十、 つたないものですが
しばらくして、エールのおかわりを給仕の女の子が持ってきた。
さっきまで、シーナと踊っていた子だ。
「ダニエル様、こんなところで寝たら風邪ひきますよっ」
ダニエル様は、むにゃむにゃ言うだけで目を覚まさない。
「ダーニーエールー様!」
耳元で呼ぶものの、効果はない。
「何かかけるもの、ありませんか?」
私の言葉に、女の子は首を横にふった。
「領主様にかぶせられるような質のいいブランケットなんて、うちにはないですよ」
「りょ、領主様って?」
「ダニエル様は、このベリー領の領主ですよ。お姉さん、知らなかったんですか?」
今、初めて知りました……。
ベリー領は、王都に次ぐ領地だと聞いている。そのベリーの領主が、今目の前で寝言を言ってる男性ってこと?
「だからなのね……」
身分証が簡単に作れたのだって、領主の頼みだからだったんだ。たしかに、一介の船長にそんな力あるはずはなかった。それに、船長が領主であるダニーさんだったからこそ、リホンの役人は私達を漁船に乗せたと考えれば、いろいろと納得できる。
「ダニーさん……領主様は、よくこちらに?」
「はい、今日はちょっと久しぶりですけど、よく顔を出してくれますよ。こういった酒場ば、情報を得たり交換するのに一番いいんですって」
ミリーと名乗り、女の子は行ってしまった。
「ミリーが、今度市場を案内してくれるそうですっ」
シーナが真っ赤な顔をして席に帰ってきた。
「あれ、ダニーさん、寝ちゃってますね」
ツンツンつつかないで。その方、領主様なんだからっ。
「いろいろと情報が手に入りましたよ」
レオンも戻ってきた。
でもきっと、私より重要な情報じゃない気がする。
「ダニーさん……ダニー様ね、このベリーの領主様なんだって……」
二人の酔いが、いっきに冷めたのが見て取れた。
「私、失礼なことを……! むしろ失礼なことしかしてません!」
「僕もです……」
小さな声だったはずなのに、むくりとダニー様が起きた。
「気にすんな」
「起きてらっしゃったんですか」
さっき注文した水を、ダニーさんの前にそっと差し出す。
「いや、寝てた。気持ちよくてな」
「ダニエル様、これまでの非礼をお許しください」
レオンが姿勢を正し、頭を下げた。
「私もです。申し訳ございません」
シーナも彼につづく。
「私からも、お詫び申し上げます。それから、今日はよくしてくださいまして、ありがとうございました」
「お嬢ちゃん、そんな敬語はもう使わなくていいんじゃないか?」
何て言ったものか考えていると、大きな音がした。
酒場のドアの方だ。
ぞろぞろと、深緑のフードを目深にかぶった旅装束の人が三人、入ってきた。大きな体格からすると、みんな男性だろう。
レオンが腰の剣にそっと、手を置いた。
「もっと静かに入れー」
お客さんの誰かが声を上げる。
「そうだ、そうだー!」
「音楽が消えちまうー!」
みなさん酔っぱらっているので、この緊張感に気付かない。
フード姿の一人が、カウンターバーにずかずかと入っていく。
「何にします?」
酒場のマスターが淡々とした口調で尋ねる。
二人の会話が始まったので、酒場はまたさっきまでのように熱気に包まれた。
けれど、しばらくしてマスターの荒げた声が飛んできた。
「何だって?」
何か、もめているのかな。
「何言ってるのか、わからねぇよ」
マスターは短気なのか、カウンターを手でたたいた。
ダニー様が、じっと見ている。
「外国人、なんだろうな」
「言葉がわからないってことでしょうか?」
「そうかもな。行ってくる」
ダニー様が、腰を上げた。
フード姿の人とマスターの間に入り、何か話している。
そしてこっちを振り返り、言った。
「まいった。俺の知らない言葉だ」
「ラリサお嬢様ならおわかりになるかもしれませんが……ややこしくなりそうですし、関わらない方が……」
シーナの言う通り、妃教育で何か国語も習得した私ならわかる言語かもしれない。
「私、行ってみるわ」
「ラリサお嬢様はそんなことなさらなくてもっ」
「ダニー様には、お世話になったでしょう?」
