十九、 冗談だったんだけど
「帝国の警備も、ちょろいですね。リホン王国の方が、よほど厳重でしたよ」
どうしてそれを知っているんだ、とロジーナに聞きたくなったのをぐっとこらえ、先を急ぐ。
と、その時、見回りの兵が使用人棟の影からあくびをしながら歩いてくるのが見えた。
「やりますか?」
と、シハブ。
「いや」
俺はそう言って、傍の馬屋に入った。
「一人なら、私だけでも全然問題ありませんでしたよ?」
ロジーナが首をかしげる。
それはわかっていたが、息子が父親に会うためだけに赤の他人を巻き込みたくなかった。
「ほんとにおやさしいですね」
と、シハブ。薄ら笑いがやはり気に入らない。
「もうここからは俺一人でも大丈夫だ。二人は帰ってくれ」
馬はモソモソ牧草を食べているものもいれば、寝入っているのもいた。
「そんなぁ。こんなところで追い返さないでくださいよ、レオン様」
ロジーナがこう言った時だった。
馬屋の奥で物音がした。
サッと臨戦態勢になる二人。
「誰だ! 出てこい!」
シハブの声が響く。
「レオン?」
そう言って馬の背から顔を出したのは……
「サ? ……ち? ……こ?」
サイモンと呼ぶべきか。
父上と呼ぶ方がいいのか。
皇帝と言うのが正解か。
どの言葉も出てこない。
「レ、レオンなのか?」
ゆっくりと、その男が馬の体の影からこちらに姿を現す。
俺と同じ白髪。
俺と同じ金の瞳がこちらをとらえる。
「レオン様、馬屋の傍に控えておりますね」
シハブとロジーナは、小さな微笑みを残して出て行った。
しばらく、月光が差し込むうす暗い馬屋で、その男と顔を見合わせていた。
「なんでこんなところにいるんですか。この帝国の主たる人が」
大した運動もしていないのに、息が上がる。
体中の血がかけめぐり、どうにかなってしまいそうだ。
「近くに行ってもいいか?」
なんで皇帝ともあろう人が、そんなこと聞くんだよ。
もしかして、俺が報復しにきたと思ってるのか?
「勝手にしろ」
男が、ゆっくりと歩いてくる。
きらびやかな夜会での装いでもなく、傭兵の装備を備えた服でもなく、高級な寝間着姿の男が。
「俺に、俺に……」
気が付くと、俺はその父親の腕の中にいた。
「俺に会いに来てくれたんだよな?」
俺は小さい方ではない。その俺が、すっぽりと、胸の中におさまっていた。
「その『俺』に会いにきました」
皇帝シモンであろうと、傭兵サイモンであろうと、この男にまちがいない。どんな顔をもっていようと、この人だ。
「大きくなったな」
腕に力がぎゅっと入る。
「生きていて、生きていてよかった」
男の声が、肌をつたう。
「ありがとう、ありがとう」
涙の音がする。
重い、重い涙の。
「本当に……、よかった」
「ちょ、ちょっと苦しい……です」
「あぁ、すまなかった」
一瞬ふっと力がゆるんだが、まだ俺は解放されない。
「本当に、すまなかった」
「じゃあ、そろそろ離してください」
「ちがう。これまでのことだ」
俺の母親を見殺しにして、俺を帝都から追いやったことだろうか。
それとも、身分を隠して傭兵サイモンとして俺に近付いたことだろうか。または、先日の夜会で他人のふりをしたことだろうか。
黙り込むつもりなんてなかったのに、何も言葉が出てこない。
「許してくれなくていい」
そう。もう、許すとか許さないとかじゃない。
幼い頃リホン王国に命からがら辿り着いた俺は、生まれ変わったんだから。
過去と決別はできないけれど、この男が肉親とは頭では理解しているけれど、まだピンとこない。
「生きてさえいてくれれば、それでいい」
生きてさえいれば、か。
男の体は、熱かった。
人の肌に包まれるのがこんなに温かいなんて、知らなかった。きっとこの感覚は本来、幼子の時に親から伝えられるものだろうが、俺は今になってしまったようだ。
この男が「サイモン」として会っていた時もハグは何度もしてもらったけれど、その時はこんな風には思わなかった。嬉しかった記憶はあるが、相手の気持ちをきちんと理解した上でなかったからかもしれない。
