九、 本気なんだな
「そろそろシーナさんが起きて、お嬢様がいないと探し回りますよ」
「……それは、大変だわ」
お嬢様は苦笑いを浮かべ、俺の手をとった。
いつまでも握っていたくなる、温かくて小さな手。
この手を自分の頬に当てたら、どんな感じだろうか。
想像するだけで、体中が沸き立つ。
お嬢様は、どんな顔をされるだろうか。
俺にも、顔を赤くしてくださるだろうか。
……そんなこと、できないけれど。
そかれからしばらく経った。
ある夏の日、ラリサお嬢様とシーナさん、俺の三人は領主邸に呼び出されていた。
ブリンス帝国の秋は、社交シーズンだ。
ダニーは、お嬢様の社交界進出を手伝いたいと言ってきた。
帝都。
俺が生まれ、命からがら逃げだした都。
できれば、避けたかった。
一生、戻りたくはなかった。
けれど、ダニーの言うとおり、帝都に行けばお嬢様の語学教室を大きくできるかもしれない。貴族の賛同を得られれば、語学学校開校だって夢じゃなくなる。
ラリサお嬢様の座るソファの後ろから、ダニーをキッと睨む。
ダニーは知っているはずだ。
俺にとっての帝都を。
なのに、この提案だ。
それに、最近は、そろそろ宿を出て居を構えようと、家探しをしていたところだったのに、出鼻をくじかれた気分だ。せっかくエイブリヒ殿下が先日帝都へと発って、一安心していたところだったのもある。
「お供いたします」
けれど、こうおっしゃったお嬢様の決断に、何も言うことはない。何より、お嬢様にはやりたいことをしていただきたい。
あれから十年以上経ったのだ。
帝都は広いし、俺はお嬢様の護衛でしかない。たやすく俺の正体がばれるなんてことは、ないだろう。
帝都までは、ほとんどが汽車の旅だった。
真ん中の二両が領主専用の個室のようになっていて、俺達は快適に一週間ほどを過ごすことができた。一両は淑女とその侍女、もう一両はダニーと、俺も使わせてもらった。おそらく名無しも、同じ汽車に数人は乗っているだろうが、シハブに確認はしていない。
ラリサお嬢様は、ダニーの妹イザベル嬢と本の話に花を咲かせているので、俺は昼もダニーと同じ車両にいることが多かった。
汽車の揺れにも慣れてきた頃、周りに侍従がいないことを見やってから口を開く。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか」
俺を皇帝にしようとする本当の理由。
そして、兄上が皇帝の器でないと思う根拠。
「俺の両親が殺されたのは、ご存知ですよね」
さっきまでの軽口を正すダニー。
「野盗に襲われたと聞いたが」
「真実は、ちがったのです」
「ちがった?」
ダニーが、息を一つついた。
「はい、野党に見せかけた、陰謀だったのです」
つまり、偶然ではなかった、ということか。
「いったい、誰の……」
黙り込む、ダニー。
「まさか」
「その、まさかです」
皇帝である、父上、か。
名無しに調査させて最近知ったのは、俺が生まれた頃、皇帝はベリー領の独立を疑っていたというのだ。だからと言って、まさか領主負債に直接手をかけるなんてことをするとは想像もしていなかった。
ハッと、大きなため息が俺の口からもれる。
つまり俺は、ダニーの両親の仇の息子、ということか。
「何て申し上げていいか……」
言葉を正すのは、俺の方だった。
「いえ、皇子殿下のせいではございませんから」
ぐっと拳を握り締めるダニー。
「本心でございます」
それでも、いくら顔も覚えていない父親でも、肉親なのだ。
俺なら、許せるだろうか。
自分の家族を殺した家族が目の前にゆったり座っているという現実を。
でも、だからと言って、ダニーの言いなりになるわけにもいかない。
「兄上が皇帝の器でないと思われる理由もお聞かせくださいませんか」
俺は、知っているようで、何も知らないのかもしれない。
「皇太子があちこちに戦争を仕掛けているのはご存知ですか」
それは、毎日のように新聞で見ていた。
兄上は、この帝国ではまさに「英雄」であり、国民からの好感度は高かった。妄信的な支持者もいるとかで、現皇帝よりも人気があるとか大衆雑誌では騒がれていた。それに多少違和感を覚えながらも、もうよそ者の俺には関係ないと、淡々と受け止めていたんだが……。
