第四章・重いコンダラ天元突破 修行編 / 13
さて───そんなドタバタの後、いよいよ盛りつけの段になって。
「勝子」
欽太が、厨房の外から呼びかけた。
「それ、少しお供えしてもいいかな」
「お昼なのに?」
「うん」
「冷たい食事は、仏さんにあげるもんじゃないでしょ」
「今回だけだよ」
「しかたないねぇ」
そして勝子は、アリエスから見るととても奇妙な振る舞いを始めた。
やけに脚が高くて長細い、見るからに不安定な小皿に、できたてのパスタを載せ始めたのである。……その器自体は、この一週間で、持ち歩く勝子やテツの姿を何度か見ている。ただそのときは、米が載っていたような気がする。
「何してんの?」
アリエスが尋ねると、これだよ、と勝子は肩をすくめた。
「仏飯も知らないのかい! まったく、イマドキの子は常識がなっちゃいないね!」
「お母さん、イマドキは仏壇がある方が非常識だから」ゆかりが言い返した。「仏前にパスタ供えるなんてのも初めてでしょ? 時代は変わるのよ」
仏飯器を受け取った欽太は、アリエスを手招きした。
「せっかくだから、アリエスさんも挨拶していってください」
「挨拶って?」
「こっちです」
欽太は、茶の間のふすまを開け、奥の仏間にアリエスを招き入れた。
テツや欽太が食前にふらっと入っていくその場所には、仏壇があるのだと、アリエスは聞いていた。彼女にとって死体安置所のイメージしかなく、なんとなく怖くて、辛気くさそうで、触れてはいけない場所だと直観していた。だから、これまで足を踏み入れていなかった。
恐る恐る敷居をまたぐと───開いたふすまの隙間から入った夏の日差しの反射光が、金ピカきらりとアリエスの目を刺した。視界いっぱいに広がる幅の仏壇だ。かつて見たことのない光景だった。
空調はしっかり利いていて、日の当たる茶の間よりもひやり涼しい。冷えていく汗に緊張感を感じながら歩を進めると、長押にいかめしいおっさんどもの白黒写真が並んでいて、いっせいに睥睨してきた。なんだこいつらは。音楽室の大作曲家か。
侠名を謳われた明治大正期の豪傑どもとにらめっこを始めたアリエスに、欽太はくすりと笑みを浮かべた。
「そっちは、アリエスさんは気にしなくていいです。このでかい仏壇も、そのえらそうなおじさんたちの見栄です。僕らにとって大事なのは、こっち」
欽太は、手前の小さな写真立ての前へと、アリエスの背を押した。アリエスは自然と、かしこまって正座した。写真には綺麗な和装の女性が写っていた───画素の粗いカラー写真は退色がずいぶんと進んでいて、くっきりと残るのは黒い部分だけだった。今は見ない形のもみあげと、まっすぐこちらを見つめる瞳が、印象に残った。
「これは、僕のお母さんです。つまり、藤倉徹五郎の奥さん」
「死んじゃってるの?」
「どこにいると思ってました?」
欽太は、その後ろに並ぶ小さな位牌にも手を触れた。
「それからこっちは、僕のお姉さんと弟と妹」
「え?」
「四人きょうだいだけど、育ったのは僕だけです」
「……」
「これ、前に置いてください。私が作りました、どうぞって」欽太はアリエスに仏飯器を手渡した。想像もつかない話だったようで、アリエスはぽかぁんと口を開けた。
「置いて、どうするの」
「手を合わせたら、挨拶したことになります」
言われるままアリエスは、仏飯器を写真の前に置き、手を合わせた。それからどうするのかと周りを見回すと、欽太もまた手を合わせ、こうべを垂れて目を閉じ黙祷している。アリエスもしばらく同じようにした。
「お姉さんは、僕が生まれる前に死んじゃいました。一歳の誕生日を祝った次の週に、寝てると思ったら冷たくなってたそうです。お母さんはたいそう悲しんで、思い出してしまうから写真は飾らないでくれと言ったそうです。だからここに、お母さんの写真はあるけど、他のきょうだいの写真はありません」
欽太が訥々と語るのを、アリエスは手を合わせながら聞いた。
「末の妹は生まれてすぐ死んで、そのときお母さんをいっしょに連れてっちゃいました。そして弟はね、三つのとき、僕の目の前で泡を吹いて死にました」欽太はいちど振り向いて、襖の向こう、茶の間の掃き出し窓の、さらにその先のことだと、指で示した。「縁側で、並んでおやつを食べてたんです。おいしいねって。そしたら急に苦しんで、体をガタガタ震わせて。……今の知識なら、あれはアレルギーの発作だとわかります。でもその頃は、僕も知らなかったし、父さんも知らなかったし、エピペンなんて便利なものもなかった」
「クラスにエピペン持ってる子いるよ。給食、別にしなきゃいけないから大変」
「でしょ? 今は小学生でも知ってることを、本当に世の中誰も知らなかった時代があるんです。本当につまらない理由で、人って死ぬんです」
アリエスは、テツが修行初日に見せた歯切れの悪さを思い出して、少し表情を暗くした。
「ねぇ、それって、───オヤノインガガ、コニムクイて、だから死んだってこと? テツ、気にしてたよ」
「……気にしてたんだ」
欽太は、アリエスをこの場に呼んで良かったと、微笑を浮かべた。表情が暗くなったのは、自分の親と重ね合わせているからだ。スイッチを切らずに、親の存在を想起しているのだ。良い傾向だと、欽太には思えた。




