンの側にいることをやっかんだ生徒による嫌がらせだったのだろう。「なんだか臭いわね」などとすれ違いざまに言われることはよくあったが、レポートを隠されるなんてことはあれっきりだ。


 提出したはずの超苦手科目のレポートが私だけ提出されていないと教師に薄く笑って言われ、頭が真っ白になった。

 その教師にもちょっとばかり問題があったと思う。

 平民と下級貴族には当たりが強く、高位貴族に対しては甘い態度を取る教師だったから。

 明日までに提出しないと単位はやらないと言われ、私は半泣き状態で授業後から図書室に居座ってレポートを仕上げていた。

 超苦手科目だったからレポートの下書き内容は取っていたが、如何せん枚数が多い。そして、出したはずのレポートを未提出扱いされて皆の前で笑われたストレスで私は半泣きだった。


 しっかりしなさいよ、トリシャ。

 十三歳で親が亡くなった時が人生で一番不幸だったはず。

 今は全然不幸じゃないんだから、泣いている場合ではない。

 毎日学園の食堂でタダ飯を食べられているんだし。娼館にも売られないで勉強していられるんだし、学園をいい成績で卒業したらお給料のいい職場に就職しやすいんだから。

 たかがハゲ教師に笑われたくらい、何よ。


 しかし単位を落とすと留年で、奨学金も打ち切られるのだ。

 このレポートができなかったら、学費なんて自分で払えないから娼館か劣悪な職場行きだ。もしかしたらこれも提出間際で妨害されるかもしれないし、間に合っているのにあの教師は受け取ってくれずに落第にされるかもしれない。目の前で破られたらどうしよう、もう一部作るには寝ないでやらないと。


 恐怖に震えながらペンを走らせていると、目の前に誰かが来た。

 もう閉館時間だろうか?

 赤くなっているだろう目を気にせず視線を上げると、不機嫌そうなエルナンが立っていた。彼がここにいる意味が分からず私は首を傾げる。


「えっと?」

「貸せ、手伝う」

「え? ふえぇ?」


 アホ丸出しの声を発する私の前にどっかり座ったエルナンは、さらさらと必要な図形とグラフを描いていく。


「えっと、筆跡違ったら文句言われちゃう……」

「だから図形を描いてる」

「あ、はい」


 美形の不機嫌そうな顔というのは威圧感がある。

 火力の調整がうまくできずにいつもこんな顔だから見慣れているはずだが、ストレス過多だったその時の私は彼に圧倒されてそのままレポートの続きを書き始めた。


「で、できた……」


 最後の一文字を書き終えると、すぐさま用紙を奪われて彼が完成したレポートに目を通す。彼は実技で火力が強すぎるのだが、高位貴族なだけあって座学はいつもトップだ。


 サラサラの銀髪が紙をめくるたびに揺れる。グリーンの目が用紙の上をなぞっていく。

 レポートが終わった解放感から、私には彼がいつもよりも数段カッコよく見えた。

 うわぁ、好き。

高揚感でそう思っても仕方がない。レポートハイだ。


「よし、これならいいだろう。行くぞ」

「え、どこに?」

「提出しに」

「先生はもう帰ってるんじゃ……?」

「今日はあいつが当直だ。ついでに面白いものが見られるはずだ」

「あ、なら提出は私一人で行けるから」

「受け取ってないって明日また言われたらどうするんだ。あいつはそういう意地の悪いことをする奴だろ。俺が一緒に行けばウィンズレッド公爵家の威光で証人くらいにはなる」


 公爵家の彼がついて来てくれれば、学園は身分なんて関係ないという建前はあっても、とても強力な証人になってくれるだろう。


「あ、ありがとう。じゃ、じゃあ一緒に行ってくれる?」

「いつも実習で俺としか組めない詫びだ。それに消火してくれる人がいなくなると俺も困る」


 そんなことを気にしていたのか。

 私は毎回実習でペアになる相手が決まっているから楽なのに。


「たまに高いお菓子くれるし、焼き芋もできるし楽しいからいいよ。私も魔力操作うまくなったし、冬はあったかいし」


 魔力操作がうまくいかず彼はイライラしているが、後で申し訳なさそうに高級そうなお菓子を押し付けてくるのだ。

 それに、彼の火で芋を焼くのはとても楽しい。マシュマロだと消し炭になってしまうが、最近の彼の火力は焼き芋に最適なのだ。

 最初に芋を出して焼いて試した時、彼は本気で驚いていた。


「そろそろ焼きリンゴを試してみてもいいかもね」

「なんだ、それ。いつも腹を減らしてるのか」


 エルナンは呆れたように笑うと、私のレポートを持って立ち上がったので彼に続いた。


 件の教師は当直室にいた。

 エルナンの言った面白いものというのは、当直室での不倫だった。

 貴族が多く通う学園でもあるんだね、教師の不倫って。

 そこからはレポート提出どころではなかった。既婚の教師同士が当直室で不倫をしていたのである。


 私のレポートは現場に難しい顔でやって来た学園長が受け取ってくれたが、件の教師の部屋のくず入れから私が最初に提出したはずのレポートが見つかったという事実で、落第を免れた。


