1話 ご飯と左遷は突然に①
「うん! うまい! 肉汁がたまんないわ!」
「ローズ様。召し上がり方が大変汚うございます」
魔法で灯された黄金のシャンデリアがパーティ会場を照らす。豪勢な料理が並び、集まった人々は思い思いに歓談している。そんな中、深紅のドレスに身を包んだ銀髪の女性とそのメイドの二人が、夜の窓ガラスを背に話していた。
ここはクーディタス帝国首都、カルネオン。その王宮に、貴族の面々は集まっていた。
本来宮殿で行うパーティ正装はドレス、タキシードのはずだ。貴族なら誰もがそう教わる。
しかし、600年たった今もなお続く、魔族との戦争の只中。未だその最前線であり続ける帝国では、戦地に行くことこそが最高の名誉であり、それゆえに真っ白な軍服こそが暗黙の正装だった。
だからこそ彼女――ローゼマリー・フォン・クレンゲルのドレス姿は、会場でただ一人浮いていた。
「たまに出るおいしいご飯くらい食べないと損でしょ?」
「作法が汚い理由にはなりませんよ」
料理を大きな皿に盛りつけ、手あたり次第に食べまくるローゼマリー、もといローズは勢いよくソーセージを口に放り込む。
「そんふぁこふぉいわないふぇ」
「せめて飲み込んでから喋ってください」
ジト目のエルナとは対照的に、フォークで刺したソーセージを満面の笑みで突き出すローズ。
「ほら、エルナも」
「要りませんよ。私は仕事中です」
クレンゲル公爵家のメイドであるエルナ・メラーは深くため息をつき、周りを見回した。ローズもそれに倣う。
目を合わせようとしない貴族が大半、たまに寄こされる目のほとんどに侮蔑と嘲笑が浮かんでいることをローズとエルナは肌で感じていた。それに交じる同情的な眼差しは……おそらく同じ派閥の人々だろう。しかし彼らもあまり近寄ろうとしてこない。
「全く……貴族教育で教わるのは他人の見下し方なんですか?」
「私は教わらなかったわ」
「……知ってますよ。 もう、シャキッとしてください」
エルナはローズの背中を叩いた。んぐっ、と変な声を出して姿勢を正すローズ。
「あなたは第三皇子の結婚相手なんですから」
飯を食べているときの緩んだ顔から一転、スッと目を細めたローズは静かな声でつぶやく。
「……どうでしょうね。彼、従軍経験のない女はお嫌いなようだし。それに……」
「何か?」
「今日のナメ腐り方、普段よりもひどいと思わない?」
「……」
少しの沈黙の後、エルナは黙ってうなずいた。
今現在軍務についていないローズが帝国の社交界で舐められることは日常茶飯事だ。礼装としての軍服を持たないというのは、貴族の義務たる兵役を「自分の意思で」選ばなかった事実を意味する――そこにはローズなりの理由があるものの、周囲の人間はそれを知らないし、興味もない。
とはいえ、今日の距離感は異常だった。曲がりなりにも皇族の婚約者であるローズをここまで遠巻きにするのは不自然だ。
「何かあると?」
「たぶんね」
「これはこれは、ローゼマリー様。お久しゅうございます」
横から声を掛けてきたのは小太り中年の男。確か婚約相手の腰巾着の筆頭だ。他にも数人引き連れている。
名前は……何と言ったか。ローズはどうしても思い出せなかった。
が、それを表情に出す貴族は下の下だ。ローズは優雅に笑って見せる。
「あら、ご無沙汰しておりますわ。前線は大変でしょう?」
「いえいえ、案外のんきなものです。今は小競り合い程度で落ち着いていますから」
そう言って歯を見せる男。口調こそ丁寧だが、小馬鹿にしたように眦を下げている。
「各部隊に通達が行っております故、ご存知でしょう?」
「まあ、閣下。私のことはご存知でしょう?」
大げさに驚いてみせる男。
「おお、これはこれは。私としたことが失念しておりました。兵役から逃げた貴女様のには関係のない話でしたね。ご無礼をお許しください」
取り巻きがこれ見よがしに笑う。エルナの頬がわずかに引き攣る。ローズは穏やかな笑顔を張り付けたまま言い返さない。
失礼いたします、と笑いながら彼らが雑踏の中に消えると、ローズは扇で口元を隠してエルナに話しかける。
「……暇なのかしらね?」
「ええ、それはもうとんでもなく暇なんでしょうよ」
婚約相手の側近である男が、面と向かって主の女を侮辱するとは。ありえないことです、とエルナは顔をしかめた。
それからほどなくした頃。
「お集まりの諸君!」
突如、朗々とした声が響き渡った。一瞬にして会場が静まる。
パーティー会場正面にしつらえられた檀上に、自信に満ちた様子の黒髪の美青年が立っていた。親しみを感じる柔和な笑みを湛えている。
「絶えぬ戦の中、我らが帝国のために尽力する諸君よ。その黄金にも勝る時間に心からの感謝を」
自然と拍手が沸き起こる。それは少しずつ大きくなり、音の嵐になった。
「相変わらずすごい人気ね」
丁寧に飾り切りされたポテトを口に放り込み、ローズは独り言ちた。