二十、 また、会ってくれるか?
「そうしたいのは山々だが、ユリウスが皇帝になるのはまだ早い。あいつの戦争好きが治らない限りはな」
これでも兄上の戦争を止めているんだ、とでも言いたいのだろうか。
こんな馬屋で寝ていても、この男は皇帝だったんだな。
「それで、兄上のその病気が治る見込みはあるのか?」
男は黙り込み、ぐっと奥歯を噛みしめているようだった。
治せるものなら、とうにそうしている、か。
ダニーも、皇太子の戦争好きは帝国を危険にさらすと言ってたが、まさか皇帝も同じ想いだったとは。これじゃあ、ダニーが皇帝の命をねらう必要はないんじゃないか?
「そうだ、レオン。おまえが皇帝になるのはどうだ」
思わず吹き出す。
なんでそうなるんだよ。
ダニーも同じことを言ってたが。
「そんな晩餐のメニューを決めるかのような言い方ないだろ」
「うまいこと、言うな。リホン語の言い回しか?」
「知らねぇよ。とにかく、こんな場所とはいえ、めったなこと言うなよ」
「でもな、俺、一応この帝国の皇帝なんだよ。だから、こんなことめったなことでもないだろ」
「一応って言うな。かろうじてって言え」
「レオンは言葉にうるさいなぁ」
男が、大きな口を開け、目を細めて笑う。
皇族らしさのかけらもない笑い方。
でも、一度見たらまた見てみたいと思うような、気持ちのいい顔だった。
「でも、ちょっと考えてみろ。そうなりゃ国は安泰だろ。俺も狙われなくなる。皇后は、あのリホンの宝姫ってのはどうだ」
リホンの宝姫。
つまり、ラリサお嬢様のことを言っているのか。
「あのな」
どうして俺が皇帝になったら国が安泰になると信じてるんだよ。俺が兄上より戦闘狂だったらどうするんだ。
「いい考えだと思うだろ」
そりゃあ、お嬢様が伴侶になるというその一点だけはすばらしい夢物語だが。
「思わねぇよ」
語尾が小さくなってしまったのを、男は聞き逃さない。
「だめか? でもレオン、あのお姫様のこと、愛しているだろ?」
どうしてあの夜会、一瞬会っただけでばれてるんだよ。
「それと、これとは、話は別だ」
「そうか?」
「それに、どの口で俺を呼び戻すんだ」
「それは、本当に悪かった」
「もう、いい……わけじゃないけど、もう、いい」
この数時間で、この男が息子を追放し、妻を殺すなんてことができない人間だということはよくわかった。皇帝のくせに、そんなこととは一番ほど遠い人種だ。情に厚く、涙もろく、信念があるせいで逃げることもできないまっすぐな男だ。
「そうだよな」
皇帝ってのは、もっと自由だと思っていた。
でも、こうして数時間共にいるだけで、そうではないことが伝わってきた。
夜が明けた。
一睡もせず語り明かした俺と男は、同時にあくびをした。
「そろそろ行くよ」
「また、会ってくれるか?」
立ち上がって馬屋を出ようとする俺に、男の声が追う。
「なんでそんなこと、聞くんだよ」
振り返った先で、男は膝を抱えていた。
それがなんともおかしくて、抑えきれない。
「なんで笑ってるんだ」
「あんたと俺、親子なんだろ。会いたくなったらいつでも会えるさ」
男の答えず待たず、俺は馬屋を後にした。
よく晴れた気持ちのいい朝だった。
外がやけにまぶしく感じ、目を細める。
「お父上とはゆっくりお話できましたか?」
皇宮を出てすぐ、シハブとロジーナがどこからか現れた。
「あんなやつ、父親じゃない」
二人が顔を見合わせる。
「なに、笑ってるんだ」
「レオン様こそ、これまで見たことのないほどいいお顔されてますよ?」
ロジーナの言葉に、パッと口元を押さえる。もしかしなくても、口角が上がっていた。
「いらないこと言ってないで、ラリサお嬢様の元に帰るぞ」
こうして俺の「知人との再会」は無事に終わった。
あの男にはあぁは言ったものの、俺は兄上の動向をより調べてみることにした。これでは、ダニーの思うつぼだということもわかっていたが、何もしないにしても情報を集めておくことはしておいた方がよさそうだと判断したのだ。
「皆さま、もうお聞きになりました? このビベール語学学校に、あの皇太子殿下が短期入学されたとか」
語学学校のサロンで、俺は令嬢や令息に囲まれてお茶をすすっていた。
ラリサお嬢様は今日も図書館にこもってらっしゃるので、俺は俺でお嬢様に頼まれた情報の収集のため、お茶会に参加している。
「私も今日聞いたところです」
二人の令嬢の会話に、周りもうなずく。
皇太子が、ユリウス兄上がこの語学学校に入学した。ということは、今、この敷地のどこかにいるということだ。シハブから聞いてはいたが、もう噂になっていたとは。
