赦しの森
一瞬にも満たない暗がりの後、草木の香りがふわりと漂った。
「ん……」
目を開けると、そこは木々生い茂るトフユナの森の中。
緑が風にそよぎ、木漏れ日がキラキラと輝く。リスやうさぎなどの愛らしい小動物達が首をかしげ、きょとんとした顔でこちらを見つめている。
「本当に着いた……」
「カノア兄ちゃん、すごいっ!」
こんな経験、もちろん俺自身が初めてだ。
行き先を思い浮かべるだけで瞬時に移動出来るなんて……。しかも転移陣すら不要とか、自分でやっておきながら何とも信じ難い。
今の俺の力では、行ったことのある場所への移動に限られるみたいだけど、本来の神力はこんなもんじゃないってことも本能で理解している。
ってか、魔力残量が4割を切った。結構使ったな……。
転移で、しかも大人数だったから魔力消費量が多いのは当たり前だけど、それにしても使い過ぎだろ……。慣れない神力の発動で、非効率的な魔力の使い方をしてしまっている。
目覚めたばかりで力を使いこなせていない俺に、成し遂げられるのだろうか……
「ここ、僕達の森に似てるっ」
両手を広げて気持ち良さそうに深呼吸をするシャオ。シャルもニコニコしながら真似をしている。
全身で自然を満喫している2人を見て、連れ出せて良かったと安堵し、幾らか緊張がほぐれたものの、それでも不安が顔に出てしまっていたのだろうか――オリバーが俺を覗き込んだ。
昔もよく、寄り添ってくれたよな。嫌なことがあってへこんでいた涼太郎の近くに来て、ただ静かに寝転んでいた麦――
「大丈夫、僕達なら出来るさ」
そう俺に声を掛けながら、オリバーはポケットから何かを取り出した。
「ああっ……それっ……」
女神の指輪――!!
彼は何も語らずにただ頷くと、穏やかに微笑みながら指輪をはめた。
俺は噛み締めるように言う。
「ほんっっと良かったぁぁぁ…………ったく、着けてないって気付いた時……どれだけショックだったか……」
「カノア……」
オリバーは俺の頭をそっと撫で、そのまま指輪を使ってパープルの仲間達への通信を始めた。皆の指輪が紫色に光る。
「もしもーし。みんなぁ~?」
「……ちょっ! オリバー!?」
「あっ、エミリー?」
通信に出たのは、弓使いで副リーダーのエミリー・デュマだ。
「あんた達、大丈夫なの!? ゼロ地点って聞いたけど……。まだトリアドに居るの?」
「えーと、そっちは解決して~、今はトフユナの森の中だよ~」
「えっ、トフユナ!? 移動速くない!?」
「うーーん、まあ、あはは……。あっ、カノアとリアンも一緒に居るよ。皆無事だから安心して」
「あー、3人一緒なら良かったー……。リアンったら、王城に来たけど急に居なくなって……あんた達も連絡取れないし、皆で心配してたのよ」
「あはは~、ごめんごめん。ってか、あのさぁ~、王都第3広場に向かって欲しいんだぁ~。僕達も急いで向かうから」
「第3広場?」
「うん。日暮れと同時に魔物が溢れる」
「なっ……王都に魔物!? 人為的ってわけ!? 今日は王城でシステム破壊があったから、この周辺には騎士団を配置したみたいだけど、第3広場は少し離れてるわね……。了解、すぐに向かうわ」
「よろしく。……あっ、あと、詳しい話は後でするけど…………王弟派の王侯貴族と、宮廷魔導師には気を付けて」
口調を変えたオリバーの忠告に、向こうで皆が息を呑んだのが分かった。
「何だかとんでもないことになってそうですね」
呪術師のジェシカ・ウォーカーが会話に入ってきた。
「そうだね……。後であぶり出しを頼むよ、ジェシカ」
チュンチュン……
ポポー……
サワサワ……
森が奏でるリズムが心地いい。
俺もシャオ達みたいに深呼吸をして――
「じゃあ、行こうか」
心と身体を優しく包み込んでくれる大自然に感謝しながら、森の出口へ向かって歩き出す。
トフユナの森。
王都にほど近い、至って平和な森だ。
――普段はね……
俺達は魔物の気配を感じて周囲を警戒した。
E級以下の無害な小型魔物が通常生物と共存している森なのに、少なくともB級以上の強い気配が近付いてくる。
何でまた……ここにこんなの……。
こんな平和な森に 四眼象が現れたあの時から、俺は既に試されていたのかもしれない。
