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スライムと父と、その他のこと

作者: 宮ノ木 渡
掲載日:2025/10/06

「聞いてくれる?」


布団の中で、彼は彼女の指先にそっと触れながら言った。

照明は消えていて、ふたりの息だけが部屋に残る。

彼女は少し身を起こして笑った。

暗がりの中でその笑顔がふっと柔らかくなる。


「うん。話して」


彼女の声は眠りかけの低さで、でも真剣だった。

彼は安心して肩の力を抜く。


「まだ子どもだった頃の話なんだけど、母親に寝かしつけてもらわないと眠れないくらいの年でさ。


僕の両親は、子どもにテレビゲームを買い与えながら、自分たちも一緒に遊ぶような人たちだった。

別に裕福というわけじゃなくて、いわゆる共働き、中産階級の家庭だったと思う。


親からしたら、たぶん合理的だったんだろうね。

自分たちもゲームはしたいし、子どもも遊べる。

ただ、世間一般の感覚で見ると、少し不思議な家庭だったのかもしれない。


当時は、子どもにゲームの時間を決めたり、勉強を優先させたりするのが普通だったと思う。

そもそも、ゲームを買ってもらえない家も多かったはず。

でも、うちではそういうことはほとんどなくて、親も一緒になって遊んでいた。

むしろ僕なんかより、よっぽど積極的に」


彼は暗闇の中で天井を見上げる。

言葉はゆっくりと、でも自然に流れていった。


「自分でプレイしても、うまくできるかどうかわからなかったし、

画面の中で何が起きているのかも、正直よく掴めていなかった。

だから、主人公がスライムを倒したり、暗い洞窟に入って、たいまつに火がつくところを、ただじっと見ていた。


ちょうどその頃、ドラゴンクエストがスーパーファミコンで出始めた時期だった。

いま振り返ると、ずいぶん昔の話だと思う。

そんなの知らない、という人も多いのかもしれないけど、

少なくとも僕らの世代にとっては、それがひとつの宝物みたいなものだった」


彼女は続きを促すように頷いた。

指先はまだ彼の手に触れていた。


「それで、あの日もそうだった。


仕事から帰ってきた父が晩酌をして、風呂に入って、

もう寝る前の時間になるとさ、区切りをつけるみたいにドラクエを始めたんだよな。

ああ、これが一日の終わりなんだな、ってわかる感じがした。


僕は暗い部屋で布団に入っていて、母親に寝かしつけられていたんだけど、

なぜかうまく眠れなかった。


目を閉じているのに、頭だけが起きている感じがして」


彼女が腕を伸ばして、彼の手の甲を包んだ。

彼はそのぬくもりに小さくうなずいた。


「目を瞑って眠ろうとした。

でも、そのときは、なぜか人が死ぬことについて考え始めてしまったんだよな。


死の不可避性というか。

父も母も、いずれは必ず死ぬ。

兄も死ぬし、僕も死ぬ。

結局、みんな死ぬってこと。


それがいつなのかはわからない。

ただ、時間が経てば、そのうちに必ずそうなる。


そんな、すごくシンプルな命題が、ぱっと頭に浮かんできて、急に怖くなった。

一度その考えが入りこんだら、もう二度と離れてくれなかった」


彼の言葉が途切れると、部屋の中は沈黙に包まれた。

まるでこの世界から誰もいなくなったみたいに。


「あぁそうか、僕たちはずっと死に包まれて生きているんだな。

というか、最終的に行き着くところは死なんだな、

という感覚が、どうしても受け入れられなかった。


そのうちに、耳の奥で自分の鼓動がはっきりと響き始めて、呼吸が浅くなった。

暗闇が少しずつ狭まってきて、逃げ場のない箱に閉じ込められたような気がした。

息が苦しくなり、胸がぎゅっと痛んだ。

心臓が大きな音を立てて鳴り、自分の血の流れる音まで、耳の奥で聞こえていた。


布団が鉛のように重く感じられて、手足を動かすことができなくなる。

まるで目に見えない手に、身体を押さえつけられているみたいだった。


――みんな死んで、いなくなる。


その言葉ばかりが頭の中をぐるぐる回って、止まらなかった。

考えるのをやめようとしても、かえって大きな声になって返ってくる。

耳を塞いでも聞こえるし、どれだけ首を振っても、

布団の中で震えていても、考えは追いかけてきて、離れてくれない。


まるで、死ぬまでずっと死神に睨まれているような心地がして、

出口のない闇の中へ、ゆっくり沈んでいくみたいだった」


彼の声に、子どもの頃の驚きと不安が残る。