「もしかして、知ってたの⁉」

「噂程度だったから手出しできなかったけど、レポート提出に行くっていう理由があればあの場にいても怪しまれないだろ。まぁ、賭けだったけど良かったよ」


 エルナンはまるで分かっていたかのようだった。

 以前学園で気に入らない厳しい教師を解雇させようと、生徒が罪をでっちあげて教師を訴えたこともあったそうだから、悪い噂程度ではなかなか解雇までいかないのだ。


 この件以降、境界線はなくなった気がする。

 私は焼きリンゴも作ったし、エルナンも私が消火するたびに不機嫌そうな顔はしなくなった。「いつも悪いな」とお礼を言ってくれるようになった。


 ストレス状態の時にささっと助けてくれた人を好きになるなという方が難しいだろう。まさか、十四歳で始まった恋が二十二歳の今でも続くとは私も思わなかった。すぐに焦げて消えていくと思っていたのに。


 さて、学園時代の淡い回想に浸っている場合ではない。

 とりあえず、私のエゴに付き合わせてしまったので謝ろう。

 昨夜偶然会って寮まで送ってくれる言った彼に「水が飲みたい」と駄々をこね、彼の家に入らせてもらい、まぁそこからは──ご想像にお任せしたい。よくもまぁ私もあんな大胆なことができたものだ。


 朝起きてエルナンの寝顔を眺めて、胸に満ちるのは喜びだけだと思っていた。現在の気持ちは、虚しさ六割・寝顔を見ることのできた嬉しさ四割といったところだ。


 エルナンが目を覚ますまでに、私は気怠い体に鞭を打って服を着てベッドの側の床で正座をして待った。


 正座をして少ししてから「ん……」とエルナンの悩まし気な声が聞こえ、やがて起き上がる。彼の手がさっきまで私がいた場所をさまよった。


「エルナン」


 意を決して呼びかけると、彼のグリーンの目がしっかり開いて私を捉えた。

 そして、笑った。


「なんでそんなとこで」

「昨夜は大変申し訳ありませんでした! ちゃんと私、弁えておりますので!」


 美形の笑顔を見ていると決意が数秒で流されそうなので、平伏する。


「トリシャ?」


 ダメだ、ダメだ。彼の口から自分の名前を呼ばれると特別なものに感じてしまう。勘違い、絶対ダメ。


「エ、エルナンが遊びだったっていうのはよく分かってるから! ご、ごめんね、昨日ものすごく酔っぱらってて! 酷いんだよ、皆、飲み会で早く結婚しろとか偉そうに言ってさ。魔法省職員って急な遠征も多いのにね!」


 ザ・酒のせいである。

 謝って思い出にしちゃおう。


「おい、トリシャ。床に座ってたら体が冷えるだろ」

「それで私自棄になっちゃってさー、ほんとごめんね! 昨夜のことは事故だと思ってもらって! エ、エルナンもほら、結婚前の予行練習になったってことで」

「は?」


 慌てて口走ると、エルナンはすっと目を細めて不機嫌そうな顔になる。


「初夜に下手だったらダメじゃない? 一生言われるから!」

「下手? 何を言って……」


 エルナンがベッドから出ようとして全裸が見えそうになった時に、急に部屋にブブブブッという音が響き渡る。

 魔法省職員に支給されている緊急連絡用ブレスレットが振動している音だ。


「あ、緊急連絡! 私のじゃないからエルナンのだ! 早く行かないと!」


 慌てて自分のブレスレットを確認したが、振動していたのはエルナンのだ。

 エルナンも私も十四歳から十八歳まで学園に在籍し、卒業してからは魔法省に就職した。

 エルナンは魔物対策部署で、私は災害対策部署なので、仕事で一緒になることはない。

 緊急連絡は緊急で職員を招集するために使われるので、文字通り緊急事態なのだ。ゆっくり話をしている暇はない。

 エルナンは振動するブレスレットを眺め、はぁと息を吐くとベッドから抜け出て私が差し出した服をすぐに着た。


「帰ったら話がある」

「大丈夫! 私は弁えた女だから!」

「半端な気持ちであんなことしない」

「いやいやいやいや、私酔っぱらってしつこかったからね。お酒のせいだよ、あはは~」


 すべてを酒のせいにしようとする私。そんな私にエルナンは再び口を開こうとしたが、またブレスレットが振動した。

 エルナンは微かに舌打ちすると「帰ったら話がある。必ずだ。あと戸締り頼んだ。鍵は持ってて」と言って鍵を投げてから走って出て行った。


 見間違いでなければ、エルナンのパンツ、クマさん柄じゃなかった?

 私がノリと冗談で誕生日にあげたやつ。

 え、嘘、律儀に履いてるってこと?


