十二、 お嬢ちゃんは、言葉にうるさいな
「こちらに留学されるのですか?」
話に割って入るのはマナー違反かもしれないけれど、思わず口に出してしまっていた。
「貴女がいるこの国に、留学したい」
漆黒の目が、まっすぐ私を見据える。
「私がいる、この国、ですか?」
私の髪と彼の目の色が同じってだけで?
これもイリアの文化に関係しているのかしら。
「もし貴女さえよければ、時間がある時にでも、私にブリンス語を教えてもらえないか?」
「先ほどは、ブリンス語を話してらっしゃいましたが……」
「あれは、さっきの給仕に教わったのをそのまま暗唱しただけだ」
だから、あんなにゆっくりだったのね。けっこうな長文だったのに、よくあれだけ正確に覚えられたものだ。
「ラリサお嬢様、何かあったのですか?」
シーナが心配そうにしている。
「この方が、私にブリンス語を教えてほしいんですって」
「貴女のその言葉は、どちらの国のものでしょう? 初めて聞く響きです」
黒髪の彼はきっと、私を生粋のブリンス人と思っていたんだろう。
「実は私は、わけあってリホン王国から来ました。ですから、さきほどの言葉はリホン語でございます」
「リホン王国とは、あの宝島のことでまちがいありませんか?」
「そうとも呼ばれておりますね」
「それでは貴女は、すぐにリホン王国に帰ってしまうのでしょうか?」
「いいえ、当分はこちらにいるつもりです。もし他の地へ行くことがあったとしても、リホンに帰ることはないでしょう」
あ、自分で言っておきながら、涙が目の真ん中に押し寄せてきた。
「ラリサお嬢様、どうなさいましたかっ」
私の話すイリア語がわからないはずなのに、すかさず私の異変を察知したレオン。
「大丈夫よ、レオン。ちょっとリホンを思い出しちゃっただけだから」
黒い目を持つ彼も何かを感じたのか、どうしたものかと隣の男と顔を見合わせる。
「やはり私は、この国に留学します。そして貴女を、毎日笑顔にすると約束しましょう」
そんな言い方、まるでプロポーズね。
婚約者ってだけだったから、オスカー殿下からはこんな甘い言葉、一つもいただいたことはなかった。
「私もこの国では留学生のようなものですが、私でよろしければブリンス語をお教えしますよ」
パッと笑顔になった彼は、もう一度イリア式のお辞儀を見せてくれた。
すると、彼の横の男が口を開いた。
「イリア王国第二王子、エイブリヒ・エルハマニ・ゴニ・イリア殿下だ」
そうとうな雰囲気を感じてはいたけれど、まさかの、王族だった。
「この者は私の護衛騎士で、サフマドという。貴女のお名前をうかがっても?」
また王族に関わる日がくるなんて、という思いを押さえつつ、私は立ち上がる。
「二日前にこちらにまいりました、ラリサ・アリアナ・シビリテルと申します」
そして、妃教育の賜物である挨拶をした。
「ラリサさん……というのですね」
急に席を立って優雅に挨拶をした私に、レオンもシーナもポカンとしていた。
エイブ殿下が留学の手続きをしてくると去った後、二人に今起きたことを説明した。
「ラリサお嬢様、領主様といい、イリアの王子様といい、まだこちらに来て数日なのに、高貴な方々を引き寄せすぎですよ」
シーナのため息には、私も同意した。せっかく気を張らなくてもいい生活を始めたというのに、三日目にしてこれだ。
「ラリサお嬢様の魅力に、みな寄ってくるんですよ」
とは言ってくれたものの、レオンも大歓迎とは言えない顔をしている。
「まだ朝なのに、なんだか疲れちゃった」
実は、昨夜は遅くまでお父様からいただいた本を読んでいたのよね。
「今日はお部屋でゆっくりなさるのがよろしいかと」
私が一つうなずくと、レオンは手を引いて立たせてくれた。
「ラリサお嬢様は、もっとのんびりなさるべきですよ」
シーナはそう言ってくれたけど、リホン語のテキストだなんて、私にとってはこの世界のどんな本よりおもしろい。眠くならなければいいのにと思いながら昨夜は何度も目をこすりながら読んだけれど、結局最後までは読み切れなかった。
部屋に戻り、革張りのソファに腰掛ける。
夢中になってお父様の本を読んでいたのは、ほんとは心を落ち着かせたいのもあった。
だって、この数日、私はしゃべりすぎた。
自分の気持ちを、気持ちのままに、思いっきり。
誰のことも気にせず、やりたいように動いた。
