第五章・あたりまえだのやばたにえん / 8
その日の昼食は、藤倉一家の囲むちゃぶ台にジョーも加わり、アリエス製ソーメンチャンプルーを相伴に預かって賑やかになった。
昼食の後、テツとジョーとアリエスは、藤倉の屋敷を出て、夏の午後の日差しがじりじりと照りつける中、神社の建つ丘に沿う急坂を上っていった。
いわゆる河岸段丘で、神社は段丘の上に、宮下地区は段丘の下にある。大檜市街は、かつては檜川の淀みが作る低湿地だった。戦国期に治水工事が為され新田が拓かれたが、江戸時代中頃に大檜神社参詣が盛んになり、農村よりも門前町として賑わうようになったのだ。
神社はもっと前から鎮座している。坂を上がると、元々の門前である、道の入り組んだ集落がある。
「俺とジョーとが昔、ヤクザ同士で抗争してたって話は、欽太から聞いてるな?」
えんやこらと坂を登りながら、テツはアリエスに、昔語りを始めた。彼自身、思い出をたぐり寄せるかのように、ひとつひとつ言葉を確かめながら。
「その最後にして最大の激闘は、〝あすひ亭の死闘〟と呼ばれてる。講和のはずが決裂し、切った張ったの大立ち回りに至った原因は、ジョーの親父が賭場でやらかしたイカサマだった。だがそれが露見したとき、奴ぁ自分で責任を取らなかった。他人に押しつけたんだ」
「それヒデェ」アリエスが言った。
「身内の恥で、ホントすまんこった」ジョーはため息をついた。
「押しつけられたのは、そのとき壺を振っていた───ポーカーでいうディーラーをやっていた、松という女だ。俺らと同じくらいの歳で、いい女だった」あのときおまえゆりえさんともう結婚してたろうが、というツッコミを、ジョーは飲み込んで黙った。「イカサマは彼女が勝手にやったことで、自分らは知らんとすっとぼけたんだ。だがそれが、荒立った騒ぎをいちばん穏便に収められる解決策なのも確かだった。俺たちはそれを認めて、彼女を見捨てた」
「ますますヒデェ。サイテーだな」
「こればっかりは、罵られてもしょうがねぇ。人を斬ったことより、見捨てたことの方が心が痛む。せめて命だけは助けようと───あのまま神鳳会の手に落ちると、どんなリンチが待っているかわからなかったから───、俺たちは彼女を海外に逃がした」
「俺のアメリカの友人を頼ったんだ」ジョーが補足した。「今と違って、海外旅行が高嶺の花だった時代だ。国外に出さえすれば、追っ手はかからない」
「……だがそうとなれば、二度と日本には戻れない。母ひとり娘ひとりで仲むつまじく暮らしてきた親子を、海を隔てて引き裂くことになっちまった。まして、母親は癌と診断されてて、余命幾ばくもないと医者に言われていた。今生の別れを悟って、ふたりはわぁわぁ抱き合って泣いたよ。渡世の義理ってなまさしくこれだ、母親の面倒は最期まで見てやると、俺たちは松に誓ったのさ」
テツがぐっと拳を握り、ジョーは深く頷いた。
「ふぅん……」
古き世代の男の誓いに感じ入るものがあったのか、アリエスはしばらく感心していたが、しばらくしてふっと気づいて言った。
「……それが、テツの若い頃の話なんだよね。てことは何? 今から行くの、お墓参り?」
彼女の問いに、ふたりの老人は目を逸らして黙り込んだ。
「どったの?」
「いや、さぁ……」
ふたりは口ごもりつつ。言葉を探して。
やがて、「医学の進歩って、すげぇな!」と、声を合わせて叫んだ。
「俺たちゃ癌なんて不治の病と思ってたさ。宣告されたが最後、死を覚悟するしかないってな」と、テツ。
「ここらのヤブは見限って、東京のいい病院で診てもらったらどうだい、大きな腫瘍だけ手術で取って、後は薬で散らしましょうと来たもんだ。放射線治療も組み合わせたら、ほんの数年で寛解だってさ」と、ジョー。
「そんでもって、九〇過ぎて、まだくたばらねぇ!」またふたり、声をそろえて言い、カラカラと笑った。
「約束は約束だ。最期まで面倒見るってな。だから月に一度は、俺かジョーのどっちか、こうして様子を見に行ってるわけさ。俺たちの腐れ縁が切れずにすんだのは、あの婆さんがしぶとく生きてるおかげだな」
「月イチで大丈夫なの?」
「すっかり目も耳も弱って、だいぶボケちゃあいるが、身の回りのことはひととおり自分でこなせるし、なによりまだちゃんと商売してるから、心配しすぎるのも良くないだろってな」
「……九〇過ぎで、商売?」
「ここだ。着いたぞ」
坂を上りきるとゆるやかな傾斜地となり、視界が開けた。さらに先に延びる道と右へ分かれる道との三叉路があって、左手は、車数台止められる程度の更地があり、その奥の錆びた金網柵の外は段丘崖となって落ち込んでいた。町の中心部が坂下の門前町に移り、そこさえも斜陽となりつつある今、この近辺はめっきり住民が減り、他にも更地や空き家は少なくない。
その三叉路の又に未だ残る、築八〇年は経とうかという古ぼけた木造平屋。すっかり色あせた赤いビニールの雨よけに、毛筆体で〝松鶴堂商店〟と屋号が塗り込まれていた。引き戸の横に、上から開けて取り出すタイプの、年代物のアイスクリーム販売用冷凍庫と、金属製の脚に錆の浮いたガチャガチャが並んでいる。さらにその隣にある、白いプラスチック筐体のカードダスが、見える範囲でいちばん新しい品物だった。───駄菓子屋である。
「アリエス、何か欲しいモンがあったら爺ぃにねだれ。好きなの買ってやるぞ」
アリエスはぽかぁんと口を開けていた。「えっ、ここ、何か買える場所なの?」
「えっ」「えっ」テツとジョーは、また世代差にうめいた。