学生達の語学を学ぶ動機や展望などを探るために今日もお茶会にやってきたわけだが、こんな話で終わるなら、もう帰りたくなってきた。
名無しには、ひきつづき兄上がどうして語学学校に入学することにしたのかを調査してもらっている。
「皇太子殿下ほどの方なら、どんな言語の家庭教師もついてくださるでしょうに……」
「そうですよね。やはり、ここで人脈をより広げようとされているのでしょうか」
皇太子なら、どんな言葉の家庭教師もつけることができる。
この言葉に、頭が真っ白になった。
血の気が引くとは、このことだ。
シハブに兄上の入学を聞いた時、どうして気付かなかったんだ。
「急用を思い出しましたので、今日はこれでお暇いたします」
いきなり席を立って驚く周りの反応も確かめず、俺は走った。
ラリサお嬢様の元に、急がなければ。
俺は、馬鹿なのか。
俺は、馬鹿だ。
皇太子がどうして語学学校にわざわざ入学したか。
それは、家庭教師を見つけられなかったからだ。
家庭教師どころか参考書もない、リホン語の。
先日の夜会から、この帝都にリホン人がいることは広まっていた。皇太子もそれを聞いただろう。
そして、この語学学校にラリサお嬢様が体験入学したことも、もう噂になっているだろう。
皇太子は、兄上は、お嬢様に会うために入学したんだ。
戦争好きの兄上。戦略は、徹底した敵情視察から始まると、帝都に来る前にシハブから聞いていたじゃないか。
どうして気付かなかったんだ。
兄上の次のねらいは、リホン王国だったんだ。
「ラリサお嬢様!」
駆け込んだ図書館の一番奥に、お嬢様はいた。
その隣には……真っ白な髪、赤みを帯びた金の瞳の、兄上がいた。
「あら、レオン」
乱れた息を整えつつ、ラリサお嬢様、そして兄上を交互に見る。
あぁ、俺は一騎士でしかないんだ。これでは、無礼極まりない。
「こ、皇太子殿下に、ラリサお嬢様の護衛騎士、レオンがご挨拶申し上げます」
膝をつき、肌で辺りをうかがう。周りには、誰もいないようだ。
さっき一瞬見たあの瞳の色。
兄上は少し緊張、あるいは興奮しているということだ。
「ラリサさんの護衛でしたか」
兄上の声はおだやかだったが、子どもの頃聞いたそれに面影はなかった。そりゃそうか、お互いに大人になったんだ。
「レオン、そんなに急いでどうしたの?」
「……虫の知らせがありまして」
まさか、皇太子がお嬢様に近付いていないか心配して、なんて言えない。
「ムシノシラセ、とは何だ? リホン語の表現なのか?」
「さようでございます。良くないことが起こりそうな予感、という意味でございます」
「皇太子殿下がいらっしゃったなら、杞憂でございました」
許可されていないので、俺は声しか上げられない。
「主人を何からも守ろうとする、良き騎士ではないか」
言葉を発していなくても、ラリサお嬢様が笑ったのが気配でわかる。
それにしても、いつから皇太子殿下とこんなに親しくなっていたんだ。
今日初めて出会った、といった感じではない。
話してもらえなかったことが、悔しい。いや、お嬢様にとっては話すほどのことでもなかったんじゃないか。と、いいように解釈する自分にも呆れる。
帰りの馬車で、俺はどうしても気持ちを抑えられず、ラリサお嬢様にそっけない態度をとってしまった。おまけに、
「皇太子殿下とレオンの地毛って同じ色ね。そういえば、瞳の色もちょっと似ていたような……」
なんておっしゃるものだから、頭をかきむしりたくなるのを抑えるのに必死だった。お嬢様は何も悪くない。悪くないのに。
その上、信じられないことが起こった。
ダニーのタウンハウスに帰って早々、シーナさんが血相を変えて玄関まで出てきた。腕には手に収まるほどの何かを抱えている。
「ラリサお嬢様、先程こちらが届いたんです……」
お嬢様と俺が息を飲んだのは、ほぼ同時だった。
シーナさんの手にあったのは、小さな箱。
ラリサお嬢様の瞳の色と同じ、ラベンダー色のリボンがかかった、リホン王国でしか買えないはずのチョコレート。
お嬢様が、毎年、明日の誕生日にもらっていたもの。
そう、婚約者だったリホン王国の王太子から。
これで第二部、完結です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第三部を執筆中ですので、しばらくお待ちください。
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