でもこんなこと慣れていないから、疲れたというより、体も心もびっくりしてついていけていない感じ。
先のことはできるだけ早く考えなきゃならないけど、シーナの言うとおり一日ぐらいのんびりしてもいいよね。
でも、それはお父様の本を読んでからにしよう。
なのに、睡魔には勝てず、いつの間にか私は寝入ってしまった。
目が覚めて、危うく膝の本を落としてしまうところだった。
「ダ、ダニー様?」
向かいのソファに座り、紅茶を飲みながら新聞を読んでいる。
「おはよう、お嬢ちゃん」
視線を泳がせ、シーナを探す。
「シーナ嬢ちゃんが入れてくれたんだよ」
領主様が来たなら、通さないわけにもいかないのは、わかる。でも、私を起こしてからにしてほしかった……。
「お嬢ちゃんが起きるまで待つって、俺が言ったんだ」
「それで、そのシーナは?」
「この紅茶をいれてくれた後、隣の洗面室でアイロンをかけるとか言ってたな」
「起こしてくださって、よろしかったのに……」
「寝顔まできれいだな」
あぁ、もう……両手で顔をおさえたいのを、ぐっとこらえる。
「レオンは? レオンは知りませんか?」
レオンなら、止めてくれたはずなのに。
「あいつなら、買い出しに行ってるってシーナ嬢ちゃんが言ってたよ。もうじき帰ってくるんじゃないか?」
買い出し。そっか。よかった。
「いつもあいつを気にしてるんだな」
「……かわいい弟みたいなものなんです」
学園にいる時だって、実の兄弟であるセドリックお兄様は「わがままするな」の手紙一通しかくれなかったけれど、レオンはリホン語の読み書きの練習もかねて、毎月のように公爵家のことを書いた手紙を送ってくれた。
「……そうか」
ダニー様はそう言って、なぜだか苦笑いした。
それにしても、ダニー様は、どうしていらしたんだろう。
私にも紅茶があれば、そこに目を落とせるのに。
じっとこっちを見つめられると、聞きにくくなってしまった。
「一つ、聞いてもいいか?」
あ、やっぱり何か大事な用事があって来たんだ。
ダニー様は私がリホン王国の上級貴族だったことを知っている。リホンは外国では謎めいた国で、未知そのものだと聞いた。リホンから一番近い国の、その中でも一番リホンに近いベリーの領主であるダニーさんにとっては、私に聞きたいことはたくさんあるはずだ。昨日は誰が聞き耳を立てているかわからない酒場だったから、今日はこうして訪ねてきたということだろうか。
「何でしょうか」
寝起きのままだった姿勢を正す。
「あれは、楽器か何かか?」
あれ?
ダニー様の視線の先には、ベッドサイドの棚に立てかけていたリホンハープがあった。
「リホンハープのことでしょうか?」
「リホンのものだったんだな。どおりで見たことないわけだ」
リホンの王族のことや政治経済や軍事力のことを聞かれると身構えていたので、うっかり笑ってしまった。
「ほとんど流通していませんものね」
「あれは、お嬢ちゃんの?」
「よろしければ、一曲ご披露させていただいても?」
ソファから立ち上がり、リホンハープを持ち上げる。
公爵家を出る時、これだけは持っていきたいとシーナに言って持ってきたものだ。
私はそのまま今度はベッドに座り、指先を弦にかけた。
オスカー殿下との初めてのお茶会で披露した曲。
もっとリズミカルで楽しい曲もあったのに、指が自然と動いて、気が付くと始まっていた。
「また聞かせてください」
あのお茶会の後、今思えば社交辞令だったけれど、当時十歳だった私は殿下のこの言葉を鵜呑みにし、いつ弾いてくれと言われても対応できるように毎日稽古を繰り返したっけ。
いつまでも殿下への気持ちを引きずってはいけない、と思うのに、私が好きなもの全て、殿下のためにがんばってきたものだった。
「ありがとう」
曲が終わり、ダニー様が拍手してくださった。
「また、聴かせてくれ」
「それ、本気でおっしゃってます?」
ダニー様になら、こんなことを言えるのが不思議。
「いつでも俺は本気だよ。リホン語の高貴な言葉ではどう表すのかわからないが、きれいで、美しかった」
「それなら、『優美』という言葉がよろしいかと」
自分の演奏の感想をこんな風に言い表すなんて、シシャール伯爵夫人が聞いたら卒倒してしまうわね。
「お嬢ちゃんは、言葉にうるさいな。さすが語学の先生」
「うるさいんじゃなく、敏感なだけです」
ダニー様のお顔が、夕日に染まっていた。
私、随分と長い時間、眠っていたみたいね。




