スズさん(短編29)
昼過ぎのこと。
スズさんのうちに一本の電話がかかってきた。
「おばあちゃん、オレ、オレだよ」
若い声が早口でまくしたてる。
スズさん、まさか相手がフリコメサギだなんて思いもしない。てっきり孫のヨシオだと……。
「ヨシオかい?」
「うん」
「あわててどうしたんだ?」
「ジコっちゃったんだよ」
受話器から半泣きの声が聞こえてくる。
「事故? それでケガはないのか!」
「ああ、オレの方はなんとも。でも、相手の人がちょっと……。それに車がこわれちゃって、すぐにお金がいるんだ」
「お金って、いくらだ?」
「百万。それで示談にしてくれるって」
「そうか、百万だな。それくらいなら、ばあちゃんがなんとかしてやる」
ふたつ返事でうけ負った。
なんといっても、かわいい孫が泣いてこまっているのだ。
「恩にきるよ、おばあちゃん。それでオレはここを動けないんで、代わりに友だちを受け取りに行かせるから」
「わかった。これから郵便局で金を用意して、家で待ってるからな」
「じゃあ三時に」
「ああ、わかった三時だな」
電話を切って時間を確かめると、十二時をちょっと過ぎたところだった。
郵便局で百万円を引き出しての帰り。
スズさんは行きつけの和菓子店に立ち寄り、お菓子の詰め合わせを買った。事故の相手におわびにと思ったのだ。
――ヨシオ、だいじょうぶやろうか?
家に帰ったスズさん。
ヨシオのことが心配で心配で居ても立ってもいられない。ずっとソワソワ、居間と台所を行きつもどりつしていた。
約束の三時。
若者が車で訪れ、ヨシオの友だちだと名乗った。
「ヨシオ君に頼まれてきました」
「お金は、この袋に。お菓子は、事故の相手の方に渡すもんやけど」
これっぽっちも疑うことなく、スズさんはその若者に和菓子店の袋を渡した。
「わかりました」
袋の重みを確かめるようにしてから、若者はそそくさと車に乗りこんだ。
走り去る車と入れちがいに、見なれた車が玄関前に止まった。
窓からヨシオが顔を出す。
「ヨシオ! なんでここに?」
「迎えに来たんだよ。おばあちゃん、今日は病院に行く日だろ」
「そんなことじゃなくて。だってヨシオ、事故を起こしたって」
「オレ、事故なんて起こしてないよ。そんなこと、だれが?」
「ヨシオじゃないか。昼過ぎに電話で」
「オレが? オレ、電話なんかしてないよ」
「じゃあ、百万いるってのは……」
「百万って、なんだよそれ?」
「事故の示談のお金だよ、すぐにいるからって。ついさっきオマエの友だちが受け取りに」
「それってサギだよ。お金、まさか渡してないよね」
ヨシオがあわてたようすで降りてきた。
このときになってやっと、スズさんはだまされたことにはじめて気がついたのだった。
「さっき、もう渡してしまったよ。なあヨシオ、どうしよう?」
「とりあえず警察に届けなきゃあ。もう少し、詳しく聞かせてくれない?」
「ああ、そうだね。とにかくおあがり」
居間のコタツに座りこんだスズさん。この世の終りとばかりに深いため息をもらす。
「ボケちゃったねえ」
「ねえ、はじめから話してくれない?」
「その前に、ちょっとお茶を飲みたいね」
お茶でも飲んで、気を落ち着かせたいのだろう。スズさんは台所に行った。
ところがすぐに菓子店の袋を手にもどってきた。
「ヨシオ、これっ! 袋、まちがえてたよ」
「どういうこと?」
「この袋と同じ袋があってね。まちがえて、そっちの方を渡したみたいなんだよ」
「じゃあ、お金はぶじだったってこと?」
「そういうことだよ」
スズさんは袋から、札束の入った封筒を取り出して見せた。
「よかったじゃない。で、渡した方の袋、なにが入ってたの?」
「おばあちゃんが漬けた、タクアン」
「なんでタクアンなんだよ?」
「今日、ヨシオが来ることになってただろ。だから渡そうと思ってな」
「で、これは?」
ヨシオが菓子箱を取り出す。
「和菓子だよ。事故の相手へのおわびにと買ったんだけど……ちょうどいい、お茶と一緒に食べような」
ボケた、ボケたと繰り返しつぶやきながら、スズさんはお茶の支度に取りかったのだった。