第四章・重いコンダラ天元突破 修行編 / 10 (ポーカープレイシーン有)
翌日。
アリエスは言われたとおり裏門から入り、さっさと着替えて道場に入った。昨日の洗礼で、遠慮など無用だと十分理解した。二日目にして、勝手知ったる振る舞いである。
その日の修行も、テツには指一本触れられなかった。常に同じ呼吸で動くのだと頭でわかっていても、まったく体がついてこない。テツは摺り足を教え、少しずつ間合いを詰めるように促した。
昼食はソーメンだった。
午後から、テツのポーカー修行が本格的に始まった。
テキサスホールデムは、状況ごとの勝率がはっきり数学的にわかっている。確率だから必勝必敗となる状況は少ないが、勝率の高いところで勝負するのが鉄則だ。さらに、チップをより多く稼ぐには、ベットやレイズを適切なタイミングと額で実行せねばならない。
それを判断するための情報が、いくつもある。アリエスは、ポジション別のスターティングハンドレンジ表と、VPIP・勝率・アウツ・オッズ・期待値といった基本用語の説明を記した模造紙を壁に貼り、定規でぺしぺしと叩いた───さながら自由研究の発表会だ。
「ここらへんのこと、あたしは丸暗記してるけど、テツは無理して覚えなくていいよ。ただ、こうやって表で示せるような情報があるってことは、理解しておいてほしいんだ。普通の相手は、この確率に近いところで勝負してくるから」
無理しなくていい、と言われても、テツの顔はこわばるばかりだ。座学で勉強するなど、暴対法対策に法律知識を詰め込まれて以来である。はるかに年下の教師相手に、これまで見たこともない表を羅列され、聞いたこともない言葉を高い声で聞かされては、飛び交う電波が突き刺さってくるかのようで、脳がちりちりと痛む。
「……実践した方が早そうだね」
目を剥き脂汗を額に浮かべるさまを察して、アリエスはテツをパソコンの前に座らせた。自分でいくらかマウスを操作し、〝Practice:Solo Mode STT 1$/2$:100BB:EASY〟を選択する。
「これ。しばらくはこれでトレーニングするから。いい?」
クリックすると、ポーカーテーブルを模したカジノシトラスのプレイ画面が、三七インチのテレビに映し出された。画面中央下部に、イケメン幾松の画像があり、〝tetsu〟の文字列が重なる。さらに、テーブルを囲むように九人の異なるキャラクターがいて、それぞれの前にチップが同量積まれていた。
幾松以外のキャラクターは、サングラスで目が黒く覆われている。丸、四角、三角で端がとがったの、さまざまな形状だ。
「これは練習用トーナメント。サングラスの連中は、全部AI───つまりコンピューターが動かしてて、状況に応じて自動で相手をしてくれる。〝確率に近いところで行動する普通の相手〟を演じてくれるんだよ。で、ひと勝負が終わった後に、手札に何を持ってるか必ず見せてくれる。どういうときにベットして、どういうときにレイズして、どういうときにフォールドするのが標準なのか、こいつらの行動を見て覚えて」
画面上で、ディーラーポジションのテツに手札が配られた。♣5♡7。AIはあっという間に行動し、尖ったサングラスをかけたキャラがひとりレイズ、他は下りて、たちまちテツの手番となる。
えぇっとどうするんだっけ。テツは、壁のスターティングハンド表を確認した。今いる場所が、ディーラーポジションで、その場合は、えっと、〝レイトポジション〟の表を見るんだったっけか。ひとりレイズしてる場合は、いちばん右の表で、その縦列、横行、5と7が、交差するところ。スーテッドとオフスートって何が違うんだったっけ?
「制限時間は二〇秒だよ」
時間切れを知らせる警告音が鳴り響き、自動的にフォールドとなってしまった。手札が、画面中央へ吸い込まれるように消えていく。テツは、何もできないうちに負けたのだ。
画面上では、AI同士が勝手にやったりとったりして、勝負を猛スピードで繰り広げている。もはやついていけない若者の世界との断絶を感じて、テツはひどくみじめな気分になった。
その様子を見てか、アリエスは「焦るこたないよ」と軽口で言った。「これ練習用なんだから、負けまくったって平気だよ。場数踏んで勘所をつかむって、そういうことでしょ。わかってくれば、表なんか見なくても決められるようになるよ」
違いない。みじめな負けにのたうち回るのも、バクチ打ちの業だ。何度も経験してきたではないか。本当なら大金を失いながら学ぶことが、パソコンひとつでできてしまうのだから、味気ないとすら言える。
「午前中に、あたしが転かされまくってんのと同じじゃん。バクチは最後に勝ってればいいんだ、そうでしょ?」
道場で、転ばされるたび食らいついてくるアリエスの姿を思い返す。大人になると、よけいなプライドがジャマをして、そういうがむしゃらな姿勢をカッコ悪いと思うようになってしまう、が、そいつぁ負けているバクチ打ちがひたっていい心持ちではない。子供ができることに爺ぃが繰り言を言う方が、よほどプライドに障ろうものだ。
テツは顔を引き締め、しゃんと背筋を伸ばした。ぱしんと両頬を叩く。やると決めたんだから、やるのだ。
「よっしゃ大丈夫。もういっちょいこう」




