第四章・重いコンダラ天元突破 修行編 / 4
さて。
欽太はあらためて、ぺたんと腰を落とすアリエスをしげしげと見た───そうはいっても、真保アリエスのようなタイプは、初めてだ。
もとより、騒動を起こして無理矢理連れてこられたわけでは、ない。父のコーチになるとも言うのだから、賓客待遇にしてもいいくらいなのだが、まぁ、勝子とゆかりがいつも通りやっちゃったから、それは置いておこう。
ひと目見て、利発な瞳が目を引く。少しやりとりしただけで、敬語は使えなくとも抜群に賢いとわかる。
聞いた話だとネグレクト状態にあるようだが、少し前までは父親がいたようだから、放置された子、愛されなかった子にありがちな、感情の起伏や自主性の欠落はない。自分の意思で行動できて、大人に向かってこの物言いをする時点で、本来なら藤倉が世話する必要のない子供だ。もっとも、頭が良くて行動力もあるのに家庭がまともでない子がグレると、凄まじい悪知恵で大人を翻弄したりもする───小金山義司がその手合いなわけだが。
彼女の場合、自己コントロールができすぎて、その自己が歪つになっているのだろう。不仲の両親の罵り合いを目の当たりにして、口を挟むと怒鳴られて、我慢に我慢を重ねた結果、親にさえ敬意を払う必要性を体感しないままに、うまく世を渡るすべだけを身につけた。それはもう〝心が壊れている〟と呼ぶべきで、本心からのまともなコミュニケーションは望めなくなるものなのだが───この娘の〝壊れ方〟は面白い。
おそらくは、自己の情報をさらけ出さなくていい、むしろいかに隠すかのスキルをポジティブに評価するポーカーという競技の存在が、彼女の人格形成に一役買っているのだ。
そんなことを思う欽太に、逆にアリエスが質問した。
「ヤクザって、なんか悪いことしてんの?」
欽太は素直に答えた。「今は、してません。でも昔はいろいろあって、とりわけ父は、人斬りのテツと呼ばれて、そりゃあ恐れられたもんです」
「人、斬ったの」
「年寄りの武勇伝だから、みんな話半分に聞いてますけどね。ただ、ジョーさんのいた組との間に血なまぐさい争いがあって、時には人死にも出たというのは、本当です。その頃は警察も役所も藤倉一家の言いなりだったから、表沙汰にはなってませんが」
「なんかすげぇ」
「カッコいい話ではないですよ。でもまあ、そんなわけだから、うちとつきあってると、悪い評判しか立ちません。ゲームセンターと同じで、八滝学園の先生にバレると、えらいことになります。それでもいいですか?」
「それはこっちのセリフだよ! 大人でも泣いちゃうくらいヤバいんじゃないの、あの校長センセ?」
「……なるほど、ヤクザより怖いものを既に経験済み、と。じゃあ、そこはこちらも気にしないことにします」
ひとつ言葉を発する度に、好奇心に満ちたアリエスの表情はくるくる変わる。実に可愛らしい。ゆかりはこんなだったかなぁ───と、自分の娘について思い出せないことを悔やみつつ、欽太は、次に発すべき言葉を慎重に考えた。
その質問は、彼女のセンシティブなところに触れるだろうと思ったから。努めて、柔らかく。
「あと、……親御さんはなんて言ってますか? ここに来ること」
即座に表情が消えた。〝スイッチ〟を切ったのだ。欽太にもそれはすぐ見て取れた。想像通りの反応ではあったが───やりにくい。感情的になってくれた方が、むしろ御しやすいのに。
アリエスはやがて、無表情から無愛想に変わった。何も興味を引かれない、つまらなそうな顔で小首を傾げて、答えを考え始めた。欽太はその様子だけで、おおむね状況を察した。
彼女はここに、親の許しを得て来たわけでも、親に隠れて来たわけでもないのだ。だから、答えを探さなくてはならない。
加えて、後ろめたさを感じている様子は、微塵もない。家族という社会単位があること。それに基づく行動があること。それらは彼女にとって、あたりまえではない。思考して判断して説明するもので、───それができる賢さを、哀しいかな、彼女は持っている。
