十四、 その方は、どなたですか?
初めての夜会の夜は、眠れなかった。
ラリサお嬢様を自室へ送り届け、ダニーのタウンハウス内をあてもなく歩き回る。
もう使用人も自室に戻っている時間。
昼間は温かな日差しが差し込む回廊も、今はひんやりとしている。
名無しのリーダー、シハブに問い詰めようかと思ったが、中庭からの風に吹かれていると、そんな気持ちはなぜか消えていた。
俺が詰問したところで、何になる。
どこまでを知っていて、どのような意図で俺に告げなかったのか。
シハブはシハブなりの言い訳を考えているだろうが、正直どうでもよくなった。
今は、もつれにもつれた俺の心情の雑音にしかならない。
皇宮で生まれ、五歳まで会うこともなかった父親。
幼い息子を、実質捨てた父親。
その父親が身分と名を隠し、「サイモン」と名乗って俺の逃避行を自ら支援していた?
そんなこと、ありえるか?
帝都からベリーまでは、何カ月もかかった。
その短くない期間、王座を開けたままにしていた?
やっぱり他人の空似だろうか?
けれど、もし愛情あふれる父親だとすれば思い当たる節が多すぎる。よく抱き上げてくれた腕や、俺にこっそり好物を残してくれた気遣い、そして今も頭に残る当時教わった様々な知識。全てが肉親なら自然に感じるものばかりだ。
今日会った、皇帝のあの反応。
あれは、うっかりグラスを落としたわけじゃない。
あれは、「リホン」という言葉に反応したわけでもない。
俺という存在を感じた、ということだろう。
いくら髪を染めていても、瞳は隠しきれなかったはずだ。自分が同じものを持っているものなら、気付くかもしれない。
いつの間にか、タウンハウスの最上階のバルコニーにやってきた。
泣きたいような、笑いたいような、そんな気分だ。
今更、父親なんてどうでもいいし、今後の俺の人生に必要ないものだとわかっているはずなのに、どうしてか完全にはそうは思えない。
誰かに話を聞いてほしい。
でも、誰もいない。
忠誠を尽くすという「名無し」の誓約は、俺が心を許したという約束ではない。
ラリサお嬢様には、とてもじゃないけれど、できない。
「名無し」にダニーにシーナさん、そして最愛のラリサお嬢様、いろいろと思惑はあるだろうが、人として敬意を表する人間ばかり俺の周りにいるのに。それなのに、どうしてこんなに俺は孤独なんだろう。
話したい。
叫びたい。
けれど、そんなことできない。
父親というより、サイモンの笑顔が頭にちらつく。
関わる人が増えた方が、孤独なんてな。
ずっと、こうなのだろうか。
このまま、こんな気持ちを持ったまま生きていくのだろうか。
実はもう、気付いている。
ラリサお嬢様を愛しているのはまぎれもない事実で、嘘偽りは一つもないけれど、その真実で、己の孤独を埋めているということ。
こんな状態は、もしかしなくても、お嬢様にかなり失礼なことだな。
「レオン様、どうされましたか?」
バルコニーの傍の大木から、声がした。
ロジーナだ。
今日もラリサお嬢様の護衛として傍にいたんだろう。
「どうもしない」
そう、どうもしない。
何も変わってなんか、いない。
たとえ、あの人の息子という肩書を無視できなくなってしまったとしても。
「お傍に寄ってもよろしいですか?」
何か内密に話すことでもあるんだろうか。
今夜の夜会の後だ。何か俺に言うべきことがあるのかもしれない。シハブに何かしら言付かっているとか。
静かにうなずくと、黒いローブに身を包んだロジーナが、バルコニーの手すりに舞い降りた。
「レオン様、今日の夜会はいかがでしたか?」
音もなく、俺の横に降り立つ。
「聞くな。全部見てたんだろ」
「見ておりましたが、レオン様のお心まではわかりませんから」
そりゃそうだ。
そうだろうけれど、聞いてどうする。
「そうだな……」
いざ、言葉にしようとすると、何も出てこない。
初めて父親として父親に会って、驚いた?
サイモンかもしれないと、嬉しかった?