 そんなことを考えていると、手の中にある押し付けられた鍵がカチャリと音を立てた。

 合鍵をもらったとはしゃぐところなんだろう、ここは。

 エルナンはこの広い家に一人で住んでいるが、通いの使用人がいると聞いている。


 正座して痺れた足を叩きつつ立ち上がって、部屋を見回した。

 就職してから学園の延長のようにたまに食事に行くことはあったが、エルナンの部屋に入ったのは初めてだ。

 もう二度と入ることはないんだから目に焼き付けて帰ろう。といっても生活感が全然ない部屋だ。

 魔物対策部署は特に忙しいから寝に帰るだけのようだ。


 さてエルナンがいつ帰って来るか分からないが、安心してもらっていい。十三歳で親を亡くした私の弁えっぷりを舐めてもらっては困る。

 公爵家の三男が責任取って平民と結婚してくれるなんて夢でも思ってない。


いえ、嘘です。ほんの少しの夢くらいは見させてください。

 彼にとっては遊びにしかならないのは分かっていたからこそ、思い出としてのワンナイトなのだ。スタートは見切り発車だったが、ラストは美しい思い出。


「今度生まれ変わったら、どこかのご令嬢になれないかなぁ」


 そうしたらエルナンと結婚できる可能性がわずかでもあるのに。

 今? 今は皆無だ。

 学園でも散々言われた。「あなた、エルナン様の側にいるけど、彼と結婚できるなんてゆめゆめ夢なんて見ないようにね」と。

 ゆめって単語がなんだか多いね。


 遊び以外で可能性があるとすれば、愛人だろうか。これも親切な学園の女子生徒が教えてくれた。平民は良くて愛人だと。

 ニャントカ令嬢と結婚したエルナンが来てくれるのを別宅でひたすら待つなんて、私には無理だ。辛くて寂しくて恐怖で死んじゃう。

 だから、思い出のワンナイトくらいでちょうどいい。お酒の力は借りたけど。

 今世は令嬢じゃないんだし、うん、神様も天国にいるだろう両親もきっと怒らないで許してくれる。



 エルナンたち魔物対策部署への緊急連絡は、北の国境近くで起きたワームの大量発生によるものだった。

 ワームの分泌物により土壌や木々が汚染されて作物も実もできなくなるので、火魔法で一度全部焼く必要があるのだ。その後、土魔法を使える職員たちが集められて土を新しくしていく。被害の程度にもよるが二カ月はかかるだろう。


 私はエルナンが北に行っている間、いつも通り働いていた。

 そしてエルナンとのワンナイトから一か月半後、上司に呼び出された。

 何だろうと部屋に入ると、青ざめた上司の横には見覚えのあるメガネをかけた女性が立っていた。


「トリシャ、君に横領の容疑がかかっているそうだ。こちら、監査部署のこの件の担当者であるエリザベス・ワーグナー氏だ」

「あ、はい……って、え、おうりょう? 王領? 横領?」


 エリザベス・ワーグナーは学園で同級生だった人だ。

 ワーグナー侯爵家の末っ子で、クラスは違ったが私に何度も「エルナン・ウィンズレッドと結婚できると思うな」「平民は貴族の愛人が精一杯だから、普通の結婚をしろ」とかマナーとか頻繁に言ってきた人だ。末っ子というか長女っぽい人だった。


「お、横領なんて……」

「トリシャ、取り調べがこれからあるが正直に言うんだ」

「え、え? 私そんなことしてませんよ?」

「私もそう信じているが、こうして監査が来ているということは何かあったということだ。嘘をつかずに協力すれば悪いようにはされないはずだ」


 上司は早口で言うと、そそくさと退室する。ここは上司の部屋だが、ここで取り調べをするってことだろうか。


「トリシャ・ネルソン。あなたに横領の容疑がかかっている」

「あ、あの……エリザベス様、いえワーグナー様。ご無沙汰しております」

「私たちは学園の同級生だが、ご無沙汰などと挨拶されるほど仲は良くない。あなたのような平民と私が口を利くこともなかったはずだが? さて、これから取り調べを始めるから、手荒なことをされたくなければ大人しくそこに座ってくれ」


 艶やかな黒髪を頭の高い位置で括り細いメガネをかけたエリザベス様は、身長が高く、監査の制服も似合っていてとてもカッコいい。

 そんな彼女に挨拶を念のためにしたが、取り付く島もなかった。

 彼女に注意はよくされたが、「あなたのような平民」なんて呼ばれたことは一度もないはずなのに。彼女はそんな差別をする人ではなかったはずだ。


「この書類に見覚えは?」


 エリザベス様が出したのは、私のサインがある書類だった。しかし、見覚えがない。


「いいえ」

「ここにあなたのサインがあるじゃないか」

「こんな書類にサインした覚えはありません」


 彼女の白く長い指が書類を示すが、全く見覚えがない。


「では、こちらは? あなたが寄付金を横領したのでは? 虚偽を話せばそれだけ罪は重くなる」


 寄付金を横領? 全く身に覚えのない罪に指が震えた。

 そんな私にエリザベス様はさらなる書類を見せてくる──しかし、白紙だ。

 声を上げようとした私に向かってエリザベス様は唇に手を当て、黙れとばかりにジェスチャーをする。


 ぐっと黙り込むと、エリザベス様は白紙にさらさらと何か書き始めた。


『誰に聞かれているか分からないから筆談で。取り調べが続いているように演技して』


 訳が分からないまま頷くと、エリザベス様はさらに文字を書いていく。


『今日、上から急に命令されてあなたを取り調べることになった。通常なら知り合いが担当になることはないのだが、人手不足と急だったのと、私があなたと仲が良くなかったということで急遽担当になった』