「あぁ、でもやっぱり、元気でいてほしい」
ラリサお嬢様のおかげで、俺はこの約十年、病気知らずできた。
この男も俺と再会するまで元気でよかったと、心から思える自分に驚いた。
「やっぱりできれば、贅沢はできなくても人並みの生活はしてほしい」
「注文が多いな」
二人同時に、フッと笑いが漏れた。
それから俺は、馬屋に座り込み、身の上話を一晩中つづけた。
この男のことも多少はわかったが、男が俺の話を聞きたがるその情熱に負けて、俺の質問はほとんどあやふやになってしまった。
けれど、これだけは聞かなければならない。
「なんでこんな馬屋なんかにいるんだよ。それも真夜中に」
「それは……」
「それは?」
「レオン、俺は立派な皇帝でも何でもない。生き延びるのがやっとの情けない父親だ」
「そろそろ質問に答えろ」
しばらく間をおき、男はやっと話し始めた。
「狙われてるんだよ。だから、自室で眠るなんてことできなくてな。まさか皇帝が馬屋で寝てるなんてことは、皇宮の者はまだ誰も気づいちゃいない」
男は侍従が去るのを待ってから、毎日自分の寝室から抜け出し、この馬屋で寝起きしていたらしい。朝には部屋にいないとあやしまれるから、いつも早朝に戻っているんだとか。
「呆れたか?」
「いや、別に」
父親が立派な人であってほしいなんてことは、露にも思ったことはなかったし。
「そうか……」
「それで、その刺客はどいつから送られたものか、わかってるんだろ」
さっきからいくら多岐に渡る質問をしてもはぐらかされているのは、全てここに関わっているからだろう。
「わかってるさ」
聞いても、答えてくれるとは思えなかった。
こんなしょぼくれた顔を見に来たわけではなかったのに。と思いながらも、俺はどこか安心していた。
この男は、サイモンそっくりだ。サイモンなんだからサイモンなんだが。つまり、この男の素は傭兵サイモンだったってことだ。
「逃げちゃえば? 俺みたいに」
ちょっとからかいたくなった。
ラリサお嬢様の寝言を思い出したからだ。
「どうせ命を狙われてるんだったら、こんな城にいるより、帝都を出て、自由にすればいいじゃないか」
傭兵サイモンは、いつもいきいきとしていた。満点の星や荘厳な滝を見ては人一倍大げさに喜んで、周りを呆れさせるくらい。
「それ、いいな」
「えっ?」
「なんで今まで気が付かなったんだ。そうだよ。そうだよな」
男はあご髭をワシワシと手でとかす。
金の瞳が燃え上がるように、輝き始めた。
「冗談だったんだけど」
それにしてもこの馬屋、馬屋にしてはきれいすぎないか。
さすが皇宮の馬屋と言えばそれまでかもしれないが、しみついたような匂いがしない。まるで、皇帝が寝に来ていることをここの馬屋番が知っているかのような清潔さだ。
「なんだ、俺といっしょにまた逃げてくれるとばかり」
はぁっと大きく長いため息が出る。
どんな再会が理想かなんて考えたことはなかったが、絶対にこの状況ではない。それもこれも、この男が、本人も自覚があるようだがなんとも情けないからだ。夜会ではあんなに威厳たっぷりにふるまっていたというのに。
「兄上は、知らないのか?」
……この男が毎晩のように命を狙われていることを。
「ユリウスか……」
ユリウス。
そういえばそれが、兄上の名前だった。
「ユリウスは、俺のことを疎んでいるんだ」
男の視線が、フッと下がる。その瞬間、本当にこの男は兄上の父親でもあるんだな、と思った。
「よく会うのか?」
「いや、あいつは戦争三昧だからな。帰ってくる度に、そろそろ退位してはと遠回しに言ってくる」
「退位すれば、命はねらわれないんじゃないのか?」
おそらくこの男の命をねらっているのは皇后で、その皇后も早く息子を皇帝にしたいがためだということは易々と想像できる。望みが叶えば、肉親であるこの男の命まではとらないかもしれない。
男が、ふうっと大きく息をついた。