「悲しませてしまったこと、深くお詫び申し上げます」
ロジーナが膝をつく。
俺は、悲しかった、のか?
そうか。
悲しかったのか。
これまで関われなかったことに。
何の兆しもなくこんな形で再会したことを。
「穏やかにお過ごしになりたいと、先日おっしゃっておりましたのに」
そういや、そんなことを名無しのあじとで話したな。
その瞬間、皇帝の顔が思い出された。
一筋涙を流した、父親の顔を。
今の俺と同じ気持ちだったのかもしれない。
「いや、いい」
「レオン様……」
「だが、シハブには文句の一つも言いたい。シハブはどこにいる?」
「シ、シハブ様は……」
珍しく、ロジーナが口ごもる。
「レオン様、御髪に木の葉が……」
サッと立ち上がり、俺の頭に手を伸ばすロジーナ。
はぐらかしたな。
と、思った瞬間だった。
「レオン?」
聞きなれた愛しい人の声に、パッと振り返る。
そこにいたのは、夜着にブランケットを羽織っただけのラリサお嬢様だった。
さっきまで感じなかった冷たい夜風が、顔面に貼りつく。
「ラリサお嬢様……、どうしてここに?」
まずい。
「その方は、どなたですか?」
サッと、視線を戻す。
ロジーナ。
どうして、まだここにいる?
ここは、バルコニーから消えるところだろう?
「夜は冷えますから、お部屋でお話ししたらどうかしら?」
まずい、まずい、まずい、まずい。
「いえ、私はもうこれで……」
ロジーナの、か細い声。
「ラリサお嬢様、こいつは……いえ、この方は……」
どう取り繕おう。
「名無し」のことは、ラリサお嬢様には……。
かと言って、こんな夜更けに俺の客だなんて言えない。
「きれいな方ね。よかった。帰りの馬車で、いつものレオンじゃなかったなと思って話を聞きたくて探してたんだけど、大丈夫そうね」
ラリサお嬢様はこれだけ言うと、バルコニーを去っていった。
絶望的だ。
「レオン様、申し訳ありません……」
と言うものの、ロジーナはどこか嬉しそうだ。
「なんで姿を消さなかった?」
俺が、大丈夫?
むしろ、事態が悪化した。白目をむきそうな気分だ。
「宝姫のあまりの美しさに目が離せなくて……」
だからそんな顔なのか。
けれど、こう言われると、もう何も言えない。こんなにも近くでお嬢様を目にしたのは、初めてだったのかもしれない。
そうだ、ロジーナは名無しの中でも一番のラリサお嬢様のファンだった。
「どうすんだよ……」
さっきから何回目だろう。
長いため息がもれる。
ラリサお嬢様のあの口ぶりからすると、大きな誤解をされた。
ロジーナは俺の恋人で、人目を忍んで夜更けに会っていたと。
「すみません……」
ほんとに、どうすんだよ……。
今日の夜会の前、チリス子爵邸の庭で、うっかりとはいえ、俺はお嬢様に「大好きです」と言ったんだぞ。その直前には、額にキスまでした。
これじゃああの言葉が、口づけが、完全に「人としての好意」みたいになるじゃないか。
「宝姫に、きれいって言われちゃった……」
ロジーナ、お嬢様にお言葉をいただいて嬉しいのはわかるが、今はそんなことより考えるべきことがあるだろ。
朝食後、ダイニングから自室まで送る間、ラリサお嬢様に質問攻めにされた。
「昨日のあの方の瞳、ブルーサファイアみたいでとってもきれいだったわね。どこで出会ったの? お名前は何ていうの?」
シーナさんはブリンス料理を習いに厨房へ行っているので、二人だった。
「ロジーナ……さんといいます。ラリサお嬢様がお考えになっているような関係ではありませんよ」
ここは、ちゃんと言っておかなければ。
「照れなくてもいいのに」
照れてるんじゃなく、困ってるんです。
「そういうのじゃないです」
「でも、いい雰囲気のように見えたけど?」
それは、ロジーナがおせっかいにも頭の木の葉を取ったところにお嬢様がやってきたからであって……。
「気のせいですよ」