 エリザベス様が書いている内容を目で追いながら、私は言われた通りに演技をした。


「あ、あの、私、本当に横領なんて……」

「だが、この日のこの時刻に残業していたのはあなただけで、書類にもサインがある。あなたは本来災害対策に使われるはずの寄付金を不正に引き出し、どこかに隠したのだろう」

「こんな金額を横領してたら、今頃ウハウハでお仕事やめてます!」


 エリザベス様が半眼になった。唇をきつく結んでいるので笑いを耐えているのだろう。


「あなたは教会育ちだったか? そこに隠しているのではないか? そして、ほとぼりが冷めたら退職してその教会に向かう手はずだったとか」

「してません! そんなに疑うなら、教会を調べたらいいじゃないですか!」

「あんな片田舎の教会に行って帰るだけの時間が無駄だ。ここで大人しく白状したらどうなんだ」

『私はあなたが横領したとは思っていないが。この件は何かがおかしい。証拠があなたのサインの入った書類しかないのも変で杜撰だし、何より命令が急すぎる。最近何か変わったことはあったか? 高位貴族を怒らせたのか?』


 その文字を読んで真っ先に過ぎったのはワンナイトのことだった。

 しかし時間が経ちすぎているし、エルナンはまだ北の国境だ。彼が手紙で何か実家に知らせたのだろうか。


『そういえば、最近不審者に絡まれました』

『どんな?』

『夜、帰り道で襲われたので返り討ちにしました。何回か続いたので不審者が増えたなぁって思って、騎士団には通報しておいたんですけど』


 エリザベス様が天井を仰ぐ。


「金は何に使った? これだけの金額だ。まさか、男に貢いだとか?」

「そもそも横領していません!」

『撃退したのか?』

『はい。合計四人、数日に分けて帰り道で襲ってきました。騎士団に通報したので記録があるはずです』

『明らかにおかしいな。襲撃がうまくいかないからこんな冤罪をかけるような手に出たのか。一体、誰が何を企んでるんだ?』


 エリザベス様は足を組んでブツブツ言いながら悩み始めたので、私は仕方なくワンナイトのことを紙面上で白状した。


「は? あのな!」


 エリザベス様は大声を出して立ち上がりかけて、慌てて座る。


『学園の時にあれほどエルナン・ウィンズレッドには深入りするなと伝えたのに! お前の頭は何なんだ! 覚えてなかったのか!』

『ずみません……』

『まったく……ということは、誘拐狙いか……ウィンズレッド公爵家め……公爵家なら監査に伝手があるから動かせるな』


 恥ずかしくて途中で盛大に誤字を書いたが、エリザベス様は黙って考え込んでいるようだった。

 公爵家が私を消そうとしているのだろうか? それなら、もっと簡単にプチっとできそうな気もするのだが……。

 やがてエリザベス様は決意するように顔を上げ、私にある選択を迫った。



 エリザベス様が音を立てて扉を開ける。


「トリシャ・ネルソンが犯行を自白した。これより連行する」

「本当にトリシャが? そんな……」


 扉の外で待っていた上司は悲痛な声を上げたので、心が痛む。

 エリザベス様に手を引っ張られて、馬車に乗せられた。


 通常の流れでは城の監査の部署で引き続き取り調べを行うはずだが、エリザベス様は私を違う場所に連れてくるように指示を受けているらしい。

 殺人や犯人が高位貴族という場合ならまだしも、あの額の横領でしかも私は平民なのでこの扱いはおかしいんだそうだ。

 ちなみに、あの額と言われても私には大金だったのだが……。


 エリザベス様と向かい合って座って馬車に揺られる。

 鋭い目で馬車の窓から外を見ていたエリザベス様は、パッと私を振り向いて頷いた。


 その瞬間、馬車が馬の大きないななきとともに急に止まる。


「どうした! 事故か?」


 エリザベス様が慌てて馬車の扉を開ける。その隙を縫って私はエリザベス様に体当たりをして馬車の外に逃げ出した。

 後ろでエリザベス様が何か叫んでいるのが聞こえるが、私はすぐさま入り組んだ路地裏を走り抜ける。


 エリザベス様が押し込んでくれたお金がポケットでチャリチャリ鳴る。

 神様、おそらく天国にいるお父さん・お母さん。

 トリシャはワンナイトしたら冤罪をかけられて逃げ出す羽目になりました。



 エリザベス様には厳しい言葉を学園で投げかけられたが、嫌いではなかった。彼女は私に注意以外で喋ってくれなかったけれども、彼女は正論しか言っていないのだ。

 エルナンに深入りしても結婚できるわけじゃないんだから、あんまり仲良くなるな。どうせ辛い思いをするだけだから。彼女はそう言ってくれていたのだ。


 エリザベス様に私の恋心はとっくに見抜かれていた。

 そしてなぜ彼女がひたすらお小言を言ってくれたのかも今日痛いほど分かった。

 私はウィンズレッド公爵家に狙われている可能性が非常に高いのだそうだ。倒した四人の襲撃者もきっと公爵家からだろうと、エリザベス様は言った。

 襲撃して誘拐しようと試みて失敗したから、横領という冤罪をかけて移動中か拘束中に私を誘拐するつもりだろうと。

 平民には俄かには信じられない話だった。


『ウィンズレッド公爵家は魔力の多い平民や下級貴族の娘を選んで愛人として置いて子供を生ませ、金を払って引き取って公爵家の子供だとしている、らしい。時には抵抗した母親から無理矢理子供を奪い取ることもあるかもしれんな。高位貴族ほど魔力の多い子供を求められるが、魔力の多い子供の出産は母体に負担がかかりやすい。出産で亡くなることも多いしな』