ろくでもない親はどこにでもいる。まずもって、自分にとっての父がそうだ。だからいちどは家を見限った。ゆかりにとっても、自分がろくでなしだったから、彼女は家を飛び出していったのだろう。しかしそれらは、顔つき合わせて親子ゲンカをした結果だった。間違いなく藤倉家には親子関係があって、つまりは〝家〟なのだ。ヤクザの偽の家族関係に翻弄されてなお、この四世代家族は、あやふやな家族の形を保ち続けている。
アリエスにとって親とは、語義以外の意味が失われた存在だ。つまり、自分を産んだ人、それだけだ。許可なんて取る必要のある相手ではない。しかしそれをありのままに説明すると、アイジョウとかカンシャとかを世間様が猛り狂って強要してくる、と彼女は学んでいるから、考えて、そういう反応が起こらないような答えを返すのだ。
「……別に。何も」
そうして出力されたアリエスの答えには、何の中身もなかった。ふっと目を背けて遠くを見た。
欽太は小さくため息をつき、しかしにっこりと微笑んだ。
「オーケー、よくわかりました。何も言われてないなら、それでいいです。僕らにしてみればね、そこらの不良少年少女を手懐けて引き込んで、義理の子供やきょうだいにしちゃうのは仕事の一環みたいなものだったんですよ。あなたがどういう家にいたかなんて、気にしません。その代わり、この家の中では、ウチの子として扱います。それだけわかっていてくれればいいです」
「手懐けられてんだ、あたし」アリエスは再び道着の袖を持ち上げた。「それでコレ?」
「ヤクザが手懐けるって、安い悪事の手先にするって意味ですよ。女の子はもっと悪いことになったかもしれない」この言葉の意味は、アリエスにはまだよくわからなかった───「まぁ今回は、父のポーカーの先生として来ていただいたわけですし、安い扱いはしません。だけど、腫れ物にさわる扱いもしません。我々にとってよいと思う行動を採れば誉めますし、悪いと思えば叱ります。ヤクザの家ですから、叱り方は荒っぽいです。覚悟しておいてください。これが、あなたがここに出入りするにあたって、家長たる僕から伝えておく、ウチの都合、ってヤツです。わかってもらえましたか?」
アリエスは首を傾げたが、表情は戻ってきていた。
「叱られるのはヤだよ。でも、要はちゃんと、あたしがテツの修行受けて、逆にテツにポーカー教えたら、それでいいんでしょ?」
「えぇ。午前中は父がアリエスさんに呼吸法を教える、午後はアリエスさんが父にポーカーを教える、という心づもりです。お昼はうちで出します。期限は、来月最後の日曜日までです。夏休みの間、って考えてくれればいいです。その日に、父は大きなバクチをします。それまでに、父にポーカーの知識と技術を叩き込んでください」
事務的な会話に移ると、少女は元通りの好奇心に満ちた利発な瞳を取り戻した。新しい環境で始まるワクドキ体験、期待に胸を膨らませるとはまさしくこんな様子であろう。
「ジョーとやるんだよね?」
「そうです。来月末に、父はジョーさんとテキサスホールデムで勝負します。詳しくは話せませんが、勝った側が高い地位を手に入れ、負けた側はその下にへりくだる、そういう賭けです。一昔前なら、それこそ斬った張ったで奪い合う話を、ふたりはバクチで決めることにしたんです。
勝てないと我々藤倉一家は非常に困ります、が、あなたが勝敗に責任を負う必要はありません。ひととおりやりようを覚えれば、父は天性のバクチ打ちですから、そう簡単には負けませんし、負けたとしても誰かのせいにはしません」
アリエスは納得したようで、深く頷いた。
「では、これで僕の話はしまいです。父が武道場で待ってますので、移動しましょうか」
「なんだ、話って、そういう決めごとだけか。ヤクザはそういうの、めんどくさいんだね」彼女の脳裏から、親に関する質問のことはもう消え失せたようだった。「ちょっと安心した、何言われるかと思ってたから」
───彼女は最後に、ぼそっとこんなことを尋ねた。
「あたしみたいな変なの、これまでにもいた?」
その言葉を聞いて、欽太は微笑ましく思った。
「そりゃあもちろん。ていうか、何が普通で何が変かなんて、この家じゃどうでもいいんです。よそさまの価値基準でいうなら、この家は、みぃんな変です」
アリエスは少し嬉しそうに頬を緩めた。
「そうだね。なんかワカる!」