冒険者ギルドが調査に入ってくれたけど、結局詳細は分からずじまいだった。
可視距離に入ってきた魔物を見てリアンが言う。
「 金巨蛇ですね」
金属の鱗で覆われた巨大な蛇の魔物だ。
魔法錠に続いてまた蛇かよ。
まあ……B級1体だけだし、戦闘は皆に任せよう。
一応フラムを召喚して助力を仰ぐと、『任せたまえ』と快諾してくれた。複数の霊獣を亜空間に入れたままにしておくのも、じわじわと魔力が削られてキツイしね。
俺はシャオとシャルを連れて距離を取った。今は彼らを守ることと、力を温存することが俺の責務だと思う。
――「けほっ……」
ん……? 背中のリュックから何か聞こえる。
ほとんど聞こえないようなボリュームだけど、咳込むような声だ。
あ、もしかして――
元々気を失っていたミスティックハートの3人には《眠》を掛けていないから、そろそろ意識が戻ってもおかしくない。
女性の声だな。ユリアか。
「気が付いた?」
リュックを開けて小さなユリアに話し掛けると、彼女は目を背けてうつむいた。
まあ、気まずいよな……。トーマスに従っただけとは言え、彼女だって俺を見捨てて逃げたんだから。
男2人はまだ意識が無い。
トーマス……
このままコイツを森に置いていこうか――
そんな浅はかで世俗的な考えが頭をよぎる。
「何考えてんだろ……」
俺は小さくため息をつく。
まあ……腐ってもBランクの冒険者達だ。ちょっとは役に立ってもらうぞ。
「ユリア。乗って」
戸惑うユリアを手のひらに乗せて外に出し、切り株の上に座らせた。
彼女を元に戻して欲しいとオリバーに頼むと、彼は心配そうに俺を見る。
「……大丈夫なの?」
「うん、ユリアは問題ないよ。彼女にリアンの援護を頼みたいんだ」
「さてはカノア。魔力残量が少ないね?」
「うっ……。鋭い奴……」
「魔力残量?」
俺達の話を聞いていたシャオが首をかしげる。
「だっ、大丈夫だよっ……魔力ポーションもあるし! それよりユリアを!」
「分かったよ。ちゃんと飲むんだよ」
「うん」
「じゃ……《 解呪》!」
《縮小》の魔法が解かれたユリアの身体はシュウゥと音を立て、元のサイズに戻った。
「ここは……」
「トフユナの森だよ」
「えっ? さ、さっきまでトリアドにっ……」と彼女は混乱し、変わらず気まずそうに目を泳がせる。
「詳しい話は後だ。今は彼を、勇者リアンをサポートして欲しいんだ!」
「……へ?」
勇者と魔導師団副団長という有名人が目の前に並び立つ状況に気付き、改めて大混乱に陥るユリア。
俺はそんな彼女を急かして、強化魔法の発動を要求した。
「わっ……分かった!」
あたふたしながらも、ようやく俺の目を見てくれたユリアが詠唱を始める。
「光り輝く星々よ、勇敢な魂と共に在らん。《 星辰の加護》!」
ちょうど 金巨蛇がこちらに気付いて向かってくる。
オリバーは戦闘による被害を森中に広げないための結界を展開し、ユリアの光魔法で強化されたリアンが攻撃を開始した。
B級とは言え、蛇は生命力の塊。メタル系は更に厄介だ。硬い金属の奥に攻撃を通すまで時間が掛かる。
金属の鱗にダメージを与えるのに、聖剣による特殊斬撃に勝るものは無い。鱗を覆う筋肉を切り刻めば、動きも鈍るし、その後の攻撃も効きやすい。
――ふらつき始めた。よし、そろそろか。
「リアン離れろ! フラム、1発頼む!」
フラムが巨炎を吐くと、 金巨蛇はよろけて倒れた。
大蛇の丸焼きかぁ……。『サバイバル食材』とか言って蛇を焼いて食ってる配信動画を前世で観たな……。
けど、アイツの硬い皮は剥げないからな。火だけじゃ調理は完了しない。
「京香! 大量の水で 金巨蛇の全身を覆ってくれないか?」
「任せて!」
京香は生成した水を操り、金属の巨体を閉じ込めた。
さっすが霊獣! フラムもだけど、出せる量がハンパねえ……。
「京香姉! 後は僕が!」
オリバーが京香の前に立って構えた。
「《毒付与》!」
水を溶媒にして、鱗の傷口から毒を全身に回す。
毒の付与なんてチマチマした作業は本来なら俺の役割なのに、瞬時に理解して代わりにやってくれたオリバー。
さすが星丘家の連携だ!
