第五章・あたりまえだのやばたにえん / 16
翌日、アリエスは藤倉邸に姿を見せなかった。
夏休みに入ってこっちほとんど毎日やってきて、例年にない大騒ぎをやらかしていたアリエスの不在は、藤倉家に想像以上の静けさをもたらした。
ヤクザの大立ち回りに接してしまって怖くなったのか。ゆかりがドヤしたから機嫌を損ねたのか。それとも、単に夏風邪でも引いたのか。藤倉家の大人一同は茶の間のちゃぶ台を囲んで頭を巡らせたが、アリエスからは何の連絡もなく、答えが出るはずもなかった。
───ことに凹んだのは、ゆかりだった。
「〝女子供はすっこんでろ〟って、子供の頃いちばん言われたくない言葉だったのに。言う側に回っちゃったからなぁ……」彼女はちゃぶ台に突っ伏すように頭を抱えた。「出てくとき、あの娘、本当に泣きそうな顔をしてたからさ……言われたくなかったんだろうなって……」
「───それはよかった」と、これはテツと欽太の声が重なった。
「なんで?!」意外な答えに反駁したゆかりに、
「あいつは、本当にイヤなときは〝スイッチ〟を切っちまう。無表情になるんだ」とテツは答えた。「泣きそうになったってのは、真っ向から受け止めたってことさね」
「我々にとって悪い行動を採ったら叱る、とちゃんと伝えてありますから、問題ありません。それで、叱られた子供の普通の反応をしただけですから、気に病むこともないです。あなたが金切り声を挙げてこの家を飛び出していったときとたぶん同じだし、翔太や陽菜だって、叱られれば同じように顔をしかめるでしょう? 世界が思い通りにならなくて苦しいでしょうが、それを受け入れ乗り越えるのも、大人への階段です」と、欽太が継いだ。
「それに、ケンカは一にも二にも体格だ。チビッコのアリエスを止めたおまえの判断は正しい、よくやった。───アリエスもだ。与えた役目をちゃんとこなして、身内の者を守った。褒めてやらなくっちゃなぁ」
あまり褒められたことのないゆかりが、テツの言葉にいささか複雑な表情をして───その日は、それで終わったのだが。
しかし翌日も、その翌日にも彼女は現れず、連絡もなかった。
対面以外で彼女とコミュニケーションを取る手段はスマホしかなく、しかしメッセージも音声通話もなしのつぶてだった。〝おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところにあるか……〟の機械音声が、むなしく響いた。
藤倉家の大人たちは、次第に不安を募らせていった。
まさかとは思うが、小金山の連中が意趣返しに誘拐したのではないだろうか。そんな極端な話も飛び出したが、何がしか要求するような連絡はこれまで来ていないし、彼らが児童誘拐という外道な犯罪に手を染めてまで得るメリットも見当たらない。あの騒ぎの中、松鶴堂にひととき居合わせただけのアリエスを、関係者と認識できているかも疑わしい。
欽太とゆかりは、駅東の高層マンション一二階にある、アリエスの住まいを訪ねてみた。
住所は光恵が知っていた。いつぞやのポーカー教室の申込書類から得た情報なので、個人情報保護法が云々とだいぶ渋られたが、非常事態だと一蹴して───光恵の立場からすると、ヤクザの恫喝そのもので聞き出したのである。
チャイムを鳴らしたが応答はなかった。人の気配や生活臭も感じられなかった。表札は〝真保〟ではなく、白板に代わっていた。
ちょうど、隣室の主婦が姿を見せたので、ゆかりが「市役所の者です」と名乗って(嘘ではない)話を聞き出してみると、お隣さんなら数日前に慌ただしく引っ越していった、行き先は知らぬ、と返答があった。
その主婦が付け加えた、「離婚してすぐ玉の輿に乗ったんだって、嬉しそうに言ってたわよぉ」という言葉に、ゆかりの目尻が嫉妬で吊り上がったことはさておいて、調停中だと聞いていた母親の離婚が成立、即再婚という流れで、親娘はこの住まいを引き払ったと察せられた。松鶴堂の事件とは無関係の出来事のようだった。
しかし、母親の再婚相手が誰か、親娘がどこへ行ったかはわからずじまいだった。ゆかりは役所のデータをこっそり探ったが、結婚届や転居届は出ていなかった。八滝学園にも探りを入れたところ、転校届も出ていないと判明した。
そこで手がかりは尽きた。アリエスの行方は、杳として知れなかった。
欽太・ゆかりは自宅へ戻った。
テツを交え、再び茶の間のちゃぶ台を挟んで思案を巡らせることとなった。そばには翔太もいて、PCをつないだテレビにカジノシトラスを表示させ、ぽちぽちクリックを繰り返している。
「引っ越ししたのはわかった。しかし電話もつながらんのはどういうこっちゃ」テツが腕組みしながら、首を右にうーんとひねった。
「転校してないなら、大檜近辺にはいると思いますが」欽太もかこち顔だ。「アリエスさん、再婚なんて話、ウチでは一度もしてなかったですよね」
「たぶん母親は、娘に相談せずに勝手に決めたのよ」本当に玉の輿だったら、あたしも子供らに話なんかしないでさっさと決めちゃうけどね、という本音を省いて、ゆかりは続けた。「親子で対話とか、もともとなかったみたいだし」
「せめて、元気でやってるかだけでも、わかればいいんだがな」テツが今度は首を左にひねって、再びうーんとうなった。欽太とゆかりも一緒にうーんとうなった。三人の、傾げた首の角度は同じだった。
と。
「アリエス姉ちゃんなら元気だよ」
そう言ったのは、会話の間ずっとカジノシトラスの画面に向かっていた、翔太だった。
大人三名は、揃って同じように目を見開いた。
「連絡取れてるのか?」
「どうやって?」
「教えなさい、翔太!」
翔太は、なぜ大人たちが焦っているのかわからぬ風で、不思議そうにカジノシトラスの画面を指差した。「……だって、そこにいるでしょ」
画面上に描かれた六人卓のポーカーテーブルを、三人は食い入るように見つめた。そこには、〝aries0330〟なるプレイヤーが参加していた。




