side シーナ : 帝国に来て3日目
帝国に来て3日目の、暖かな午後。
「シーナ嬢ちゃん」
アイロン用の炭をもらいに行った帰り、ホテルの廊下で。もうすでに懐かしい、リホン語が聞こえる。振り向くと、やっぱりダニエル様だった。
昨夜は酒場「ハラヘリドリ」で、とんだ醜態をさらした私。恥ずかしくて、呼ばれた方に体を傾けたものの、顔が上げられない。
「どうした?」
そんなに軽々しく、私なんかにお声をかけないでくださいよ。だってあなたは、このベリー領の領主様なんでしょう?
「ダニエル様、昨夜はありがとうございました。おかげさまでこの国に知り合いもできましたし、ラリサお嬢様もとても楽しそうにしてらして……」
「一番楽しそうだったのは、シーナ嬢ちゃんだけどな」
せっかくかしこまってお礼を言おうとしたのに!
確かに、昨夜はこの国に来て初めてのお酒ではめをはずしちゃった自覚はあるけれど!
「どうぞお忘れになってください……」
あれ、この言葉、おかしくなかったかな。
「あのはっちゃけっぷりは、この先10年は覚えてるだろうな」
はっちゃけっぷり……!!
確かに!
私!
はっちゃけてましたけど!!
「それで、ダニエル様はラリサお嬢様に何かご用でしょうか?」
ダニエル様は、白い箱を抱えていた。あの箱の質感、大きさからして……おそらく中はお菓子だ。
「おっ、察しがいいな」
そりゃ、お嬢様の部屋のある階の廊下で出会ったら誰でもそう思いますよ。
「お嬢ちゃんに、ちょっと提案があってな」
「ラリサお嬢様には、当分はゆっくりと休んでいただきたいんです。無茶なことでしたら、私が許しませんよ」
口に出して、しまった、と思った。
仮にも領主に向かっていい言葉じゃない。リホン王国で身分が自分より高い方にこんなものいいをしたら、一週間は廊の中だ。
そっとダニエル様の顔をうかがう。
ダニエル様は、目を細めてニッと笑った。
「シーナ嬢ちゃん、ほんとにお嬢ちゃんが好きなんだな」
「当たり前です!」
あ、またやっちゃった。どうもダニエル様相手だと、こうなってしまう。
「お嬢ちゃんに断られたら、あきらめるさ。でも言ってみるくらい、いいだろ?」
と、ダニエル様はお嬢様の部屋に向かって歩き出す。 そもそも、どうしてお嬢様の部屋番号をご存知なのよ。誰に聞いたの。誰が教えたのよ!
「まずはラリサお嬢様に、ダニエル様がお越しになったと伝えてまいりますっ」
私は返事も待たないまま、部屋に飛び込んだ。
「ラリサお嬢様、大変ですっ!領主様が……!」
お嬢様は、ソファにいらっしゃった。あれ、もしかして、寝てる?お疲れが出たんだろうなぁ……。
音を立てないように、洗濯部屋に炭を運び、ダニエル様の待つ部屋の外に出た。
「ラリサお嬢様は今、お休み中です」
あれ、私、どうするべきなんだろう。これまでは、公爵令嬢であるお嬢様を一番に考えてよかった。だから、どんなお客様が来ようと、王族でもない限りお嬢様を起こす必要はなかった。でも、今のお嬢様は国外追放された身で、ここは他国で、相手は領主様だ。
お嬢様を起こす?
それともダニエル様に帰ってもらう?
なんでこんな時に、レオンはいないのよ!肝心な時にいないなんて!
「起きるまで、待たせてもらえるか?」
「それなら、ラリサお嬢様にお声をかけ……」
「いや、待つよ」
「でも……」
「ここのケーキ、うまいぞ。シーナ嬢ちゃんの分も買ってきた」
さっきから、いい匂いがすると思ってた。帝国のお菓子、どんなのだろうと前々から思ってた。
領主様が、一介の使用人のためにも買ってきてくださったなんて……こんなに大きなご厚意、無碍にするなんて失礼なこと、できるはずがない。
「それでは中でお待ちください……」
中では、お嬢様がさっきまでと同じ体勢で、小首をかしげて眠っていた。
「疲れてたんだなぁ」
ダニエル様が、ブリンス語でつぶやいた。
そして、お嬢様の向かいのソファにゆっくりと腰かけた。
「そういや、あいつは?」
また、リホン語に戻った。
あいつって、レオンのことかな。
「レオンなら、お使いに行かせております」
「そうか。この辺、だいぶ変わったから迷わないといいけどな」
そっか、ダニエル様はレオンがリホン王国の出身じゃないって知ってるもんね。
でも、だからって、帝国生まれだとは話してないはずだけど、どうして知ってるかのように話すんだろう……。ま、リホン王国に一番近い外国は帝国だからかな。
「お茶をいれてまいりますね」
ラリサお嬢様をじっと見つめるダニエル様。
もしかして……。
あぁ、なんでだろう。
ラリサお嬢様が誰かに好かれるのはとても喜ばしいことだし、それが領主様なら申し分ないはずなのに、胸がギュッとなる。
と同時に、こんなことも込み上げる。
ラリサお嬢様は、リホン王国王太子の元婚約者。 8年もの妃教育を受けた才媛中の才媛。そのへんの領主なんかに渡さないんだから。いくら帝国一の広さの領土を持ち、帝国屈指の文化水準・経済力に高めた大領主だとしても。平民にも気さくで笑顔がやさしくて、私の物言いも流してくれる器の大きなお方でも。無精髭生やしてる殿方になんて、私のラリサお嬢様は渡さないんだから!
……と、思うのに、なんでだろう。
お茶の葉のカサカサいう音が、自分の胸の内と似てると思うなんて、初めて。
「ダニエル様、こちら、リホン王国から持参した紅茶と新聞でございます」
「あぁ、悪いな。今朝は忙しくて読めてなかったから助かる」
新聞を受け取ったダニエル様は、これまで見たことのない顔つきをしていた。
領主の顔。
フッと、小さなため息が私の体から抜けていく。
さて、アイロンかけでもしようかな。アイロンは苦手だけど、ラリサお嬢様の衣類をクリーニングに毎日出していたら出費がかさむし、ここは私が頑張って節約しないとね。
一つリホン王国流のお辞儀をし、私はダニエル様から離れた。