 お貴族様ってそういうものなんだろうな、とは思った。

 もしかして、私はエルナンの愛人にされようとしている? エルナンが帰ったら話があるって言ってたのはそういうこと?


『ウィンズレッド公爵家の長男は病弱。そして次男は結婚しているが、三年を過ぎた現在でも子供がいない。そうすると、公爵はエルナンの子供を欲するはずだ。エルナンは公爵と折り合いが悪いそうだから、どこまで知っているのかは知らないが……』


 エリザベス様に紙に書いて説明されてもピンとこない。


『エルナンは兄二人にあまり似ていない。髪色や目の色こそ公爵家のものだがな。公爵が愛人に産ませた子供ではないかという話もよく流れていたな。医者が頻繁に出入りしていたことから、公爵夫人は上二人の出産でもう妊娠できなくなったという噂もある』


 そうなのか。でも、それは単なる噂だ。

 エルナンが愛人と公爵の子供だろうと、私はエルナンを好きになった。


『その呑気な顔……状況が分かっていないようだな。魔力の多い者同士なら魔力の多い子供ができる可能性は高い。だから、トリシャ・ネルソン。お前は平民で親も亡くなっていて後ろ盾がなく、さらには魔力も多いという愛人にお誂え向きの存在だ。ウィンズレッド公爵家はお前を誘拐して監禁して、子供を生ませようとするだろう。エルナンの愛人ならばお前にとってはいいかもしれないが、エルナンだけを相手にしていればいいという保証はないぞ。高位貴族は魔力の多い子供がいれば体面が保てるんだからな。エルナンで妊娠しなかったらどうなると思う? 監禁されて次は誰が相手になるのか』


 そこまで書いたエリザベス様の手は震えていた。

 私が震えるべき場面なのだろうが、あまりに世界が違いすぎて私は案外冷静だった。


 あぁ、この人って。

 ものすごく正義感が強いんだなぁ、監査の部署というのはよく似合っている。だから私に学園で嫌味ではなく事実を伝えてくれていたのだ。

 魔力の多い平民がほいほい高位貴族に近付くんじゃないよって。愛人にされてどんな扱いを受けるか分からないぞって。


 これまでのエリザベス様の言動から彼女は嘘を言っていないと私は判断した。そして、彼女の計画に乗ってこうして逃げている。

 馬車が急停止したのは、エリザベス様の土魔法だ。


 彼女は自身の親戚のところに逃げ込めばいいと言ってくれた。

 王都と両親と住んでいた村、そして教会しか知らない私はもちろん頼る気満々だった。ウィンズレッド公爵家なら私のいた場所は調べあげられるだろうから。


 しかし、問題が起きた。

 追手が来たとか、指名手配されたわけじゃない。


 エリザベス様の親戚の治める領地に向かう途中で、男性たちに絡まれたのだ。早く逃げないといけないと移動を続け、夜になって到着した町で宿を探していたのが良くなかった。


「もう、しつこい!」


 いわゆるナンパというものだった。

 王都では全然ナンパされなかったのに!

 水魔法で驚かせて追い払おうと男たちに腕を振った。


 夜の闇に見えたのは月明りが反射する水の輝きではなく、赤い炎だった。


「げっ! あっつ! あっぶな!」


 さっきまで「お姉さん、一人? いい店知ってるよ」としつこかった男たちが驚いて逃げて行ったのは良かったが、私は男たちよりも驚いていた。


 基本的に、使える魔法は一属性だ。生まれた瞬間から属性は決まっていて、地道に練習しないと伸びない。そして途中で属性が変わることはない。

 しかし、ある例外がある。その例外は女性にしか起こらない。

 母体の魔法属性と胎児の魔法属性が異なる場合、母親は胎児の魔法属性も妊娠中に使うことができるのだ。

 つまり、妊娠中で胎児と魔法属性が異なる時のみ、約十カ月間二属性が扱える。


「私、妊娠してるってこと……?」


 生理が元々不順だったから気にしていなかった。

 間違いなくあのワンナイトである。

 魔力が多い者同士は子供が出来づらいと学園で知ったのだ。高位貴族は大変である。それがまさかのワンナイトベビーだ。


「わぁ……」


 自覚のないまま腹に手を当てる。

 まだ腹が膨らんでもいないのに、この子は火魔法を私に使わせたのだ。


「火力調整、きっとエルナンみたいに苦手な子だろうなぁ……」


 腹を撫でながら、今日の宿を探すべく歩を進める。

 てっきり私は孤独で、冤罪をかけられて逃亡していると思っていたのに。まさか、この子も一緒にいてくれるのか。

 心強さと一緒に、不安も同じだけ押し寄せてくる。


 冤罪をかけられた私に育てられるんだろうか、そもそも無事出産まで行きつけるのか。襲撃者まで送ってきた公爵家に見つかったら監禁されて、この子を出産と同時に取り上げられるかもしれない。


