七、 冗談ではなかったんですが
「それでは、親愛なる騎士レオンに向けて……」
エイブ殿下の歌が始まった。
その、迫力のあることといったら。アカペラなのに、声が重層的に聞こえる。
おそらく幼少の頃から歌ってきたのだろう。低音も高音もはずすことなく、イリアの独特な歌を歌いあげた。
この歌は、どんな意味があるのだろう。
俺はイリア語はわからない。
そっと、ラリサお嬢様の様子をうかがう。
お嬢様は、うっとりした瞳で殿下を見つめている。
それもしかたない、と思えるほどの歌声ではあるが。
ほんの少し、自分にしかわからないほどの角度、俺はうつむいた。
「すばらしかったです」
歌が終わり、ラリサお嬢様、シーナさん、そして護衛のサフマドさんが拍手を送る。俺もあわててそれにつづく。
「ラリサお嬢様、どういった内容のお歌だったのですか?」
シーナさんが、俺が聞きたいことを尋ねてくれた。
「一言では表しにくいけど……騎士を風や土や緑に例えた美しい歌だったわ。仕える君主への敬愛が心に響く、やさしくもありながら凛々しさまでも感じられる曲ね」
余韻にひたっているのか、お嬢様はふうっとため息をついた。
「そうなんですね。レオンにぴったりなお歌を選んでくださるなんて、さすがエイブリヒ殿下でございます」
シーナさんの言葉に、お嬢様も深くうなずく。
そんなに立派な歌を選んでくださるとは、思っていなかった。
「エイブリヒ殿下、すてきな歌を、ありがとうございました。忘れられない誕生日となりました」
「気に入ってもらえて、よかった」
俺の言葉に、殿下が静かに微笑む。
「ところで、ラリサさん、あれは楽器ですよね? 何というものなのでしょうか?」
すぐに会話は移り、立てかけてあったリホンハープに殿下は目をやった。
「あれは、リホンハープでございます。エイブ様がまだお時間よろしければ、さきほどのお返しに一曲、披露させてくださいませ」
「ラリサお嬢様⁉」
本当は、歌は俺がいただいたのだから、お返しは俺がすべきだった。リホンでは音楽には音楽で返すのが礼儀なのだ。
「いいのよ、レオン」
リホンオルガンがあれば俺も及第点の演奏ができたろうが、帝国には……この宿にはなかった。
「ぜひ、聞かせてください」
キュっと口角を上げる、殿下。
シーナさんがリホンハープを運び、ラリサお嬢様の演奏が始まった。
何の曲をされるのだろうかと思ったら、俺が一番なじみ深い、そして一番好きな歌だった。長い前奏の後、お嬢様の歌声も曲に乗る。
エイブリヒ殿下へのお返しの演奏であっても、それがたまらなく嬉しかった。
けれど、それを顔に出さないように、視線を窓の外に移す。もうすっかり夜だった。
リホンにいた頃、シビリテル学園に入学されるまでは、お嬢様は毎日のように俺に聞かせてくれたリホンハープ。王太子に聞かせるための練習だとわかっていても、目の前でひいてくれた時間は俺だけの至福の時だった。
一日の最後に演奏してくれるのは、いつだってリホンの子守唄で、俺がリホンに来て初めて聞いた歌でもあった。不安に潰されそうになって眠れない夜に、当時はラリサお嬢様の腕いっぱいの大きさだったリホンハープを抱え、お嬢様は俺の部屋にやってきてくれた。せっかく秘密で来ても、リホンハープの軽やかな音色で乳母やメイドにすぐにばれてしまったが、その後いっしょに叱られたのも、今ではかけがえのない時間だった。
学園に入ってからは、ラリサお嬢様は王太子にだけひくようになった。当然と言えば当然だが、とてつもない喪失感を味わった。
けれど、今、その思い出の歌を、俺の誕生日にひいてもらえるなんて。殿下へのお返しの演奏とはいえ、胸がいっぱいだ。
「この歌は、リホン語でどういった意味なのですか?」
演奏が終わり、殿下が尋ねる。
「実は、これはリホンの子守唄なのです。美しい夢と、輝く未来が来るようにという願いが込められたもので、リホンではお祝いの席でも披露されるんです」
「こんな美しい子守唄で眠れるとは、リホン王国の子ども達は幸福ですね」
殿下に、全面的に同意する。
