第五章・あたりまえだのやばたにえん / 11
とはいえこの場は、ポーカーで片がつく状況ではない。
ブレーキ音を聞きつけ、テツとジョーも飛び出してきた。〝ケイワイ〟の文字で、直ちに小金山義司率いる一党の者だと理解する。
「なるほどねぇ、小金山の収益が不自然だと欽太がボヤいてたが、そういうカラクリかい」
テツが木製バットでぺしぺしと首を叩きながら、アリエスと車を降りてきた赤シャツ男との間に割って入った。下がれ、と手で促す。
「こいつらナニモン?!」とアリエスが問うと、
「まぁ、俺らの商売敵ってトコだな。俺らがヤクザやめたから、代わりにヤクザみたいな商売を始めた連中ってワケよ」ジョーがささやいて返した───テツには、契約書に添えられていた名刺を渡す。「知ってるヤツか?」
〝名桑〟とあった。赤シャツ男の名前のようだ。
「知らん。金城の息子が抱えてた連中とは、さすがに面識がない」
ポケットに手を突っ込み、尊大に背をそらしながら立つ赤シャツの名桑と、相変わらずバットをぺしぺしやるテツとが、至近距離で向かい合う格好となった。関東でいうガンの飛ばし合い、関西でいうメンチの切り合いだ。といっても、目に力を入れてぎろぎろ眉根をひそめるのは名桑だけで、テツは飄々と受けて立っている。
「ぁんだじじぃ?! てめぇの孫かありゃあ?! しつけくらいきちんとしとけってんだクソが!」
デカい声を出せば相手が怖じ気づくと思っている、典型的なヤンキー上がりのようだ。テツには小鳥のさえずりもいいところである。
「しつけが必要なのはおまえらだろう。ボケた爺婆から金せびり取るなんざぁ、つまんねぇシノギにもほどがあるだろうよ」
「あぁん?! こっちはなぁ、契約書通りに、仕事をしてるだけなんだよ! 文句あんなら、出るとこ出たっていいんだぜ!」
「おぅ、出ようや。今はそんな契約、簡単に取り消せる」かつて暴対法対策に詰め込んだ法律知識が役に立った。そして名桑が、自分で考えたり学んだりしない、誰かの指示───つまりは小金山への忠誠だけを根拠にデカい態度を取る兵隊なのであろうと理解した。ポーカーやらせたら弱いだろうなぁ、と頭の隅でチラリと思い、それが事実であるとはテツは知らない。
ジョーに目配せして、位置を入れ替わる。今度は彼が煽りにかかった。
「名桑っつったか。大檜でゲスな商売に手を出しておいて俺らを知らんとは、ちょいとモグリが過ぎんじゃねぇのかい」
「知らねーよ。何をエラッソウに説教垂れてんだこの老害が! 痛い目見るかオラァ!」
ジョーに名桑の相手をさせている間に、テツは腰を落としてアリエスにささやいた。
「アリエス」
「なに」
「ちょっと揉めそうだ。ヤクザのメンツの問題だからな、放ってはおけねぇ。すまんがおまえさん、あの家の玄関脇にチャリがあるから、ひとっ走り坂を下りて、藤倉の屋敷に加勢を頼んできちゃァくれないか」
「連絡すればいいじゃん」
「俺ぁ携帯を持ってねぇ」
「あたし、お屋敷の番号ならわかるよ? かけようか?」アリエスがスマホを取り出すと、
「もう夕飯時が近い。この時間は、勝子が勝手にいるだけだ。料理中のあいつは電話なんて鳴りっぱなしで無視しかねん。直接行った方が間違いがねぇ」テツは拒んで、アリエスの背中を押した。
「あたしだってあんなサギ許せないし、それにあのおっさんたいしたヤツじゃないよ、だから……」彼女は食い下がり、残って顛末を見届けたがったが、
「理由はもうひとつある。───そら、見な」背を押し続けながら、テツは玄関がある路地の方へ顎をしゃくった。見れば、キク婆さんが、か細い声を発しながらよたよたと走ってくるではないか。
「けんかはおよしよ~」
当人にとっては、目の前で起きたいさかいは、店主が全速力で駆けつけて鶴の一声でどやせば諫められる、子供同士のものであったろう。しかし現実は、足下の覚束ない九〇過ぎの老体が、ヤクザの抗争に突っ込んでいっているのである。
テツは続けた。「婆さんを止めなきゃマズい。それに、記憶ボケボケとはいえ詐欺の当事者だ、ヤツら口封じなんてことを考えないとも限らん。今言ったチャリは、後ろに荷台がついた三輪のヤツだ。それに婆さんを乗せて、避難させるんだ。で、勝手の勝子に加勢を頼む。わかったか? 任せるぞ、こいつは大事な仕事だ」
真剣に頼まれて、アリエスの顔も少しシャキッとしてくる。テツは、彼女の背中を叩いて送り出した。
「五分は保たせる。大急ぎで頼む。だがあせりすぎるな、下り坂でスピード出しすぎて転ぶなよ」
言われるままアリエスはダッシュで玄関へ向かい───その間に、いったんキク婆さんとすれ違う───三輪自転車に乗って引き返した。やたらフレームとタイヤが太く、ごつい荷台がついた、年季の入った逸品だ。婆さんに後ろから追いついて、荷台に乗るように促す。
「あれ子供じゃないよ、ヤクザのケンカだ。藤倉一家に応援呼びに行くから、お母さんも一緒に来て!」
「おやそうかい?」
それでもキク婆さんは、子供のケンカは止めねばならぬという使命感に突き動かされているようで、素直に乗ってはくれなかった。アリエスはいったん自転車から降り、かまわず老体を持ち上げて荷台に載せた。───軽かった。齢九〇の老人の体とはこんなに軽いのか。体育のペアストレッチや組み体操で日頃体感している、人間の肉の重さや密度とはあまりにかけ離れていた。
それでも三〇キロはあろうから、一一歳の少女には火事場の馬鹿力の為せる技である。えいやと荷台に載せると、かまわず自転車を漕ぎ始めた。
初めて藤倉屋敷に来たときと、真逆だ。あのときは何もわからないままムリヤリ後ろに乗せられたが、今は何もわからない人をムリヤリ後ろに乗せている。これも、藤倉の流儀になじんできたってことなんだろうか。
午前中のヘッズ勝負の時、テツは〝ケツを持つ〟と言ってくれた。いっぱしのバクチ打ちとして認められたならば、きっともう自分は藤倉一家の一員で───まして最若手の構成員ならば、あの修羅場でメンツを賭けて張り合うことこそ、本来自分が為すべき仕事のような気がして───後ろ髪を引かれる思いを味わいながら、アリエスは長い坂を下りていった。




