六、 お誕生日の歌があるのですか?
それから数日後のことだった。
もうすっかり夏、という季節。
最初に何か変だと気付いたのは、シーナさんがいつもの様子とちがったからだ。
「シーナさん」
とりあえず、声をかけてみる。
汗ばむほどの午後、手の甲で額の汗をぬぐいながら、アイロンをかけるシーナさん。けれど、こっちをチラチラとまでは言わないが、しょっちゅう見てくる。
「何かあったんですか? 俺の顔に何か付いてます?」
単刀直入に聞いてみたものの、シーナさんは、
「何にもないです」
の一点張り。名無しからは何の連絡もないので、大事ではないだろうが、何なんだ。
「レオン、ちょっとインクを買いにいってきてくれないかしら?」
そのまた数日後の午後。日が傾き始めた頃だった。
今度はラリサお嬢様が、目を泳がせながらこんなことをおっしゃる。
「かしこまりました。先日購入したメーカーのものでよろしいですか?」
「そ、そうね。お願いするわ」
お使いなら喜んで行くが、インクを頼むだけでこんなにソワソワするものだろうか。それに、インクなら一週間ほど前に買ったばかりだった。いくら毎日、日本語テキスト作成をされているとはいえ、なくなるにしては早すぎる。
「それでは、夕飯の買い出しの際に行ってまいりますね」
「えっと、あの、今すぐほしいの」
「それでは……今から急いで行ってまいります」
「あ、そこまで急ぎじゃないのよ。ゆっくり行ってきて」
疑問は多いが、とにかく宿を出る。雑貨屋は街の中央にあるから、往復三十分もあれば帰ってこられるだろう。
インク壺をいくつか入れた紙袋を抱え、俺はすぐに帰ってきた。
いつも通り、ラリサお嬢様の部屋のドアをノックする。
「レオンです」
「どうぞ、入って」
「お嬢様、ただいま戻りまし……」
腕に、そして口元に押し寄せる、花束。その後ろで、ラリサお嬢様とシーナさんが笑っている。
驚いて紙袋を落としそうになった。
「えっ、あの、え?」
「レオン、十八歳、お誕生日おめでとう」
えっ?
「もしかして、自分の誕生日、忘れてました?」
シーナさんが、目を細め、フフッと笑う。
「えっと、そうでしたね。ありがとうございます」
そうか。誕生日か、俺の。
「シーナ、サプライズ成功ね!」
「はい、お嬢様!」
はじけるようなラリサお嬢様につれられて部屋の奥に進むと、応接セットのテーブルの上に、ケーキや飲み物、一目でプレゼントとわかる箱がたくさんのっていた。
「ほら、今日の主役はレオンよ。座って、座って」
本当に、自分の誕生日を忘れていた。
毎年、この日は日が変わると同時に名無しがどこからか現れて、祝ってくれていた。けれど、今年はそれがなかったので、今日は昨日までと同じ日常だった。
後から調べたところ、名無しはこのサプライズを把握しており、なのであえて日付が変わる時に押しかけることはやめたとのこと。もし名無しが来ていたら、たしかにサプライズの度合いは半減していたかもしれない。
「去年までは、私は寮にいたからいっしょにお祝いできなかったからね」
そう言ってラリサお嬢様は、さっそくプレゼントの箱を手渡してくださった。
「サプライズでお祝いしようって提案されたのは、ラリサお嬢様なのよ」
シーナさんも、そう言って箱を俺のそばに置いた。
「俺のような者のために、ありがとうございます。とってもうれしいです」
「家族みたいなものじゃない。当然よ」
と、ラリサお嬢様。
家族みたいなもの、か。
うれしいはずの言葉が、鉛のように体の奥に食い込む。
でも、今は、それでいい。
それから、プレゼントを開けた。
中には品のあるデザインのカフスボタン、質の良いレザーのブーツ、深い森を思わせる色の紳士帽、ラッツ社から最近発売されたばかりの手帳、他にはシーナさんが選んだだろうカラフルなキャンディがたくさん入っていた。
「こんなにたくさん、ありがとうございます」
一介の護衛騎士にこんなにも手厚く祝う主人がいるだろうか。いや、いない。この世界どこを探しても、ラリサお嬢様だけだ。
「レオン、いつもありがとう」
「お礼を申し上げるのはこちらでございます。いつもありがとうございます」
