第四章・重いコンダラ天元突破 修行編 / 7
しばらく風に吹かれて───少し頭が冷えたアリエスは、気になっていたことを尋ねた。
「ねぇ」
「ん?」
「欽太さんに聞いたんだけど。───人、斬ったの」
楽しい質問ではないから、答えてもらえないかと思っていた。しかしテツの返答はあっさりしたものだった。
「斬ったよ」
「……死んだの?」
「いやぁ、人はそんなに簡単に死なんもんさ。病院送りで……五〇針ってとこだったか」
テツのその返事は、悪びれた風もなかった。しかし、その後に続いた言葉は、少し声のトーンが下がった。
「でも、死んだかどうかが問題じゃないだろう。俺は、人に刃物を向けて、斬った。傷つけるつもりで、死ぬかもしれないとわかっていて、斬った。俺はそういう人間だ。……怖いか」
アリエスはしばらく黙り込んだ。ふたりの間に、また夏の風が吹き抜けた。蝉時雨は変わらず騒がしい。
「……怖くないって言ったら、嘘になるよ」アリエスが導き出した答えは、こうだった。「でも、怖いから、傷つけられてしまうから、罪深いから、だから逃げて何もなかったことにする、っていうのは、バクチ打ちの発想じゃないよね。今まさに刃物を向けられてるわけじゃなし、ちょいワル気取る爺ぃのイキリブラフってことにしといて、本当に危ないかどうかは、これからよぉく見極めるよ」
「こんなことでも駆け引きか。だが、その方が気が楽だ。……俺はいいバクチ友達を持ったみたいだな」
やはり賢い子だとテツが相好を崩したところに、アリエスは忌憚なく次の言葉を突きつけた。
「で、見極めるために訊くけど、刑務所ってどんな感じ?」
「イキリブラフにすんじゃなかったのかよ! 行ってねぇよ!」
テツは思わず反駁して、それからまた声を落とした。
「いや、……痛いところ突かれたな。本当は、どこかで報いは受けなきゃいけなかったんだ。今となっちゃあ、親の因果が子に報い、ってヤツだ」
「なにソレ?」
「親が悪いことすると、子供が不幸になるってこと」
アリエスの顔が曇った。「フッザケんなよ、なんなのソレ」
「いや、さ」ごくつぶしの親の存在をアリエスに思い出させ、気に障ったと勘づいたこともあろうが、今まで凜と応じていたテツの態度が、このときはひどく歯切れが悪かった。「たいがい欽太やゆかりに報わせちゃってるし……それに……、うーん、……まぁ、それでも、あの頃のヤンチャの分きっちり報いを受けたかって言われると、正直心許ないな。悪いとは、思ってんだが」
言えないことがあるらしく、照れ隠しをするかのように、話を打ち切った。
「もういい頃合いだ。シャワーを浴びて、メシにしよう」
その日はソーメンだった。
大ざるに積まれた細い麺の山を見て、アリエスは驚嘆した。それを、七人でちゃぶ台を囲んで銘々に周りからつつくなど、食事をお呼ばれすることさえレアケースの彼女には異世界の風習だった。
それに、ちらと見てしまったのだ。この家のソーメンは、ゆでる前、きれいに木目のそろった白木の箱から、貴重な家宝ででもあるかのように取り出していた。木箱! 何で食べ物が木箱に入ってるの?! アリエスにとって木箱入りの品といえば自分の臍の緒くらいで、それもどこにしまったやらまるで記憶にない。
そしてこのめんつゆだ。アリエスは美食家とはほど遠いが、その底辺レベルの舌をもってしても、今まで使ってきた出来合いの品が、どれだけ平板で雑な味であったか理解できた。ふくよかなだしの香りが鼻を甘く通り過ぎる、なんという夢心地。そのまま飲めば、大人のように酔えるのだろうか。
そこに麺をちょいと入れて、つるつるとすする。歯ごたえしっかり、のどごししなやか、空きっ腹にたまる感覚すら美味に変換されていく。
藤倉家はなべて、アリエスの知らない好奇をそそる世界だったが、その感慨はここに極まった。食事とは、これほどまでに快感であるものか……!
とにかく、今まで食べていたあらゆる麺類と、グレードが違う。手を止められず、喜んでほおばっていると、
「うちのおそうめんおいしいでしょ」
陽菜が朗らかに言った。
「うん、おいしいね」
アリエスは素直に答えた。食べ物の味について会話したなんて、いつ以来だろうか。
しかしそれ以上会話は広がらなかった。陽菜以外の藤倉家の面々は、黙々と麺をつゆにつけてはすすり、つけてはすすりを機械的に繰り返している。───みんな楽しそうでないのはなんでだろう?
もちろん、藤倉一家にとっては、その日もソーメンだったからである。
───三日後、アリエスは翔太とともに、せーのと声を合わせて、「またソーメン?!」と絶叫することになるのだが、それは別の話。