 エルナンも家のためだと言って、一緒になってこの子を取り上げるかも。

 そこまで考えて、歩きながらゆっくり息を吐いて吸う。吸った拍子に顔を上げると星空が綺麗だった。


 綺麗だ、この世界はとっても。

 両親を亡くしても、冤罪をかけられて逃亡中でも、思わぬ妊娠が発覚しても。

 私を取り囲む世界は厳しい。それでも綺麗だ。

 この子はそんな私のところにきてくれた。


 私は無責任にワンナイトに持ち込むような人間で、お貴族様のことなんて全然分かっていなかったからこんな目に遭っているけれど、この星空をこの子と眺めたい。この子の目に映る星空も眺めてみたい。


 将来のことを考えると踏み出す足が震えたが、先ほど自分が使った火魔法を思い出した。

 学園時代に毎日見ていたエルナンの炎と同じ色だった。火魔法を扱える人でも、炎の色は各々わずかに違うのだ。同じなのは血縁関係がある場合のみだ。あれだけ消火した私がエルナンの炎の色を見間違えることはない。


 お金とか冤罪とか追手とかの心配をしながらも、私は足を叩いて自身を奮い立たせる。


 神様、そしておそらく天国にいるお父さんとお母さん。

 トリシャは約十カ月後には好きな人の子供の母親になるみたいです。好きな人がどういう反応をするか分からないけど、この子を永遠に取り上げられるのは絶対に嫌です。

 私よりも公爵家が育てた方がこの子の世界は綺麗かもしれないけれど、それでも──私はこの子にこの世界は美しいのだと私の口から言ってあげたい。

 だって、私のところに来てくれたんだから。



 エリザベス様の親戚のところまであと町を二つ超えなければいけないという小さな村で、私は倒れてしまった。

 妊娠したと気づいたあの瞬間から、キツイ臭いがダメになり、食べても吐くようになった。そんな状態で長距離移動などできるはずがない。


 私が強運だったのは、倒れたのが村唯一の診療所の近くだったことだ。

 親切なおばちゃんに担ぎ上げられてすぐさま診療所に運び込まれた私は、そのまま親切なその診療所の医者だったおじいちゃん先生のところに居候させてもらっている。


 水魔法では、清潔な水を生み出すことができる。

 だから、怪我の処置に大変重宝される。魔力が多いとバレなければ、居候して診療所を手伝いつつこの村にい続けることができた。

 災害対策部署では、水不足の田畑に雨が降ったくらいの水魔法を使ったり、氾濫しかけた川の水を移動させたりしていたので、少量の水を出すのはつわり中でもできた。

 訳アリでつわりの酷い妊婦の私を居候させてくれたおじいちゃん先生には、感謝しかない。


「孫が里帰りしたみたいじゃな。あ、王都に行った儂の娘、結婚しとらんかったわ!」


 つわりが落ち着くまでいてもいいと言われて甘えたが、私のつわりは臨月でも続いていた。胎児の魔力が多く、特に母親と胎児の魔法属性が違う場合はよく起きることなんだそうだ。

 ただ、お腹はあまり出なかったので臨月だと言うとほとんどの場合は驚かれた。


 出産したらつわりが楽になるだろうかと考えていたある日のことだった。

 診療所は休みの日だったので、おじいちゃん先生はのんびり庭の草むしりをしていた。私は水魔法を使って診療所内のお掃除だ。


 ある程度掃除の目途が立ったので、お湯を沸かしてお茶の準備をする。

 先生が休憩のために診療所の中に入って来た足音と気配がする。リンゴでも剥こうかと先生に声をかけようとした時だった。


「お若いの、こんな老いぼれのジジイの首元にナイフなんて突きつけるもんじゃないよ」


 なんだか物騒な会話が聞こえた。


「今日はちょうど休みでの。従業員もおらんから儂しかおらん。金目なものはないぞ。あ、そこの木彫りのクマさんは儂の宝物じゃ。患者だった男の子が大きくなって職人になって作ってくれての」

「ここで水魔法が使える亜麻色の髪をした女性を匿っているはずだ。名はトリシャ・ネルソン」

「トリシャ? 知らんのぅ、患者にもそんな名前の子はおらんから」

「火事になりかけた家に大量の水をかけて消火したという目撃情報がある。平民にしては随分な魔力を持っているようだ」


 キッチンに隠れている私は、聞こえてきた会話で悟った。

 どうやら、この間私がうっかりやってしまったことでここにいることがバレたらしい。おそらく、ウィンズレッド公爵家の手の者だ。


 だって、村に到着して倒れた私を運んでくれたルネおばさんの家が火事になっていたのを傍観しているだけなんてできなかったのだ。その後は先生が「妊娠中は不安定で魔力が増えることもあるから」なんて誤魔化してくれたけれど、噂になって広まっていたのか。