言葉を一つずつ選ぶようで、ぎこちない。


「母親は僕がもう寝たと思って台所に行った。不安で声を出したかった。


でも母に呼びかけようとして、助けを求めたら嫌がられるかもしれないと思った。

だから何も言えず、布団の中で息を殺したまま、ただ震えていた。


怖くて、怖くて、もう限界だと思った。

そしてとうとう耐えられなくなって、僕は布団から抜け出したんだ。


部屋を出ても、廊下は暗いままだった。

足元がよく見えなくて、壁伝いに進むしかなかった。

家の中なのに、どこに向かっているのかもはっきりしない。

ただ、奥のほうに、かすかに明かりが漏れているのが見えた。


その先に明るい照明のついた部屋があって、

扉を開けると、そこでは相変わらず父がゲームをしていた。


僕が命からがら、恐怖いっぱいの気持ちで暗い部屋から出てきたってのに、

彼ったら全然そんなこと気にも止めずに、

僕のことなんかちらっと見ただけで、

平和的な表情でただただゲームを続けていたんだよ。


なんだったらスライムをたくさん討伐していた」


彼は吐息を漏らして笑う。

彼女も小さく笑った。

笑いは、緊張をほどく潤滑油みたいに働いた。


「僕はその時、心底聞いてみようかと思った。


『ねぇ、どうして僕たちは必ず死ぬのに、

そのことを恐れずに楽しそうに生きていられるの?』ってさ。


なんだったら全世界の大人たちに、この疑問をぶつけてやりたかったよ。


でも、実際眼の前にいる父は、あまりにも幸福そうだったから、聞けなかったんだ。

それが当時の僕には、なんでなのか全然わからなかったけど。


僕はその時、こんなこと聞いても、

まともな答えは返ってこないだろうって、

薄々と感じとっていたのかもしれない。

割と冷めた子どもだったからね。


でも、今考えれば、彼の姿は、

『なんでそんなこと考えているの?』って言っていたようにも思えるな。

『もっと楽しく生きればいいのに』ってさ」


彼は一度、目を閉じた。

暗闇の中で、彼女の指が自分の手を握り返すのを感じる。


「それで、僕は頭の中の考えを一旦やめて、

父があぐらをかいて座っているところに、無理やり体を寄せたんだ。


彼の腕に抱かれ、胸に頬をつけながら、

僕はテレビ画面をじっと眺めていた。


相変わらず父はスライムを討伐していた。


それはある意味で恐ろしい光景だったのかもしれないけど、

僕は彼の腕の中で、なんだかとても安心して、

それから、いつの間にか深い眠りに落ちていたんだ」


しばらく沈黙が続いた。

外の車の音が、遠くでかすかに聞こえるだけだった。


「それを今、君に言いたくなったんだ」


彼は彼女の方を向いて、小さな声で付け加えた。


「あのときの僕は、ただの子どもで、

世界の終わりみたいなことを思いついて、

泣きたくなるくらい怖がってた。


でも、誰かがそばにいるだけで、

救われることもあるって知ったんだ。


君のそばにいて、それをまた思い出したんだ」


彼女は彼の胸に顔をうずめ、

鼻先で首筋をくすぐるように息を吐いた。


「ありがとう、教えてくれて」と囁く。

彼女はしばらく黙って、彼の胸に耳をあてていた。


それから、沈黙を破るように、彼女は言った。


「きっとお父さんが幸福そうに見えたのは、君がいたからじゃないのかな?」


彼は返事をしなかった。

その代わりに、安心したように微笑んだ。

目を閉じ、今の自分と、あの小さな自分を繋げるように、

ゆっくりと呼吸する。


部屋には静けさが戻る。

だがその静けさは、もはや何かを見張るものではなく、

ふたりを包み込んでいた。


彼は目を閉じ、

子どものころ、自分が父の腕の中で眠った夜と、

同じような心地で、

彼女の腕の中で、静かに眠りに落ちていった。





















読んでくださって、ありがとうございます。

もし何か心に残るものがあれば、リアクションやブックマーク、感想で教えていただけると、とても励みになります。


子どもの頃に感じた「死の怖さ」は、うまく言葉にできず、ずっと胸の奥に残っていました。

この短編は、その夜の記憶を、大人になった自分の言葉で形にしたものです。


もし読んでくださった方の中にも、似たような夜があったなら——

その記憶に、少しだけ静かな灯りがともれば嬉しいです。

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