シーナの答えも待たず、私は席を立った。レオンがサッと私の後につづく。
フードの下から、するどい視線。リホンでも帝国でもほとんど見ない、黒い瞳だった。
「今度は女か?」
フードの男は、そう言った。
イリア語だった。
大陸の中央に位置するイリア王国で話されている言語だ。
「ラリサ・シビリテルと申します。何かお手伝いができるのではと思い、まいりました」
まさか私からイリア語が出ると思わなかったのだろう。黒い目を大きく見開いて驚いている。
「お嬢ちゃん、わかるのか?」
と、ダニー様もまばたきを数度した。
「こちらの方は、イリア王国の方です。私が通訳しても?」
「ぜひ、お願いしたい」
「お嬢さん、助かるよ」
マスターもつづく。
「私の主が、この酒場の隣にある宿屋にいらっしゃるんだが、あまりの騒音にお休みになれないでいる。どうか静かにしてもらいたい」
フードの男の言葉に、どう通訳しようと考えを巡らせる。
宿屋の隣に酒場があることは珍しくないのだ。そしてこの店のような大衆酒場は、にぎやかなのが通常運転のはず。つまり、男は無茶を言っていると言っていい。
「お嬢ちゃん、この男は何て?」
ダニー様に、そのまま伝えていいものだろうか。
「隣の宿屋に彼のご主人様がいらっしゃるようですが、この酒場からの物音で休めない、とのことです」
とりあえずダニー様にそのままをリホン語で伝える。
「そ、そうか……」
「ここは、私にお任せ願えますか?」
「どうするんだ? ここの連中を静かにさせるのは、皇帝でもない限り無理があるぞ」
領主の自分でも難しい、と言いたいのだろう。
フードの男が私達の顔を交互にのぞく。
「ここは大衆酒場なので、みなさんを静かにさせることはできません。あなたのご主人には、もう少し静かな場所の宿屋に移ってもらうというのはいかがでしょうか?」
フードの男が「主」と言うぐらいなのだから、それなりの地位がある人だろう。そもそもそんなえらい人が、どうしてこの酒場の隣の……古ぼけた安宿に泊まることになったのかしら。
「隣の宿屋は、この街で一番の宿屋だろう?」
男が声を張り上げた。
「えっ?」
驚きのあまり、変な声が出てしまった。
この酒場に入る時にチラッと見かけたけれど、どう見ても高貴な方が泊まる宿ではなかった。
よくよく聞いてみると、本当にそう思って隣の宿屋に決めたらしい。なんでもイリヤ王国の建築と近しいところがあるらしく、それを見て選んだとのこと。
「文化の違いって……」
おもしろい。
「今、どうなってんだ?」
と、ダニー様。
「どうして隣の宿を選んだか、聞いていたところです」
とりあえず、私は提案してみることにした。
「私の泊まっている宿屋でしたら、隣に酒場はありませんし、おそらく今お泊りの部屋よりも居心地がよろしいかと。地図を書いてさしあげますから、ご検討ください」
男はとりあえずうなずいた。
私がマスターからもらった紙切れにかんたんな地図を書くと、男はドア付近で待機していた仲間の一人にそれを渡した。仲間は男と視線を合わせ、すぐに酒場を出て行った。
「どのような宿屋か、部下に確認させにいった」
主にふさわしい宿屋かってことね。隣の安宿が最高級と信じているなら、私が利用しているところなんて、受け入れてもらえないかもしれないけど……。
「しばらくここで待たせてほしい」
「ここで少し待たせてほしい、ですって」
私の通訳にマスターは黙ってうなずいた。
男の部下を待つ間、私達は会話をつづけた。
ブリンス帝国には、お忍びで来ているとのこと。
「この国で母国語を聞けるとは、感激した」
男はそう言って、初めて笑顔を見せた。
「つたないものですが」
「ご謙遜を。さきほどは『女』などと、貴婦人に向かって失礼した」
深緑のフードは、近くで見ると細かい刺繍がしてあり、とても美しかった。きっと、イリア伝統のものなんだろう。
「お気になさらず。慣れない異国での生活は大変でしょう。ここにいらっしゃる間で私にできることがございましたら、いつでもお声がけくださいませ」
慣れない異国だなんて、私こそ昨日来たばかりなんだけどね。




