青い王冠のある部屋で電話が鳴るまで 1
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僕は北日本の国立大学を受験した。調べてみると、大学のキャンパスのある地方都市からローカル線で二〇分ほどのところに、穴場の景勝地と言えそうな砂浜があった。東京のようにコンクリートや人口砂浜ではない、自然の中での、おそらくは最高の環境の夜明け。僕にとってのタイミングもまた最高だった。なにしろ、独立の朝だ。
入試二次試験が、ねっとりとした熱気の充満した大教室で終わった瞬間、僕の頭はもう青の探求に切り替わっていた。
翌朝、夜明けより随分前にホテルを出た。始発のディーゼル電車で海へと向かう。砂浜の最寄りである田舎の無人駅で降りた。
二月の北日本は凍えた。鼻水がそのまま凍り付きそうに感じたほどだ。
それでも、どうということはなかった。
僕は十八歳だったし、それに興奮していた。
天気予報は快晴。今までに経験したこともないような青に満ちた世界が見られるかもしれない。いや、きっと見られる。
砂浜の手前、海と並行して遊歩道が続いていた。街灯が、いちおう形だけは設置しましたからね、とでも言いたそうな広い間隔を開けて、ぽつんぽつんと立っているだけ。あとは真っ暗だった。近くには人家もなく、その日は新月で、街灯と街灯の真ん中あたりではほとんど何も見えない。
僕がおそるおそる歩いていると、いつの間に、遊歩道の様子がじんわりと見えてくる。暗さに目が慣れたのだと思った。確かに、それもあったかもしれない。それだけではなかった。海の方に目を向ければ、海と空が一体化した黒に近い濃紺の中に、水平線らしきものが見え始めていた。色が、揺れるように変わり始めていた。
夜明けが来る。
僕は足を止め、海に身体を向けた。
世界が立ち上がろうとしている。
街の夜明け前とは違う。もっとずっと濃密な。時間をかけての紺のグラデーション。黒から紺へ、そしてブルーグレイ混じりの深い青へ。消え残っていた星々が順番に力尽きていく。
グラデーションは時間、加えて空の場所、二つの軸を持って様相を変えていく。水平線、その中央あたりを光源として、東の空からグラデーションが引き起こされる。水平線近くでは空にゆるゆると朱色が差し、それが紺と交じり合い、次第に紺を圧倒していく。でも、西の空にはまだまだ変化は届かない。
とてもゆっくりと始まった変容は、やがて加速し始める。東の空では下の方から白く強い光が朱色に代わり満ちるようになり、それが拡がり、青を溶かしていく。
西の空はいまだ深い紺のグラデーションを展開している。星々が瞬いている。それでもやはり東からの流れには従っていくしかないのだ。迷うことなく着実に、名残りの紺が薄れていく。
夜の闇と朝の光、その狭間に生じる、ほんの一瞬だけの移ろう紺のグラデーション。薄れ、消えていく儚い色彩の数々。この美しさは、いったい何だろう。
そうするうちにも一瞬ごとに、海が、空が、世界が色づいていく。幾億もの色合いに変化し溶け合いながら。
夜が明ける。
太陽が現れる。
波頭が陽光を弾きながら太陽と僕を繋げる。光が乱舞する。やがて世界は、圧倒的な太陽の光に支配されていく――。
震えていた。
寒さが足先、手指の先、鼻の先や耳にジンジン来ていたから、そのせいかなとも思ったが、あるいは圧倒的な自然に震えるほどに感動していたのかもしれない。
周囲の様子もまた明らかになり始める。レンガ色の石畳風の遊歩道は、比較的最近整備されたらしい。夏なら、アイスクリーム・カートが似合いそうだ。
アイスクリーム・カート……。
昔、こんなところで、アイスクリーム・カートでアイスを買ってもらって食べた。
アメリカにいた頃だろうか? それとも帰国した後?
僕は幼い頃、海が好きだったのかもしれない。こんなビーチに来て、アイスクリームを買ってもらい、食べたのかもしれない。でも、嫌いになったのかもしれない。嫌いにならなくてはと思ったのかもしれない。
よく覚えていない。忘れてしまおうと思ったのかもしれない。覚えていたくなかったのかもしれない。
それでもここでこうしていると、やっぱり、海が好きなように思えてくる。
僕は太陽がすっかり上ってしまうまで海を眺めていて、それから芯まで冷えた身体をさすりながら、駅へと戻った。
感動がじんわりと身体を満たす中、入試の手応えを反芻する。
これからこの地で、独り、思うように生きていくのだと思った。