 ど、どうしよう。いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってビクビク過ごしてきたが、まさか今だとは。

 玄関は一つしかない。そして、先生はナイフで脅されている様だ。


「いてて。こんな老いぼれにそんな乱暴にナイフを突きつけんでくれ。びっくりして心臓が止まってポックリ逝ってしまう」


 私に知らせようと、先生は普段よりも大きめの声で会話をしているのだろう。

 どうする? もし捕まったらきっと監禁出産コースだ。

 その後は子供やエルナンに会えるのかどうかも分からない。抵抗したら殺されるかもしれないし、薬漬けにされて次は誰が相手かも分からない出産をさせられるかも。

 でも、このまま隠れてやり過ごすと先生が傷つけられるだろう。


 迷って固まっていると、お腹を中からポコンと蹴られた。

 まるで、何を迷ってるんだと怒られている気がした。


 そうだった、今の私は臨月で動きづらいが水魔法だけでなく火魔法も使えるのだ。


 お腹の子供に勇気をもらってキッチンから出て入り口に向かうと、見たこともない若い男が先生の首にナイフを突きつけていた。

 先生は飄々としていたが、わざわざ出てきた私を見て目を見開く。


 先生に心の中で謝りながら、私は両手を降参するように挙げた。

 妊娠中は魔力が不安定になることもあり、派手な魔法を使うには平時よりも集中力が要る。いきなり火魔法を使うと先生にまで怪我をさせてしまう。


「先生は関係ありません。私がトリシャ・ネルソンです。ここでは偽名を使っていました」


 私はトリシャなんて本名は名乗っていなかった。倒れて診療所で目覚めてぼんやりしながら、私はうっかり「エルナ」と名乗っていたのだ。エルナンを意識しすぎである。


「目的は私だけですよね? 先生を解放してください」

「あなたが大人しく来るなら、この老人は解放しましょう」

「誰が老人じゃ! こんな物騒な物を持ってきおって! エルナちゃんをどうするつもりじゃ!」


 若い男は丁寧な言葉遣いだ。公爵家は私を捕まえるためにならず者を雇ったわけではないらしい。


「こんな村で出産というのも心もとないでしょう」

「おい、儂は最近では牛の出産しかみておらんがの、もっと若い頃はちゃんと赤ん坊も取り上げとったぞ!」

「ご安心ください。トリシャ様のことは丁重に扱うように言われております。つわりもまだ酷いご様子。大事な魔力の多い子供ですから」


 先生にナイフを突きつけているのは公爵家の騎士か何かだろう。

 このままだと監禁出産コースだ。


 頷いて両手を挙げたまま、二人に近づく。

 私が先生の前まで来ると、若い男はナイフをどけて先生を横に突き飛ばしてから私の腕を掴んだ。


 先生が離れた瞬間を狙って火魔法を使う。若い男の耳を私が出した炎がわずかに掠った。


 外した!?

 腕の拘束が緩んだので振りほどきながら慌ててもう一度火魔法を出そうとしたが、若い男の体には炎を纏った縄のようなものが巻き付いていた。


 あれ、もしかしてちゃんと使えてた?


「え、もしかして私って天才?」

「誰が天才だ」


 後ろからやって来た別の人物が若い男を外に放り投げた。

 聞き覚えのある声だったが、私は臨戦状態だったため反射で水魔法をその人に放ってしまった。


「トリシャ。俺だ」


 よくよく見れば、長くなった銀髪を見事に水で濡らしたエルナンが立っていた。

 私は思わずお腹を庇って後退る。

 いくら相手が久しぶりに会う好きな人だからと、すぐに安心できない。


「こ、この子は渡さないから」

「トリシャ、もう大丈夫だから。庭にいた公爵の手先は全員片付けた」

「おー、本当じゃな。もっとおったんか」


 突き飛ばされたはずの先生はいつの間にか立ち上がり、窓の外を確認している。


「え、どういう……」

「手紙の返事はないし、遠征先から戻ったらトリシャはどこにもいなくて逃げたって言われるし。公爵は変なことしてるし、ワーグナーには『知り合いのところにトリシャが逃げて来てない!』って首締められるし……心当たりを探してもいないから公爵の部下を尾行してやっと……あ、トリシャ」


 どうやらエルナンは私を助けに来てくれたようだ。

 安心してその場にへたり込むと、エルナンも私に目線を合わせるように屈みこむ。


「悪かった。遠征先から手紙を送ったんだが……」

「手紙って……何にも来てないよ」


 エルナンは緊急事態だと慌てて出て行って、手紙一つこなかった。だから私は余計にエリザベス様の話を信じたのだ。


「……多分、公爵に手紙を送るのを妨害されて中を見られたんだ。それでトリシャの存在が知られた」

「私って……捕まったら監禁出産そのまま愛人コースだったの?」

「……胸糞悪いが、そうだ。俺も今回トリシャを探している過程でその話を知った。俺の母親は愛人の一人だったらしい」


 安心したのもつかの間、現実に引き戻される。


「私、そういうんじゃなくって……エルナンに婚約者がいるのは分かってるけど、愛人なんて考えてなくて。あ、あの夜のことは謝るけど、この子は絶対渡さないから」

「は? 婚約者? 何だ、それ」


 助けに来てくれたのは嬉しいが、彼には婚約者がもういるはずなのだ。そろそろ婚約するという話だったから私はワンナイトに及んだ。


「私は平民だしお貴族様のことは分からないけど、エルナンの結婚を邪魔するつもりはないし、この子のことは一人で育てるから。出産したらワーグナー様の親戚のところでも頼って職を斡旋してもらって……」