思わず目頭を熱くした俺を、シャオとシャルがニコニコしながら見上げている。
――可愛いっ!!
涼太郎だったら、これくらいの年の子供が居てもおかしくないんだよな。
……何だか親心みたいなものが生まれてしまった。敵の子供である可能性が高いのに。
いや、誰の子だろうと関係ない。俺が育てて、守り抜く!
密かにそんな決心をしながら、短剣を拾うオリバーを眺めていた。
B級以上の魔物はアイテムをドロップする。 金巨蛇がようやく絶命したということだ。
「ラミィが喜びそうな短剣だな」
「あはは! そうだね~」
「早く皆と合流しないとですね」
「ああ」
マジで急がないとな……。子連れだから歩いてきたけど、 ここからは2人を背負って走るか――
「ねえ、カノア兄ちゃん。僕達、大丈夫だよ。ゆっくりじゃなくていいよ」
「えっ?」
「急がなきゃでしょ? 僕達、走れるよ!」
「いや、でも……」
「僕達は宝玉狐だよ。お兄ちゃん達より速いと思うよっ」
シャオは得意げに鼻を鳴らすと、シャルの方を向いて話を続けた。
「シャルも回復魔法とこの森の空気のおかげで顔色が良くなったし、もう大丈夫だと思う! ね、シャル?」
シャオが訊くと、シャルは力強く頷いた。
「それとさ……」
「ん?」
「使って欲しいんだ。僕達の石の力」
「……っ!?」
「さっきの話……人間は魔力量が少ないんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「お兄ちゃん達は酷いことしないから!!」
色々思い出しているのか、目を真っ赤にして訴えるように俺の手を掴むシャオ。
「僕達の手を握れば、魔力をあげられるから! 僕達は無限に近い魔力を持ってるけど……それなのに、魔法なんて使えないしさ……。何で僕達だけ生き残ったのかなって……ぐすっ……生きてる意味が欲しいんだ。意味をください、神様っ……」
「……分かった。2人ともありがとう」
魔力とはまた違う、不思議な力が全身にみなぎるのを感じる。
日本で、“人々の敬いによって神様の力が増す”――みたいな考え方があったよな。そういう感じなのかな……
「本当にありがとう。……魔力、一回もらってもいいかな?」
頷いたシャオの手を握り返すと、彼が魔力を流し込んでくれた。
ああ……魔力が満ちる――
俺はシャルの手も握り、2人に加護を与える。
《神の呼吸――『加護』》
「これは感謝の気持ちだよ。君達が何か危険を感じた時、俺の名前を唱えて。必ず守るから」
「「うんっ!」」
「よしっ。じゃあ、出口まで一気に走るぞ!」
「はい!」
「「「うん!」」」
「あっ、あのっ……」
「ユリア、君ももうちょっと付き合ってよ。赦すから」
涙を流すユリアを仲間に加え、俺達は走り出した。