「俺が帝国にいた時より、領土がずっと広くなったとか」
ここは、言葉を選ばなければならない。
俺は、試されている。
「皇子殿下は、それについて、どう思われますか」
ほら、な。
どう思うか……。
かつて、木彫りのくまを握りしめていた兄上しか記憶にない俺としては、兄上がこうも戦争をつづける理由も意味もわからなかった。今のところ、ほぼ全勝しているというが。
あの天真爛漫で、好奇心旺盛で、やさしい兄上が、皇帝を差し置いて「戦の王」と言われるまでになるなんて。「白い魔王」とも呼ばれているらしいが。
「領土を広げることを悪いこととは思いませんが、帝国の内部にもう少しでも注力すべきかと」
「それ!」
声を上げるダニー。
「それなんだよ!」
「と、言いますと?」
「この十年で、帝国の貧富の差は顕著になった。皇太子時代でこの有り様だ。皇太子が皇帝になればどうなる? 戦争ばかりして隣国の恨みを買って、勝利するのはいいがその利益は民にはあまり回らない。殉職した兵の家族への補償もないに等しく、このままでは内戦にもなりかねない状態だ」
なるほど。
そして、恨みを真っ先に買うとすれば、ダニーが治めるベリー領のような、辺境領だろう。
なんにしろ、ダニーが父である皇帝に復讐心があることは、よくわかった。
俺は、どうするべきだろう。
俺は、俺を捨てた父を特別何とも思っていない。
自分の子一人どうにかできないで何が皇帝だ、と思わなくもないが、そもそも、顔も知らないのだからいないも同然なのだ。
ダニーが皇帝に報復するつもりなら、それを止めるつもりはさらさらない。
けれど、手を貸すかと問われれば、話は変わってくる。
まず、ラリサお嬢様を危険にさらしかねない。
そして、皇帝からその玉座を奪ったとて、その後がまた……端的に言えば、面倒くさいことこの上ない。ダニーの物言いからすると、俺を皇帝の座にすえようとするだろう。そんな不自由な生活は、ごめんだ。
「レオン、俺の話に乗らないか」
ダニーが、声を落とす。
「考える時間がほしい」
「帝都にいる間に、俺は動くつもりだ」
「本気なんだな」
「国をひっくり返すほどのことだからな。俺は、俺を守ってくれたベリー領の領民達を、帝国から守っていきたいだけだ」
この十年ほど、俺もリホンでいろいろあったように、ダニーも周りに支えられてここまできたんだろう。
それから俺達は、帝都までこの話をすることはなかった。
帝都では、ダニーのタウンハウスに滞在した。
ダニーはいつの間にか無精髭を剃り、一気に五歳は若返っていた。社交界仕様のダニー、だった。
「領主様、めちゃくちゃかっこよくなったと思いません?」
帝都でのお使い中、シーナさんが声を弾ませる。それを、俺に言われても。
「帝都仕様のダニエル様、という感じですよね」
こう言って笑って見せた。俺は、髭面のダニーが気に入っていただんだけれど。
久しぶり……というより十年以上ぶりの帝都。
街並みは、記憶と驚くほど変わっていなかった。
あいかわらずのにぎわい。活気。
「帝国の帝都にいるなんて、夢みたいだわ」
紙袋をいくつも抱えながら、あっちを見たりこっちを見たり、忙しそうなシーナさん。
「そんなものですか?」
でも、死ぬまで海外へ出る人がほとんどいないリホン人にとっては、異国は異世界みたいなものだもんな。
「もっと寄り道したいところだけど……タウンハウスに帰りましょうか」
シーナさんがそう言った瞬間だった。
人が、ざわつき始めた。
遠くから、ラッパの音も聞こえる。
「何かあったのでしょうか?」
「もしかして、お祭り⁉」
俺の胸にひろがる不安をよそに、シーナさんはワクワクしている。
「ちょっと見に行ってみましょうか」
「そうしましょ、そうしましょ。ラリサお嬢様にもお伝えしなきゃっ」
シーナさん、この時期に祭りなんてあるわけないんですが……。それでも、住民達に慌てた様子はない。
ラッパの音が、近づいてきた。
人々が、ばらけて道の端に寄り始める。
「皇太子殿下、万歳!」
隣に立っていた男が、急に叫ぶ。
胸のどこかが、ヒュっと音を立てた。




