十九、 いえ、すてきです
「真夏」という言葉がぴったりな日々がつづいていた。リホンよりも蒸し暑くないブリンス帝国の夏が、私は気に入っていた。
「秋が、我が国の社交シーズンだ」
と、ダニー様。
今、私達は領主邸の応接室にいる。
「それではダニー様は近々、帝都に行かれるということでしょうか?」
「そうだ。お嬢ちゃん、いや、ラリサ嬢、いっしょに来ないか?」
社交シーズン。
ブリンス帝国の貴族という貴族が地方からも帝都に集い、毎夜パーティーを繰り広げ、縦や横のつながりを強化、あるいは構築する期間だ。
「私のようなものがごいっしょさせていただいても、ダニー様に恥ずかしい想いをさせるだけでございます」
国外追放された身の上の私は、静かに暮らすのが一番だ。余計なことをして、リホン王国の隠密に目を付けられたりなんかしたら、消されてしまうかもしれない。
「いや、俺はお嬢ちゃんをみんなに自慢したい。こんなに美しく聡明な貴婦人がベリーにいるんだぞ、ってな」
帝都には、イザベル様も行かれるとのこと。社交界は、婚期の貴族の子女にとっては、またとない出会いの場でもあるけれど彼女はそんなものには興味はなく、ただ帝都にいる友人達に会いたいからだとか。
「お嬢ちゃん、ダンスは得意だろ?」
酒場でいっしょに踊った時に話したのを、覚えていたみたいだ。
「得意というほどのものではありませんが……」
リホン王国でもちゃんと社交界デビューできなかった私が、大丈夫かな。でも、こんなこともないと帝都に行く機会なんてそうそうない。
「シーナ、どう思う?」
くるりと振り返り、私の座るソファの後ろに立つシーナに聞いてみる。
「え、ラリサお嬢様、ごいっしょされないんですか?」
と、シーナは首をかしげた。
そう言う気がしてた。華やかな場所、大好きだもんね。
「いつかラリサ語学教室を語学学校にするという夢に、一歩近付くぞ。支援者が見つかるかもしれないしな。帝都に開校するのもいいんじゃないか。生徒がうじゃうじゃ集まるぞ」
そんなこと、いつ言ったっけ。
チラリと見ると、シーナの横に立っているレオンが静かに微笑んだ。あれ、ここは目をそらすところなんじゃ……。そんな誇らしげに笑われても……。
それにしても、うじゃうじゃ……。
「続々と」でもなく、「わらわら」でもなく、「わんさか」でもなく……。
「うじゃうじゃって……」
思わず吹き出してしまいそうになり、口を手で押さえる。
「変なリホン語だったか?」
「いえ、響きが笑いのツボに入ってしまいまして……」
「笑いのツボ?」
「ツボ、でございます」
ダニー様はこの表現を気に入ったようで、今度使ってみると歯を見せた。
「それで、いっしょに行ってくれるか?」
「はい、お供いたします」
思えば社交界と言っても、今の私は公爵令嬢じゃない。皇帝陛下主催のような最大規模のパーティーに呼ばれることはない。出るとしても小さなお茶会やパーティーになるのはまちがいないのだから、あまり気負うこともないかもしれない。
「そうと決まれば、急いで支度しなくてはな。そういえば、エイブリヒ殿下も帝都にいらっしゃるらしいな。皇帝陛下への謁見と、マリス学園の編入試験を受けられるんだとか」
それは知っていた。
普通なら、地位ある方は自分の予定は話さない。警備上、これは仕方ないこと。ダニー様とエイブ殿下は、互いの母国語を学び言葉を交わすうちに、ずいぶんと仲良くなったようだ。静かに喧嘩していることも多いけれど。
どうして私が知っていたかというと、外国人留学生向けのブリンス語の試験対策をしているからだ。ゼロから学び始めて半年、エイブリヒ殿下の語学力は目覚ましく伸びた。試験は問題なくパスできるだろう。
「ラリサさん……、いや、ラリサ先生のおかげですよ」
「いえ、エイブ様が努力家でいらっしゃるからでございます」
ブリンス語の日常会話は問題なくできるようになったエイブ様。
「殿下の悪い癖が再発して、私は気が気じゃございませんが」
ぼそりとつぶやいたのは、エイブ様の護衛騎士であるサフマドさん。なんでも、エイブ様は習ったブリンス語を駆使して、街で女性達に声をかけるようになったとか。エイブ様の語学の上達が異様に早い理由がわかった瞬間だった。
そんなこんなで、私達は家探しを一旦中断し、一か月後に帝都を出発した。
シーナとレオン、ダニー様とイザベル様、そして領主邸の使用人数名といっしょなので、心強い。これを機に宿屋をチェックアウトし、荷物は領主邸が預かってくれることになった。エイブ様は編入試験の手続きのため、私達より先にベリーを発った。
帝都までは、汽車で二週間、馬車で三日かかるそうだ。
「こんなに長く汽車に乗るのなんて、初めてですねっ」
ベリー発の列車に乗り込んで三日目、シーナはまだ楽しそうに外を眺めている。
「リホンは、一週間もあれば国を一周できるものね」
「こんな動く宿屋のような汽車があるなんて、帝国はすごいですね」
これには私も驚いていた。
「お兄様が領政で一番力を入れていらっしゃるのが、実は鉄道事業なんですわ」
イザベル様が、パタンと分厚い小説を閉じる。この道中に慣れているのか、何十冊もの本を持ってきているようだ。
「そうなんですね。そういえば、パーティーで着るドレスは用意しなくてもいいとおっしゃってましたが、どういうことでしょうか?」
帝都でのパーティーで、どんなドレスを着ればいいかイザベル様にうかがったところ、こう返事をもらっていたのだ。
「もちろん、帝都のブティックで仕立てるのですわ」
「でも、社交シーズン直近でそんなこと可能でしょうか? 仕立てるのにだって時間がいりますでしょう?」
「それが、大丈夫なんです。我らが友人のステラ様、彼女が口を利いてくださるおかげでね」
夏のお花見会でお会いした、あのステラ様が?
