第五章・あたりまえだのやばたにえん / 7
「楽しくねぇか?」テツは背筋を伸ばして問いかけた。「もっと楽しめって、あの市原とかいう兄ちゃんにも言われたろう」
「うーん……テツとこうして張り合ってるのは、楽しいっちゃ楽しいけどさ」アリエスは難しい表情になった。なんと答えればいいか、測りかねている様子だった。「ほら……あたしの場合、将来がかかってるじゃん? バクチをちゃんと仕事にして、ポーカーの腕ひとつで、おカネを稼げるとこまで行きたいの。仕事なんだったら、もっと、真剣にやんなきゃダメっしょ?」
「真剣が楽しくて、なぜいけない? 楽しく将来を賭けて、何が悪いってんだ」
アリエスは、ひょっと顔を上げた。テツのその答えを、予想もしていなかったようだった。
テツはぴんときた。
「ははぁ、おまえさんは、『真剣に遊ぶ』なんてない、と思ってるクチか。親や教師から、真剣ってのは黙ってしかめっ面で机に向かってなきゃダメで、トランプ見ながらニヨニヨしてんのはくだらんヤメロって怒鳴られてきたか」
「……親にはもう言われないよ、口も利かないってだけだけど」アリエスは苦笑した。「そういうもんじゃ、ないのかな。子供の仕事は勉強だって言うじゃん? スポーツでも音楽でもいいけど。それって、努力して苦労して我慢していい成績取って、でも態度は明るく元気よく、そういうことでしょ。そうでなきゃ、大人には認めてもらえない」
アリエスは、カードを持つ手を下ろし、膝をつかんでうつむいた。
「でもあたしには、バクチ打ちしか生きてく方法がないから。ヘラヘラやってる遊び人の遊び金を陰からかすめとる、そういうことを努力して我慢してやるんだ。覚悟は決まってるけど、楽しくはないよ」
「アリエス」テツも手を下ろして、膝に拳を置き、静かに諭した。「おまえさんは、間違いなくバクチ打ちになれるよ。それで食っていける。なんならケツ持ってやる。金に困ったらウチに来い、すかんぴんで来てもメシくらいは食わせてやらぁ。……だけどな、アリエス。そこらのカモをひっかけて日銭かすめとるだけなら、そりゃあヤクザな日陰者さ、違ぇねぇ。だが、それで満足かい?」
アリエスは、うつむいたまま、少しはにかんで、ほろりと言葉を漏らした。
「行けるところまで、行きたいよ」
「どこまで」
「……」
アリエスは黙り込んで目を逸らした。
それは、テツがこれまで何度も見てきた態度だった。言いたいけど、言えない。大人の顔色を窺って、いつの間にか刷り込まれた世間体に従って、その言いたいことが、恥だと感じるようになる。
「なぁ、アリエス。そりゃあ確かに、子供が勉強していい点取って、努力辛抱いっぱい覚えて、明るく元気よくいてくれりゃあ、世の中にとっちゃあ嬉しい。あぁ良い子が育った、ってな。───でもおまえさん、そんなふうに誉められたいってのか? こすっからくひねくれて、よその爺さん家で札びらバラまいてバクチ打つよな悪ガキだろうが。そこらの良い子とおんなじことしてどうすんだ。でな、覚えとけ、人とおんなじことをしない奴だけが、今まで誰もやらなかった、頭のネジすっ飛んだどでかいことをやらかせるんだ。そこまでいけりゃあ───そいつぁ絶対、楽しいことだ」
俺には至れなかった境地だ、とテツには寂しくもあった。悪童がヤクザ者になり、人と同じような生き方をせずに重ねた人生は、面倒ごとの方が多くて、必ずどこかで壁にぶつかった。どでかくやらかせず、楽しくなりきらなかった。それどころか、自分がぶつかった壁のために、息子を事業から引き揚げさせもしている。
現実とはそんなものだ。よく知っている。幾度も壁に弾き返され、あきらめてきた。それもまた重ねた罪の深さだ。だが、〝それが現実だ〟と訳知り顔に言って、壁に向かって〝あきらめさせてくれてありがとう〟と拝み奉るような生き方を選んだつもりはないし、子や孫に教えたつもりもないのだ。
まして、人生のとば口に立ったばかりのアリエスに教える罪ではなかろう。
「誰かに認めてもらおうとか、いま考えるこたァねぇんだ。バクチを他人よりうまくやれて世のため人のためになりますかって、なりゃしねぇや。だけどおまえ、その生き方を選んで、どこまで行くんだ」
テツは、アリエスにぐいと顔を近づけて問うた。
「マカオの大会に行って、優勝する、って言ったな。あれは、できもしない与太話か」
アリエスは無言で、小さく首を横に振った。
「ポーカーの世界大会ってな、賞金が一五億だってな。ぶん捕ってきたかねぇのかい」
アリエスは無言で、小さく首を横に振った。より強く。
「口先でフカすだけなら誰だってできる、だがやることやって腕ェ磨いて、世界を向こうに回して戦おうってヤツが、世間様に何を憚ることがある。『私には夢がある』って、胸張って言え!」
アリエスは無言で、歯をぐっと噛みしめて、何かが背筋を駆け上がってくるのを必死で耐えた。
───そこへひょっこりと、庭に姿を見せたのは、ステッキをひょいと振り回す白スーツ。ジョーだ。縁側にどっかと腰を下ろしていわく。
「あ、なんか感動してるぞこいつ。『私には夢がある』、アイ・ハヴ・ア・ドリーム、ってなぁ、有名な演説の一節だ」軽い口調に、空気がふわっと緩んだ。
「なんだよ、パクリかよ! マジメに聞いて損した!」アリエスは目をこすりながら、そのしぐさをごまかすように強い声を出した。ふたりは、それを見ないふりをした。
「聞いてたのか」と、テツ。
「途中からな。珍しくいいこと言ってるな」
「珍しくは余計だ」
「誉めてるのは本当さね。俺も好きな言葉だ。日陰の道にいた俺らみたいな人間が、世間様に勝手に貼られたレッテルを吹き飛ばすにゃ、最高にいい」ジョーはテツにささやいた。「こんな生きにくい世の中で、子供に夢があるってんなら背中を押してやって、邪魔するような輩はつぶしとくのが、せめて老いぼれの仕事だろうって思うよ」
テツは小さく頷いた。ちょっと照れくさい会話になった気がして頭をぽりぽりと掻いて、さっと話をそらす。
「ところで、何の用だ? ウチの敷居をまたぐなんて久しぶりだな」
「何の用だはご挨拶だな。今日は例の日だろう」
「例の───あぁ、そうか。今日、行くのか」テツははたと手を打った。「確かにそうだが、今月はおまえの番だ。今まで、お役目果たす前にここに顔出したことなんて、なかったろう」
「そうなんだが、」ジョーはアリエスを指差した。「連れてったら喜ぶんじゃないかと思って、ちょいとお誘いにな」
「あぁ。なるほど」
「……何の話?」アリエスは訝しんだ。




