第五章・あたりまえだのやばたにえん / 14
先に動いたのは小金山だった。彼の判断は即時撤退だ。へらへらと笑いながら、形だけ頭を下げてみせる。
「いやぁ、若いのがヤンチャしてすみませんねぇ。自分からきつぅく言っときますんで、ここは収めてもらえませんかねぇ」
背後で、なんちゅうシラの切りようだ! といきり立った者もあるようだが、
「こっちこそ、うちの親父がヘンに絡んじゃったみたいで、すまなかったね。こちらも昔の古傷に沁みるところだし、今のところ君らのシノギを邪魔する理由はないよ」今のところ、を若干強調しつつも、欽太は穏やかにすまして流した。
「じゃあお互い様ってことで、ここは手打ちにさせてもらっていいですかい」
「僕はかまわんよ。ただね───」欽太は言葉を切って、しばし小金山の目をじっと見据えた。「博くんがいたら、何と言うだろうかと思ってね」
小金山は少しだけ怯んだように見えた。が、すぐに平静を取り戻し、目を逸らして背を向けた。「死んだ人のことを今さら持ち出したってしょうがないでしょうよ。酷い当てこすりもあったもんだ」
───欽太は知っているのだ。この男の最も大きな罪がなんであるのか。リフォーム詐欺など、あげつらう価値もないことだ。
金城博が、工場地帯で実施していたドラッグレース。参加費を徴収し、その資金で大いに飲み食いするどんちゃん騒ぎを伴ったが、それ以外には金は動かさなかった。レースそれ自体の勝者には名誉のみが与えられ賞金は出なかったし、ましてや勝者を予想する賭事など論外だと、彼は仲間たちに強く言い含めた。彼は父親から、大檜が負う賭場禁止の制約を、耳タコなほどに聞かされていたからである。
少なくない参加者が、名誉だけでは足らぬ実をよこせと不服を言ったが、博はこれだけは頑として曲げなかった。大檜戦争の話を持ち出すと、なぜそんな古臭い決めごとに従わねばならぬのかと余計に反発を買ったから、彼の頑固さだけが賭博禁止を支えていたといってよかった。
そうした不満をなだめる目的もあったろうが、どんちゃん騒ぎにあたって彼は気前よく振る舞った。参加費には限界があるのに財布の紐は緩く、そのあたり、博の経済観念のなさにも問題があったのは確かだ。
結果として、レースを開催するたびに持ち出しが発生し、金庫番たる小金山は我慢がならなかった。そしてあるとき、赤字を補填すべく、博に黙って勝者予想の賭博を企画したのだ。それはすぐに博にばれ、逆鱗に触れた。小金山は顔が腫れ上がるまで殴られた。
博が事故死したのはそれから数週間後である。
欽太は知っている。大檜の警察の情報は、すべて藤倉一家に筒抜けなのだから。事故車のブレーキホースには、人為的に傷がつけられていた。誰がつけたかを特定できる証拠は、何もない。
───話はすんだとばかりにセダンへ戻る小金山の背に、欽太は再び言葉を投げかけた。
「博くんは藤倉一家の構成員だったからね。スジの通し方を知っていた。君も、ヤクザのまねごとをしたいんなら、スジの通し方を知っておきなさい。スジってのは、身内にだけ通すのではない。関係者全員が納得するように通すんだ。面倒でも、そういう交渉を細かく積み上げていくのがヤクザの───ではないね、大人の社会ってのはそうしてできている」
欽太の声色が、少しずつ氷のように冷えていくのを、誰もが感じ取っていた。博の一件に関する後悔や憎悪も、にじみ出ていたかもしれない。名桑は気圧されてじりりと後ずさり、小金山はセダンのドアに手をかけたままぴたりと動きを止めた。
「小金山くん。いや───コキン。僕はね、君が博くんの後を継いで、遺された若い連中を取りまとめて小金山商事を立ち上げてくれたとき、本当に感謝したんだよ。藤倉一家から離れ、我々の商売敵になったことさえ、心底喜んでいる。しょせんはヤクザの残党だ、悪党けっこう愚連隊けっこう!
けれどね───年寄りを押しのけてその居場所に居座りたいのなら、どいてくださいと頭下げて、為すことを為して出すものを出して、スジを通したらどうかな。スジの通らない不始末がバレてしらぱっくれたあげくに、逆恨みするような子供には、大人がきちんと鞭を打たなきゃダメだよねぇ!」
冷える背筋に耐えて、小金山はどうにかひとつ、捨てぜりふを返した。
「こっちだって遊びでやってんじゃねぇんスよ。指でも詰めろってんすか古臭い! 子供に見えるってんなら、そっちが年取っただけでしょうよ。あんたらのやり方と同じことしてたら、貧乏と加齢臭が移っちまわぁ」
「やり方が違うというなら、行き先も違うはずだろう。さっさと追い抜いて時代の先を探せばいいものを、年寄りの居場所にこだわればそりゃあ加齢臭も移るだろうさ!」
欽太の叱声を、聞いているかいないか、小金山は逃げるように車に乗って、「おら、てめぇら、さっさと退け! 言ったろォ、殴り合ったってカネにならねぇんだよ!」手下どもに一声怒鳴ると、ドアを閉めてしまった。
大将の撤退により、部下たちも三三五五その場を去って行く。名桑も舌打ちをしつつ、ケイワイ工務店のバンに戻った。
松鶴堂一帯は、ようやく平穏を取り戻した。