「マッケンジー商会が、生地を取り扱っているからでございますか?」
「ご名答!」
イザベル様がふふふと微笑む。
「私までお世話になっていいのでしょうか?」
「ラリサ様がどんなドレスをお仕立てになったか後で教えてくださいと、おっしゃってましたわ」
それに、ベリー領と帝都ではドレスの流行がちがうことが多いそうで、帝都で準備した方が安心、とのこと。
それにしても、ベリー領は広かった。
そして、緑豊かで美しかった。
いくつものトンネルを抜け、村々を横目に、汽車は走った。
「ちょっと暗いお話になりますが……」
ぽつり、ぽつりとイザベル様が語り始めた。
「汽車が開通するまではね、私達領主一家は三か月以上かけて帝都まで旅していましたの」
けれど、イザベル様が七歳の時に、ご両親の馬車が野盗に襲われ、お二人は亡くなられたそうだ。まだ十二歳だったダニー様とイザベル様の乗った馬車は幸いにも逃げ切ることができ、それからはお二人で力を合わせて家業を盛り立て、ベリー領を治めてきたとのこと。
「そんなことが……」
イザベル様を、たった一人の家族とダニー様はおっしゃっていたから、ご両親は他界されているとは予想していたけれど、そんな悲しい事件があっただなんて。だからダニー様は、鉄道事業に力を入れてらっしゃるのか。
「何て申し上げていいか……」
知らなかったとはいえ、さっきサラッと話題を変えてしまったことを後悔した。でも、本当に何て言っていいかわからない。それに、両親の元でぬくぬくと育った私が何を言ってもしかたない気がした。
「困らせて、ごめんなさい。もう随分と前のことよ。でも、ラリサ様には知っていていただきたくて」
ダニー様とイザベル様は、ご友人も多く、いつも笑顔を絶やさない。その強さは、生まれ持ったものではなく、きっと涙や苦労を積み重ねた上に築いたものなんだろう。
「帝都、楽しみです。こうして安全に旅できることが、本当にありがたいです」
「ラリサ様、そんなつもりで申し上げたんじゃないんですの。いっしょに行きたいお店、もうリストアップしていますわ。連れ回しても、私をお嫌いにならないでくださいねっ」
それから見せてもらった帝都での観光リストは、とても長く、なんと両手を広げても足りないほどだった。びっくりする私にイザベル様は声を出して笑い、それはダニー様の笑い方とそっくりだった。
私もいろいろありはしたけど、いつまでもそれに浸っているわけにもいかないなぁ。
そろそろ最後の一本だけ残した、オスカー殿下からもらったラベンダー色のリボンを処分しないと。
そして馬車に乗り換え、足腰が疲労に悲鳴をあげそうになるのをぐっと我慢した頃、ようやく帝都に到着した。
「ここがベリー領主のタウンハウスなんですねっ」
と、はしゃぐシーナ。
「さっ、入ってくつろいでくれ」
ダニー様も一年ぶりだそうだ。前はもっと頻繁に帝都とベリー領を行き来していたみたいだけど。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
執事と侍女長が、正面玄関で迎えてくれた。
「坊ちゃま、またそんなに髭を生やして。あれだけおやめくださいと申し上げましたのに……」
「ターニャの小言を聞いたら、帰ってきたと実感するよ」
侍女長は、ダニー様の乳母だと聞いた。
私達はタウンハウスの皆様にダニー様から紹介してもらい、私とシーナ、そしてレオンはそれぞれ部屋に案内された。
「私にまでメイドを付けてくださったんですよっ」
夕食の席で、シーナが声を弾ませた。
「よかったじゃない」
公爵家にいた頃は、今でこそ私の世話ばかりしているけれど、準貴族で侍女のシーナにも専属のメイドが何人かいたのだ。やっぱりもう少し語学教室を大きくして、シーナを楽にさせてあげなきゃな。
「シーナ嬢ちゃんも、帝都でぐっと羽を伸ばそうな」
そう言ったダニー様の顔に、私達は釘付けになった。気付いてないはずもないのに、ダニー様はシーナが好きなフルーツをたくさん持ってくるよう、メイドに合図を送った。
だって、なくなっていたのだ。
ダニー様の無精髭が。
すっきりきれいに剃り上げられていて、セドリックお兄様よりも若く見える。
「変か?」
「いえ、すてきです」
私の横で、シーナも首がとれそうなほどうなずいている。
「じゃ、毎日整えるよ」
ダニー様はそう言って、目を細めた。
次で第一部、最終回です。