誕生日は、リホンに密入国し、公爵家にお世話になってからは毎年誰かしらに祝ってもらっていたが、こんなに嬉しい誕生日は初めてだと思った。
ラリサお嬢様もシーナさんも、平気な顔はしているが、まだ異国での生活に慣れきっているわけじゃない。自分のことだけで精一杯なだけだ。この先の不安も大きいだろう。なのに、他人の誕生日をこんなに祝えるなんて。
それから俺達は、シーナさんがテイクアウトしてきてくれたベリー領の郷土料理に舌鼓をうった。
「このジュース、このベリーでしか作られていないんですって」
シーナさんはそう言って、並々と俺のグラスに注いだ。
その名も、ベリージュース。甘みと酸味のバランスが絶妙な果実水だ。
「このドレッシング、おいしいわね」
ラリサお嬢様は、さっきからサラダばかり食べている。
マナーを気にせず思い思いに食事ができるなんて、公爵家ではありえなかった。使用人とこうしてテーブルを同じくすることも。
もしかすると、家族よりも近しくなれたのでは、と勘違いしそうだ。
とは言っても、もう俺は、ラリサお嬢様の弟でいることを決意している。
先は長いけれど、いつの日か、一人の男性として頼りにしてもらえたら。
二人の笑顔のその後ろに、夕日のまなざしが降り注いでいた。
開け放たれた窓からは、日暮れの街のにぎわいが遠くに聞こえる。
いい夜だな。
そう思った瞬間だった。
ノックの音がした。
「イリアからの使いが久々に来て、イリアの伝統菓子をラリサさんにも召し上がっていただきたく来ました」
ドアから顔を出したのは、イリア王国の皇太子、エイブリヒ殿下だった。
今日も伝統衣装に身を包み、横に護衛の大男、サフマドさんを連れている。
殿下のブリンス語は、ここ数週間で驚くほど上達しているようだ。
「今日は何かのお祝いでしたか」
テーブルのわきに並ぶプレゼントの箱に目をやりながら、エイブリヒ殿下が首をかしげる。
「今日は私の護衛騎士、レオンの誕生日なのです」
ラリサお嬢様が、即答する。
「それは、それは……」
エイブリヒ殿下が、一瞬顔を曇らせたのを、俺は見逃さない。けれど、王族、いや貴族以上の反応としては当然だった。自分の使用人の誕生日を祝うなんてことは、貴い身分の方々にとっては前代未聞のようなものだからだ。
「レオンくん、誕生日おめでとう」
それでも、ラリサお嬢様が楽し気に祝っているのだから、いくら王族でもやめろとは言えないだろう。
「身に余るお言葉、ありがとうございます」
あえて、いつもより丁寧で難解なブリンス語を選んでみる。ちょっとした、意地悪だ。けれど、そんなことに殿下がひるむはずもなく、つづける。
「何歳になったのですか?」
「十八になりましてございます、殿下」
エイブリヒ殿下と、今日で二歳差に縮まった。
「それでは、私も祝いの席にぜひ同席させてください」
シーナがソファをサッと立ち、お茶をいれにいった。
さっきまでの温かで幸せな気持ちが、スッとひいていく。俺だけのパーティーは、ここでお開きだ。
「お時間、よろしいのですか? こちらにおかけください」
その優しさから殿下を拒否するなんてできるはずもなく、なんなら俺の誕生を祝う人は一人でも多ければいいと思っていそうなラリサお嬢様。
「それでは、お邪魔しよう」
そう言って、ラリサお嬢様の隣を陣取る殿下。
奥歯をかみしめる自分に気がつくのに、時間はかからなかった。
「イリアでは、どのようにして誕生日をお祝いするのですか?」
「イリアでは、客がそれぞれ歌を歌うことが多いですね」
「お誕生日の歌があるのですか?」
「あるにはあるが、誕生日の者を表すような曲を選んで歌うのが風習ですね」
そんな文化があるのですか、と目を輝かせるお嬢様。
「エイブ様、もしよろしければ、レオンのために歌をお願いできないでしょうか」
シーナさんがいれてきてくれた熱い紅茶を、思わず吹き出しそうになった。
「ラリサお嬢様、殿下に歌を賜るなど、とんでもないことでございます」
「いや、ラリサさんのお願いでしたら、何曲でも歌いましょう」
それはもう、俺への祝いではなくなることを、殿下はわかっているんだろうか。そもそも、そんな気持ちもないだろうけれど。




