第八幕:ホームズの現実の崩壊
ホームズという男は、
破滅を知らなかった。
危険に飛び込むのを恐れない。
そのはずだったーー
やあ、君。人間、信じられないモノを見た時にどういう反応をすればいいかわからなくなる。もし、君がそういう経験がなければ幸せだろう。
なぜかって?
その信じられないモノが、自分の価値観をめちゃくちゃにするからさ。
第七幕では、ハイドを守るように言われたホームズがイヤイヤながらも、蜘蛛の組織を弱体化させるために、夜の散歩を繰り返した。
でも、やがて終わりが来る。
シャーロック・ホームズが真実を認めた時が終わりだった。
その日、ワトソンは居間の暖炉で身体を温めながら創作活動に励んでいた。
『緋色の研究』をーーさらに超えなければ、彼の作家人生はそこまでだから。
物書きとしての彼は、焦っていた。
だが、そんな彼よりも焦った男が部屋に飛び込んできた。
彼は薄汚れた服に身を包み、顔を泥だらけにしていた。
身体は何度も痙攣してた。
ワトソンが顔を拭ってやると、ニヤニヤではない恐怖に引きつった顔が現れた。
「ホームズ!ーー何があったんだ!?」とワトソンがホームズを抱きかかえた。
「鏡を、鏡をくれ、ワトソン!早く、ああ、くそ!僕が神を求めるだと?
なんてことだ、ワトソン......鏡だーー」
ワトソンは友の怯えっぷりに戸惑いながら、鏡を彼に手渡した。
ホームズはもぎ取るようにして、
鏡を取り上げた。
「これは、僕だーーシャーロック・ホームズだーー!ワトソン、何もかもが元通りだーーそうだなーーくそーー」
彼は鏡から顔を離した。
「ワトソン、エドワード・ハイドの正体がわかった。信じられないかもしれない。僕を狂ったと君は言う。だけど、君、信じてくれ。あれは、彼は、ヘンリー・ジキルだーー」
しばらくワトソンは、ホームズを見た。
自分がからかわれていると思ったからだ。
「やめてくれ。いくらボクでも、そんなの信じるわけない」とワトソンは呟いた。
「それがいいーーそれがーー幸せだった。ああーーこの鋭すぎる知性が、僕を裏切ってくる。
ーーあれは本物だ。僕は試した。
実際に、あの薬を。忌まわしい薬の効果を試したんだーーやめときゃ良かった!」
彼は再び鏡を見た。
「ヘンリー・ジキルは何か隠している。僕はそれを調べる為に乞食の格好をした。こんなのーー大したことない。背さえ縮めてみせる。
でも、アレは違う。断じて変装ではないーー赤い薬だ」
ホームズは一息ついた。
「赤い薬を、僕は見た。その使い方も、効果も、だけど自分でも試したかったーーそれで、ついーー」
ワトソンは首を振った。
「恐れていた事が起こった。
ーーホームズ。それは薬物の幻覚だ。
現実じゃない。ボクは警告してた。
それがこんなーー」とワトソンの説教が始まった。
ホームズは、ワトソンの結論にうんざりしてた。
でも同時に、ホームズは落ち着いてきた。
「そうかも知れないーーその方が安心できるーー」
ホームズの諦めの言葉に、ワトソンはついつい聞いた。
「ホームズ、君の物語を聞かせて。
なにがおこったんだ」
ホームズは、ゆっくりと話し始めた。
(こうして、第八幕は諦めで幕を閉じる。)
ホームズは、ジキル博士の薬を使った。
それは、ただの変身薬ではなさそうだ。
君なら何に変身したい?




