第五章・あたりまえだのやばたにえん / 15
「親分、帰らせちまっていいんですかい!」
「外で〝親分〟はやめてください、せめて〝社長〟で願います」源さんが悔しそうに声を挙げるのを、欽太は穏やかになだめた。「今は、これでいいんです。でもまぁ、宣戦布告したようなもんですから、いずれケリはつけますよ───それより、源さんにはひとつお願いがあります。キク婆さんの預金を、何とか埋め合わせておいてもらえますか。そろばんを、ドガチャガ、とやってね。いずれ、連中から取り返しますから」
〝連中から取り返す〟の言葉で、源さんは納得したようだった。「まかせとくんなせぇ、親分! ───いや、社長!」
はてさて。
欽太は夏空を見上げ、しばらく思いを馳せていた。
───博に関する私情を抜きにしても、やはり小金山は、きちんと追い落とさねばならぬ。堅気を騙して小金を稼いで、得た札束で殴って他の堅気の商売を潰すようなやり方は、大都会ならともかく、元のパイが小さいこんな田舎町でやったらパイ全体が毀損する。それではダメなのだと、絶望を与え引導を渡し、二度と這い上がれないようにしなくては。
一方で、今さっき脅しつけたからには、彼らもまたこちらを明確に敵視して潰しに来るだろう。言われたとおりに頭を下げに来るような輩なら、はじめから揉めたりしない。
今日の様子で、小金山は名桑にさえも信頼を置いていないとハッキリしたのは収穫だ。必ず自分で指示を出し、その通りに動かすのが、彼のやり方なのだ。
小金山商事のワンマン組織ぶりが、手に取るようにわかる。すべての業務のすべての情報を自ら把握して、部下には自己判断をさせずお伺いを立てさせている。そうして指示を出した証拠をすべて消すのは、何事もスマホで完結する現代では、そう難しくない。
小金山義司は、ヤクザの上下関係に憧れてそこに組み込まれようとしているのだから、彼のめざすところはつまり〝傘下の組の組長〟だ。愚連隊の最高位に居て、部下から親父と慕われたいのだ───金城博が慕われたように。
しかしそのために必要な威厳やカリスマを、彼は持ち合わせていない。威厳は、神鳳会の権威を利用するつまり金を貢いで手に入れるとして、彼個人に崇敬を集めるにはどうすれば良い?
彼の優位は頭の良さだけだ。頭が良くて計算が得意で、それゆえ金城博に頼りにされていた事実を利用して、後継者に成り上がったのだから。だとすれば?
自分より頭が悪い者だけで周りを固め、己の頭の良さで操ればよいのだ。つまり彼以外は、ぶっちゃけ、頭が悪いのだ。ロベスピエールしかりポル・ポトしかり、偽計を弄して革命を為した自覚がある者は、自分より頭がいい人物をそばに置いておけないのである。
そこが、つけいるスキに───なるか?
「さーて、僕らも戻りますよ……」
欽太は軽く何度か手を叩いて、集まった社員たちを車に戻した。
火種を残したまま、〝松鶴堂事件〟はこれにて収束したのである。
その頃───そうとは知らない藤倉邸の厨房では、別の揉め事が始まっていた。
アリエスが、松鶴堂へ戻ると言い出したのだ。自分も加勢に混ざるのだと。婆さんに悪さしたヤツらをとっちめるのだと。
「ダメ」
勝子とゆかりは、言下に否定した。
「なんでさ!」
「どうもこうもない! ならんものはならん!」勝子は切って捨て、
「戻ればヤクザの修羅場よ。あんたみたいな小娘ひとり、役に立つわけないでしょ!」ゆかりは今にも駆け出しそうなアリエスの前に立ちふさがった。
「あたしが子供だからか?! 女だからか?!」
「そうよ。あんたが子供で、女だからよ」
ゆかりはアリエスの首根っこをひっつかみ、引きずり上げて怒鳴りつけた。
「こちとらヤクザの身内で、ずっと女子供やってきてんのよ。どんだけ肩をすくめた生き方をさせられたか、どんだけ悔しい思いしてきたか、あんたにわかるか? できればこんな思い、二度と誰にも味わわせたくない───そのあたしが言ってんだ、すっこんでろクソガキ、もうてめぇの出る幕はねぇ!」
「じゃああたしは、大事な人たちをそんな場所に置きざりにして、逃げて来ただけになっちゃうじゃんか!」
「それでいいのよ。あんたは役目を果たして、出番は終わった! 揉めごとにこれ以上首を突っ込むな!」
ゆかりが口から泡を飛ばしてどやしつける間に、勝子はアリエスの普段使いのリュックを取ってきていた。アリエスに押しつけ、言い放つ。
「心配せんでも、ウチの男どもは負けやしないよ、ナメられっぱなしで帰ってくるものかい。ロクデナシばっかり出入りする家だが、そこんとこを疑ったことはないね。クソババァの小言なぞ聞きたくなかろうが、ケンカは男、メシは女、それでウチは回ってるんだ。気に入らないなら、二度とウチの敷居をまたぐな」
ゆかりが大きくため息をつき、苦虫を噛み潰したような顔をした。「そう言われてホントに出ていって、どれだけ自分が庇護されてたか思い知って、出戻った娘がここにいるワケよ……」
リュックを前抱きにして受け取ったアリエスは、うつむき、眉根を潜めて、今にも泣きそうに顔を歪めて、しばらくその場に突っ立ったままでいた。───勝子がトドメを刺すように言った。
「そんなザマで、修行も何もないだろ。今日はおとなしく帰んな。坂を上ることだけは許さん」
アリエスはすっかりしょげ返り、ゆっくりときびすを返すと、裏門から出ていった。勝子とゆかりは少しだけ後を追い、彼女が松鶴堂とは逆の、駅の方角へ向かうのを確かめた。日が西に傾き始めた頃で、長い影をともなう足取りは、とぼとぼと頼りなかった。