「いや、だからなんでだ?」

「なんでって。エルナン、婚約するんでしょ? どこかのご令嬢と」

「そんな相手はいない」

「え、でも噂が……それに公爵家の三男なのに」

「噂なんて嘘ばっかりだろ」

「でも、聞いちゃったから……それに、将来はどうせそういうことになるじゃない」

「……あぁ、だからあの日はあんなに積極的だったわけか」


 エルナンはしばらく探るように私を見ていたが、納得したらしい。

 私は臨月というにはあまり膨らんでいないお腹を守るように両手で抱く。お腹をポコンと中からまた蹴られた。

 この子は分かっているのかもしれない、自分の父親が来たということを。


 でも、何を話したらいいのか分からない。

 おじいちゃん先生の心配そうな視線が突き刺さる。

 エルナンは「あー……」と言いながら髪の毛をくしゃくしゃと乱した。


「こんな状況で言うつもりじゃなかったのに」


 髪の毛が乱れていてもエルナンはカッコいい。

 でもさっきまで緊張状態だったせいか、お腹が痛くなってきた。


「あのな、俺はいくらあんな状況だったからって好きでもない女にあんなことしないから。順番めちゃくちゃになったし、まだ目標金額貯まってなかったし、兄に話を通すから時間かかったけど」


 しゃがんだエルナンは座り込んでいる私の手を取る。


「公爵のことは、兄が隠居させてもうトリシャには手出しさせないから。金を貯めてから言おうと思ってたけど、トリシャを愛人になんてさせない」

「えっと……?」

「ずっと好きなんだ。順番が違うけど、結婚しよう」

「うわぁ……儂はえらいもんを見てしもうた」


 急にお腹の痛みが酷くなった。


「う、痛い……」

「トリシャ? え、まさか……」

「陣痛か! エルナちゃんは少し前から下腹部が痛いと言っておったな! い、医者を呼ばんと!」

「医者じゃなかったのか、ここ」

「そうじゃった! 儂、最近牛の出産しかみとらんのに! じゅ、準備をするからな!」


 そう言いながら先生は準備のために診療所の奥へ駆け込んでいく。

 強い痛みはすぐに引いたが、またすぐに襲ってきた。

 怖くなってきて、エルナンの腕にすがる。


「あの、私、エルナンとしかああいうことはしてないから」

「そこは疑ってない。だから、一人で育てるとかこの期に及んで言ってくれるなよ」

「う、うん」

「結婚の返事は? ほら、赤ん坊も急かしてる」

「す、する。で、でもプロポーズは後でもう一回してほしいかも」

「何回でもするから、その、頑張れ」


 エルナンは怖がる私の髪を撫でてくれる。


「えっと、私のこといつから好きだったの?」

「学園の時から。俺の火で焼き芋してた辺りではもう好きだった」

「私、もっと可愛い瞬間あったと思うんだけど……」

「俺にとってはそこからいつでも可愛いけど。大体、なんで激務の魔物対策部署にわざわざ入ったと思ってるんだ。公爵家っていっても何も継がないし、魔法下手だし、とにかく早く金を貯めて結婚しようと思ってたのに公爵がおかしなことするから」

「でもさっきの魔法、カッコ良かったよ。火の縄みたいなの」


 エルナンは照れたように笑う。

 その笑顔を見て、痛みを感じながらも私はやっぱり好きだなぁと思ってしまった。


 魔力の多い子供の出産だった割にスムーズで危険もなく、生まれてきたのはエルナンそっくりの男の子だった。おじいちゃん先生は久しぶりの出産だったので、しばらくぎっくり腰になった。


 無事を知らせてやって来たエリザベス様に「妊娠してたならさっさと気づいておけ! 知ってたら妊婦にあんな無茶な逃亡劇は絶対させなかったのに!」と二人でこっぴどく怒られるのはまた後の話。私の冤罪は彼女のおかげできちんと取り下げられた。


 他には、私を誘拐しようとした公爵を追いやるのに公爵夫人やエルナンの兄二人が協力したと知ったり、エルナンの本当の母親はエルナンを差し出すことに抵抗して殺されていたという悲しい出来事を知って涙したりした。


 そしてもちろん、生まれた男の子は火力調整が苦手で私は再び消火をたくさんすることになった。私がそちらに必死で、エルナンがいじけることもある。


 でもね、神様。お父さんとお母さん。

 私は家族で星空を見ることができて幸せです。

 だから、あのワンナイトはきっと良かったのです。


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「軍人王女の武器商人 危険で胡散臭い男の重愛を知るまで」

(角川ビーンズ文庫)

挿絵(By みてみん)

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