溶解する想い
緋と藍が対立するかのように空を割っている。
小丘の向こうに夕日が沈む。それが僕らの合図だった。
襤褸切れ同然のテントを抜け出し、枯れた地を這うように僕は走った。
目的の場所に着くと『彼』はいた。
物陰に隠れながらもこちらに向かって手を振っている。
「行こっか」
躊躇う彼を無視して僕はその手を握る。
その瞬間、手に伝わるドロリとした感触。それでも僕は気にせず歩きだした。
「今日は街に行きたいな。いいかな?」
「Uh……」
答えた彼の声は言葉にならない。それでも僕には十分、その返事が賛成だということが伝わった。
そう、『彼』は人間じゃない。体中が腐敗したように液状化しているせいで、見た目は泥人形のように悍ましく、言葉を話すことはできない。
それでも僕は彼を『怪物』だなんて思わない。
淡い月明りを背中に受けて僕の前に影が一つ伸びる。
「着いたよ」
僕らが街と呼ぶその場所に建物は一つもない。
惨劇を招いては笑みを浮かべた彼らに皮肉を込めてつけた名前。平和が夢でも見ているように、そこに命の気配はなく、腐敗した屍が転がっている。
「あまり変わってないね」
無造作に並ぶ商品を僕たちは見て回る。
「これ、いいんじゃない?」
そう言ってうつ伏せに倒れた兵士の前に跪く。
それが握っていたドックタグを引っ張ると、指が千切れた。
付着した皮膚を払いのけてから彼の首に手を回す。
少し短いと思ったけれど、チェーンはまるでネックレスのように彼の首を一周した。
彼の胸元でタグが光を放つ。
「Ah……//?」
「全然派手じゃないよ?それに、似合ってる」
僕が頷いて見せると彼は照れくさそうにしながらも、満足気にネックレスに触れた。
夜のそよ風が笑い合う二人を揺らした。
*
「そうだ……」
一通り探索を終えた僕はとある用事を思い出した。
「そろそろ買い替えないと」
砂の満ちた辺り一帯に目を凝らす。その中で風に翻る何かが目に留まった。
かつて兵士たちが野営に使っていたテントの残骸を僕は慎重に引っ張り出した。
「掘り出し物だね」
布切れを丁寧にたたんだ僕は、彼を見た。
「帰ろうか」
「Eh~……”」
しかし彼は名残惜しそうに街を見つめている。
「だめだよ、もう夜が明ける」
僕が空を指さし、彼が振り向いたその時だった。
丘の向こうで銃声が轟いた。
「隠れて!」
咄嗟に持っていた布を広げ地に伏せる。
少ししてから揃った足音が近づいてきた。
「誰……痕跡……る」
「気……だろう」
すぐそばで声がする。風音に紛れて聞き取れないが何かを探しているようだった。
僕らはより一層息を潜める。
「ここ……ない」
「……か」
二言三言交わした後、足音は遠ざかっていき人の気配は消え去った。人影が無いことを確認して僕らは立ち上がった。
「危なかった」
「Uh……;;」
彼が震えていることに気づいた僕はそっと手を絡ませる。
「大丈夫」
「Eh」
「帰ろうか、今度こそ」
*
白み始めた空の下を二人、影を揺らしながら歩いていく。
砂に刻まれた足跡は風に流れて消えた。
小丘の頂上で僕らは別れを告げる。
遥か向こうで栄華の名残が朝日を浴びていた。
「またね」
「Ah……」
彼の背中に手を回し体を寄せる。同じように彼も僕に手を回した。ひと時の別れが辛くも心地よく心を撫でる。
惜しみながらも手を離したとき、閃光が走った。
間を置いて腹部に激痛が走る。
「!」
僕らはその場に倒れ意識を失った。
*
「Ah!!」
朦朧とした意識が呼び覚まされる。目を開くと隣で彼が悲鳴を上げていた。
起き上がろうとして、顔を顰める。あまりの激痛に呻き声が漏れた。
見ると脇腹のあたりに穴が開き、そこから血が溢れ出していた。
「嗚呼」
僕は悟る。無縁な日なんてない、いつも隣り合わせだった。『死』が、こんなにも恐ろしいものだとは思ってもいなかった。
視界がぼやけ暗転していく。照らす朝日は温かいのに、凍えるほど寒かった。
力の入らない手に何かが触れる。
「ごめんね……君を、置いて……」
息がうまく吸えずに最後は言葉にならなかった。
「君……を……」
握った手だけがほんのり暖かかった。
「Ai……Shite……Ru」
僕の意識が、君の存在が、光に溶ける。