十二、 やはりリホンからお越しになったのですね
「レオンのお母様の……」
俺が母親にしてもらったことで覚えているのは、もうこれぐらいだった。きっと、俺の中では一番いい思い出なんだろう。
「僕はいつだって、ラリサお嬢様の味方ですから」
俺を捨てるように突き放した母だったが、今はもう理解している。あれは、俺を逃がすため。共に処刑されないためだったと。いつもヒステリックに叫び、俺にほとんど執着がなかった母だったが、額にキスしてくれた時だけは、母は母だったと信じている。
いきなりこれまでしてこなかった母の話なんて持ち出して、どう思われただろう。
「ラリサお嬢様?」
恐る恐るうかがうと、ラリサ様は微笑んでいた。やっと、いつものお嬢様が戻ってきた。
「それじゃあ私は、無敵ね」
無敵。
お嬢様の言葉に、顔がカッと熱くなる。
お嬢様に落ち着いていただきたくて言ったことなのに、こっちが落ち着かなくなるとは。
それは、こっちのセリフです。
ラリサ様がいれば、俺は無敵になれるんです。
顔の筋肉が、総動員で持ちあがる。
あぁ、きっと俺は、ラリサ様にこうしてキスするために、母から額へのキスを受けていたんだ。
「私、変なこと言ったかしら?」
目を丸くするラリサお嬢様。
それが、かわいくて、かわいくて、かわいくて。
人影のない庭園。
ギュっと抱きしめたくてたまらなくなるのを抑える。
この感情を何と言うのだろう。
そうだ。
愛おしい。これだ。
「いいえ、ありがとうございます。ラリサ様、大好きです」
あ……。
つい、口から出てしまった。
体が熱くなって、秋だというのに汗がにじみそうだ。
「さ、まいりましょう。まだパーティーに間に合いますよ」
こんな形で告白するつもり、なかった。
でも、言ってしまったものはしかたない。
けれど、取り繕うなんてできないし、それもしたくない。
それに、今はパーティーに行かなくては。
今日はラリサお嬢様の大事な日なのだから。
「レオン、もう一回言って。ちゃんと聞こえなかったわ」
お嬢様、それ、しっかり聞いてたでしょ。
顔がカッと熱くなり、それを隠したくて、俺は手袋をはめ直した。
「会場に入る前に、お化粧室に寄ってからまいりましょうか。俺は外で待ってますから……」
あ……。
あー。
あせって、つい、素が出てしまった。
これも、今さら取り繕えない。
まばたきを繰り返すお嬢様の手を引き、俺達は立ち上がる。
さっとマントを羽織り、身なりを整えた。
「レオン……えっ? えぇっ?」
そんなに驚くことですか。
驚かせたくないとか言いながら、やらかした。
いや、うん、まぁ、あぁ……。
「こちらでございます」
でも、悪くない。
俺の言葉であたふたしてくれるお嬢様を見るのは。
これで、やっと始められるだろうか。
俺の恋。
そして、俺達の社交界デビュー。
チリス子爵邸の夜会会場に、ラリサお嬢様と共に入る。
「リホン王国シビリテル公爵家騎士レオン様、及びラリサ・アリアナ・シビリテル令嬢のご入場です」
聞きなれない名のアナウンスだったからか、会場中の貴族達がこちらを見ている。
「今、リホン王国って言いませんでした?」
「そう聞こえたが……」
「リホンって、あのリホンのこと?」
「えっ、あの宝島から?」
すぐにこんな囁き声が聞こえてきた。
ラリサ様と俺が大階段を一段、また一段と降りる度に、騒めきは大きくなる。
「ご覧になって。なんて美しいお嬢様なの」
「あのご令嬢、宝姫にそっくりじゃないか?」
「あの騎士様も麗しいわね」
「あのドレス、どちらのかしら。すてきね」
やはり、ラリサお嬢様は入場して数秒で注目の的になったようだ。
わかっていたことではあったけれど、どうにも心が落ち着かない。
「レオン、これが帝国の社交界なのね」
隣でラリサお嬢様が、そっとつぶやく。その微笑みに、さっきまで涙していた影はなく、ホッとした。
「華やかでございますね」
天井からのシャンデリアがキラキラ輝き、ここまで豪奢なものはリホンでは見たことがなかった。
「まずは、チリス子爵様にご挨拶したらいいのかしら?」
今日は、ダニーの代理で来ているしな。
「そういたしましょうか」
そうして俺達が辺りを見回した時だった。
「お初にお目にかかります」