まちがいなく、公爵邸でラリサお嬢様の子守唄を毎日のように聴いていた子どもだった俺は、幸福だった。
けれど、こう思った一瞬後、エイブリヒ殿下がとんでもないことを言いだした。
「いつか、私の床で聞かせてくれる日が、来るでしょうか?」
その場にいた全員が殿下の顔を見入った。
空気が、張り詰める。
「えっ……」
意味を理解したのか、顔を真っ赤にするラリサお嬢様。
口説くなら、殿下なら不慣れなブリンス語よりイリア語でするはずだった。しかも、閨を匂わせるようなことならなおさら。けれど、殿下はわざと、シーナさん、そして俺にもわかるブリンス語を選んだのだ。
ぐっと、奥歯をかみしめる。
護衛騎士にすぎない俺に、この手の会話を下手に邪魔すれば、大変なことになる。
「あ、あの……」
ラリサお嬢様が、シーナさん、そして俺の顔を交互に見る。
お嬢様を、困らせるなんて。
俺は別の意味で顔が赤くなりそうで、いや、目が赤くなりそうで、深呼吸した。
そして、慎重に言葉を選ぶ。
「殿下、ラリサお嬢様はそのような甘い言葉に慣れてらっしゃいませんので、ご容赦を」
口角を上げ、笑顔を作り、これまで殿下に見せたどの表情より大きな笑みを浮かべる。
「冗談ではなかったんですが」
殿下はそう言って、ため息をついて見せた。その横で、ブリンス語がまだ不得手なサフマドさんが、何があったのかと殿下に尋ねているようだった。
「日中でよろしければ、いくらでもお聞かせします……」
まだ顔の赤みがひかないラリサお嬢様。
こんなお嬢様、久々に見た。
俺は、お嬢様を自分のことでこんなにも慌てさせたことなんてない。
そう思うと、心に黒いものが広がった。
俺は、ラリサお嬢様がからむと、こんなにも汚い人間だったのかと、自分でもただただ驚くほどの感情に出会う。
それにしても、この雰囲気。
どうしたらいいんだ。
殿下、どういうつもりですか。
と、その時、ノックの音……、いや、救いの音が聞こえた。
また、だれかやってきたのだ。
「こんばんは。ミリーです!」
ドアの外から、街の大衆居酒屋「ハラヘリドリ」の給仕をしているミリーさんの声。
「開けてまいりますね」
俺は席をさっと立ち、ドアに向かった。
「ミリー、いらっしゃい」
さっきまでの空気にひきづられて、ラリサお嬢様の声は上ずっていた。
「今日はレオンさんのお誕生日だって、シーナから聞いて……」
話しながら、大きな袋を抱えたまま、かたまっている。視線の先には、エイブリヒ殿下がいた。
「私のことは、おかまいなく。私もレオンくんを祝いに来たんです」
いや、そんなこと知らずにここに来ただろ。
「ミリーは、ブリンス帝国の郷土料理をテイクアウトできる店を、いろいろ教えてくれたんです!」
シーナさんが、そう言ってかけよる。
「それで、そろそろお酒も必要な時間かなって思いまして……」
そう言って袋から、ワインを何本も取り出した。
「そろそろ買いに行こうと思ってたとこだったの。ありがとう、ミリー!」
シーナさんはいつもより大きな声でそう言って受け取り、テーブルに並べた。
「ミリーも、時間が大丈夫なら、いっしょにどうかしら?」
と、ラリサお嬢様。
「えっ、私なんかが、いいんですか?」
チラチラと殿下の方を見ている。うん、とうなずく殿下。
「それじゃあ、ちょっとだけ……」
それから、シーナさんが人数分のグラスを取りに行き、酒宴が始まった。
何度もグラスを傾け乾杯し、殿下が歌い、ラリサお嬢様がリホンハープを奏で、にぎやかな時間だった。
気がつくと、夜も更けていた。
「レオン、レオン」
部屋は明るいが、もうすっかり夜中だった。
ソファでぼんやりしていると、横からラリサお嬢様の声がした。
ハッとして見渡すと、他の人達はみんな、テーブルに伏せていたりソファに寝転がったりしている。
「そろそろみなさんを起こして、お開きにしなければなりませんね」
「そうじゃないの」
お嬢様はそう言うと、俺の手をそっと握った。そして、ぐいっと引いて、俺を立たせ、そのまま歩き出す。さっきまでの眠気が、瞬時に散った。




