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スライムと父と、その他のこと

作者: 宮ノ木 渡

「聞いてくれる?」


布団の中で、彼は彼女の指先にそっと触れながら言った。照明は消えていて、ふたりの息だけが部屋に残る。彼女は少し身を起こして笑った。暗がりの中でその笑顔がふっと柔らかくなる。


「うん。話して」

彼女の声は眠りかけの低さで、でも真剣だった。彼は安心して肩の力を抜く。


「まだ子どもだった時なんだけどさ、まだ母親が僕を寝かしつけないといけないぐらいの時。僕の両親は子どもにテレビゲームを買い与えながら、自分たちでも遊ぶような人たちだった。別にお金持ちってことじゃない、僕の家はいわゆる中産階級、共働き。

まぁ親からしたら合理的だよね。自分たちもゲームはしたい。子どもたちも当然遊べる。でも、世間一般的にはちょっと不思議な家庭だったのかもしれない。たぶん、普通は子どもにゲームは何時間まで、とか勉強もしっかりしなさい、みたいな。そもそもゲームを買ってもらえなかったりとか、そういう教育が当たり前だったと思うから。でも、うちでは全然そんなことなくて、親も一緒にゲームをしていた、むしろ僕なんかよりよっぽど積極的に」


彼は暗闇の中で天井を見上げる。言葉はゆっくりと、でも自然に流れていった。


「僕自身は末っ子で、よく両親や兄がテレビゲームをしているところを見ていることが多かった。自分でプレイしても、上手くできるかわからないし、何が起こっているかもよくわからなかったから、主人公がスライムを倒したり、暗い洞窟の中に入ってたいまつをつけるところをじっと見ていた。ちょうど当時はドラゴンクエストがスーパーファミコンで出始めたころだったんだよ。今となっては化石みたいな、そんなの知らないって人もいるのかもしれないけど、僕らの世代は、それが宝物みたいだった。」


彼女は続きを促すように頷いた。指先はまだ彼の手に触れていた。


「それで、あの日もそうだった。仕事から帰ってきた父が晩酌をした後で、風呂に入って、さぁ寝るかって時間にさ、これが一日終わりの楽しみですって感じでドラクエを始めたんだよな。僕は暗い部屋の布団の中で母親に寝かしつけられていたんだけど、上手く眠れなくってさ。ほら、子どもの頃っていろいろ考え事が急に浮かんだりするでしょう?」


彼女が腕を伸ばして、彼の手の甲を包んだ。彼はそのぬくもりに小さくうなずいた。


「目を瞑って眠ろうとする。でも、その時は、なぜか人が死ぬことについて考え始めたんだよな。死の不可避性というか、父も母も必ず死ぬ、兄も死ぬ、僕も死ぬ、みんな死ぬってこと。それがいつかはわからないけど、でも確実に時間の経過でそのうちにみんな死ぬ。この、すごくシンプルな命題がぱっと頭に浮かんで怖くなっちゃったんだよね。そのことが一度頭に入りこんだら、もう二度と離れなくなった」


彼の言葉が途切れると部屋の中は沈黙に包まれた。まるでこの世界から誰もいなくなったみたいに。


「あぁそうか、僕たちはずーっと死に包まれて生きているんだなっていうかさ、最終的に行き着くところは死なんだなっていう感じがすごく嫌だった。そのうちに、耳の奥で自分の鼓動が響いて、呼吸も浅くなった。暗闇がどんどん狭まってきて、逃げ場のない箱に閉じ込められたみたいだった。息が苦しくなって、胸がぎゅっと痛んだ。心臓が大きな音で鳴って、自分の血の流れる音まで耳の奥で響いていた。布団が鉛みたいに重くなって、手足を動かすことができなくなる。まるで目に見えない手で押さえつけられているみたいだった。


“みんな死んでいなくなる”


その言葉ばかりが頭の中をぐるぐる回って止まらなかった。考えるのをやめようとしても、逆に大きな声になって返ってくる。耳を塞いでも聞こえる。どれだけ首を振っても、布団の中で震えていても、考えが追いかけてきて離れてくれない。まるで死ぬまでずっと死神に睨まれているような心地がして、出口のない闇に沈んでいくみたいだった」


彼の声に、子どもの頃の驚きと不安が残る。言葉を一つずつ選ぶようで、ぎこちない。


「母親は僕がもう寝たと思って台所に行ったから、声を出したかった。でも母に呼びかけようとして、助けを求めたら嫌がられるかもしれないと思った。だから何も言えず、布団の中で息を殺したまま、ただ震えていた。怖くて、怖くて、もう限界だと思った。そしてとうとう耐えられなくなって、僕は布団から抜け出したんだ。廊下の先に明るい照明のついた部屋があって、そこでは相変わらず父がゲームをしていた。僕が命からがら、恐怖いっぱいの気持ちで暗い部屋から出てきたってのに、彼ったら全然そんなこと気にも止めずに僕のことなんかちらっと見ただけで、平和的な表情でただただゲームを続けていたんだよ。なんだったらスライムをたくさん討伐していた」


彼は吐息を漏らして笑う。彼女も小さく笑った。笑いは、緊張をほどく潤滑油みたいに働いた。


「僕はその時、心底聞いてみようかと思った。『ねぇ、どうして僕たちは必ず死ぬのに、そのことを恐れずに楽しそうに生きていられるの?』ってさ。なんだったら全世界の大人たちにこの疑問をぶつけてやりたかったよ。

でも、実際眼の前にいる父はあまりにも幸福そうだったから、聞けなかったんだ。それが当時の僕にはなんでなのか全然わからなかったけど。僕はその時、こんなこと聞いてもまともな答えは返ってこないだろうって薄々と感じとっていたのかもしれない。割と冷めた子どもだったからね。

でも、今考えれば、彼の姿は『なんでそんなこと考えているの?』って言っていたような気がする。『もっと楽しく生きればいいのに』ってさ。」


彼は一度、目を閉じた。暗闇の中で彼女の指が自分の手を握り返すのを感じる。


「それで、僕は頭の中の問いを一旦やめて、父があぐらをかいて座っているところに体を寄せたんだよ。彼の腕に抱かれ、胸に頬をつけながら僕はテレビ画面をじっと眺めていた。相変わらず父はスライムを討伐していた。それはある意味で恐ろしい光景だったのかもしれないけど、僕は彼の腕の中で、なんだかとても安心して、それから、いつの間にか深い眠りに就いていた」


しばらく沈黙が続いた。外の車の音が遠くでかすかに聞こえるだけだった。


「それを今、君に言いたくなったんだ」


彼は彼女の方を向いて、小さな声で付け加えた。


「あのときの僕は、ただの子どもで、世界の終わりみたいなことを思い付いて、泣きたくなるくらい怖がってた。でも、誰かがそばにいるだけで救われることもあるって知ったんだ。君のそばでそれをまた思い出したんだ」


彼女は彼の胸に顔をうずめ、鼻先で彼の首筋をくすぐるように息を吐いた。


「ありがとう、教えてくれて」と囁く。彼女はしばらく黙って彼の胸に耳をあてていた。


「きっとお父さんが幸福そうに見えたのは、君がいたからじゃないのかな?」


彼は返事をしなかった。その代わりに安心したように微笑んだ。目を閉じ、今の自分とあの小さな自分を繋げるように、ゆっくりと呼吸した。部屋には静けさが戻る。だがその静けさは、もはや何かを見張るものではなく、ふたりを包み込む。彼は目を閉じ、子どものころの自分が父の腕の中で眠った夜と同じような心地で、彼女の腕の中で静かに眠りに落ちていった。

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