「リホン王国からいらしたというのは、真でございますか?」
「ようこそいらっしゃいました」
わらわらと、周りに人が集まってきた。
「もう一度、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
その中の、一番恰幅のいい男性と、目が合った。年は四十半ばといったところだろうか。
「リホン王国から参りました。騎士のレオンと申します。こちらはシビリテル公爵令嬢、ラリサ様でございます」
ラリサお嬢様と同時に、リホン式の礼をする。
辺りから、おおっという歓声が上がった。
「やはりリホンからお越しになったのですね」
「なんとまぁ」
「私、リホンの方にお目にかかるのは初めてです」
女性達が、ラリサ様と俺を、しげしげと見つめる。確かにリホン人は珍しいだろうが、そこまで凝視しなくとも。
「よくお越しくださいました、ラリサ令嬢、レオン卿。私はチリス子爵家当主、オリバー・チリスと申します」
「チリス子爵様でいらっしゃいましたか。こちらからご挨拶に行くべきところを、ありがとうございます。お目にかかれて光栄でございます」
ラリサお嬢様の高すぎることも低すぎることもなく、よく通る美しい声に、ほうっというため息が聞こえた。
「こちらこそでございます、ラリサ令嬢。流暢なブリンス語に驚きました。私など、リホン語のご挨拶の言葉も存じませんで、申し訳ない」
ラリサお嬢様の笑顔に、チリス令息の頬がほんのり赤くなる。これが正常な反応だと頭では理解しているものの、心は納得しないのが辛い。
「とんでもございません。まだまだ勉強中の身でございます。失礼をしないとよいのですが……」
「ご指導くださいますと、幸いでございます」
俺のブリンス語は、リホンで勉強はしたものの、五歳までしかいなかったのだからネイティブとは言い切れない節があった。それに、俺はブリンス帝国から逃亡した身だと知られるわけにはいかない。少し下手なくらいでちょうどいいかもしれないな、とも思った。その方が、いいたいことを述べられそうだし。
「ベリー領主、ダニエル・フストリド様から、くれぐれもよろしくと言付かっております」
ラリサお嬢様も、俺と同様に今日が社交デビューのはずなのに、どうしてこうコミュニケーションがお上手なのだろう。間の取り方、笑顔の向け方、どこをとっても惚れ惚れとするほどだ。
……あぁ、妃教育で仕込まれたんだろう。
「こちらからもお礼を申し上げたい。フストリド辺境伯には毎度良いお取引をさせていただいて、しかも今回はこのようにすてきなお客様とのご縁までくださって、感謝しております」
そのご縁とは、俺のラリサお嬢様との、と言いたいんだろうか。
俺達は、ダニーの代理として来たに過ぎないんだが。
「お兄様、ご挨拶はそれくらいにして、私も紹介してくださいませ」
ふとチリス子爵の横に目をやると、ふっくらした頬がそっくりな小柄な女性が声を上げた。
「そうだったな。私の妹、チリス子爵の妹、アンヌです。お見知りおきを」
年は、ラリサお嬢様のご両親くらいだろうか。
「仲良くしてくださいませ、ラリサ様、レオン様。ラリサ様が私のお友達になってくださると嬉しいですわ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。帝都に来て初めてのお友達、とても嬉しいです」
「まぁ、ほんとですの? 帝都での初めてのお友達だなんて、光栄だわ」
ラリサお嬢様は、笑顔を崩さない。
その笑顔に、あれよあれよと話す人みんながお嬢様のとりこになっていくのが見てとれる。
「お兄様、今日は特別なお客様はお一人だけかと思ってましたのに、こんなすてきなはじめましての方が二人もお越しになるなんて、知りませんでしたわ」
「昨夜の晩餐で、言ったつもりだったんだが……」
特別なお客?
リホン王国からのラリサお嬢様と俺より?
世界的な吟遊詩人でも呼んだのか?
それとも上級貴族でも来るのか?
「特別なお客様とは、どなたのことでしょう?」
ラリサお嬢様も気になったようだ。
「それは……」
その時、ラッパの音が会場中を揺らした。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。




