第三章・本気と書いてマジ卍 / 7 (ポーカープレイシーン有)
再び大会が始まって、二時間ほどが経過した。
トーナメントでは、時間経過により少しずつブラインドの額が上がる。レベル1では25$/50$であったブラインドは、すでに1万$/2万$に達していた。
「……リバーは♠5! 斎藤さんフラッシュならず、残念! 三位でフィニッシュです! チップは市原プロの元へ移動し、いよいよヘッズアップです!」
実況する光恵の狂喜の声が、場内に響き渡った。ヘッズアップ、つまり残り二人が頭と頭を向き合わせる、決勝戦。アリエスと市原は、いよいよ相まみえた。
「誰がこの組み合わせを予想したでありましょうか。チップリーダーは弱冠一一歳、ライブトーナメントは今回が初という真保アリエスさん! これに、歴戦のプロ市原氏が挑む構図となりました! しかし、三位斎藤さんのチップを吸収した結果、スタックの差はわずか、ほぼ互角での対決です!」
各自が3000$持って始めたトーナメント、150人以上いたわけだから、チップの総量はおよそ450万$、これをアリエスと市原、ふたりで分け合っている計算だ。
プロとのヘッズアップに至っても、アリエスはまったく怯まなかった。頻繁にレイズやリレイズを繰り出し、市原の行動を抑え込むプレイに終始した。傍目には、市原が手も足も出ずに押され、防御一辺倒で耐え忍んでいるように見えた。
実際、市原は防御と観察に徹し、アリエスのプレイにアジャストを試みていた。しかし厄介だ。ポーカーには、ナッシュ均衡という数学理論に基づく戦略があるのだが、彼女は最低限のそれを丸暗記に近いかたちで把握していると見えた。───小学生が? ブラフも大いに交え、広いレンジで的確に執拗に攻めてくるとなると、ただ者ではない、としか言いようがなかった。
しかし市原は歴戦の猛者である。腐ることなく、勝負所を待った。
やがてそのときが来た。
ディーラーがふたりに新たな手札を配り、市原が5万$にレイズ、アリエスがコールして、フロップは♡K♠7♢6と出た。ここで、市原がチェックしたのに対し、アリエスが10万$のポットベットを繰り出す。
すると市原は、アリエスをじっと見つめた。
手札を引き寄せ、再確認する。
「君のさっきの言葉、ずっと考えていた」
突然語りかけた。ふつう、ポーカープレイヤーはプレイ中にあまりしゃべらない。中にはおしゃべり好きもいるが、それは相手を幻惑するための三味線であり、戦術として用いるものだ。しかし市原のこの言葉は、純粋に、伝えたい言葉だった。
「君の覚悟は計り知れない。その覚悟が垣間見える、とてもいいプレイだと思う。───なればこそ、僕にはきちんと現実を教える義務がある」
アリエス同様にポーカーフェイスを維持したまま、内にある意志を何も外に顕さずに───しかし、身につけたポーカーの腕で実際に世界を拡げ、渡り歩いてきた者だけが加えられる重みが、その言葉にはあった。
「確かにポーカーは、年齢も、性別も関係ない。そのとおりだよ。───だけどね、それだけじゃない。ポーカーは、言語も、学歴も、国籍も、民族も関係ないんだ。必要なものはデックとチップだけ。こうして腕を競うだけなら、貧富すら関係がない。体質も体格も関係なくって、手足がもげてたってプレイできる。───誰もが、隔てなく集まって、火花を散らすことのできる、希有な競技なんだよ。
ポーカーをバクチだと思うと見えてこない、バクチだと思うならなおさら見据えなければいけない、君がいま決めている覚悟など容易に飲み込むずっとずっと広い世界があることを、僕は君に教えなくちゃいけない。
ただ糧を得るためにポーカーをするのだとうそぶいて、その幼いコンプレックスを剥き出しにして、テーブルの外ですら顔色一つ変えないような生き方を続けるというなら、僕はそれを正しておくべきだと思う。───もっと、楽しもうじゃないか」そして彼は、チップを前に押し出した。「レイズ、36万$」
光恵が頭上にハテナを浮かべて尋ねた。「市原プロ、今のお話はいったい……」
「ちょっとしたアドバイスですよ。メンタル面のね」
「とてもいいアドバイス……だったのかな? ちょっと意味がわかんなかったですが」
一方で、アリエスは意表を突かれていた。市原のレイズ。この36万という微妙な額が問題だった。
彼女の手札は♣4♡5であった。フロップの♢6♠7と合わせて、この後のターンまたはリバーで3か8が出ればストレートになる、オープンエンドストレートドロー、麻雀でいう両面待ちが成立している。
この場合、ストレートになればほぼ勝ちだが、ならなければほぼ負ける。アリエスのポットベットはどちらかといえばブラフで、市原が下りるか、コールすることを期待していた。下りればよし、コールされてもストレートが期待できるのでまだ戦える、という二正面作戦───だが実際の反応はレイズだった。今度は自分が、コールするか下りるかの判断を迫られている。
こういう場合、判断基準は勝率である。具体的には、3か8が出てストレートになる確率だ。
ターンやリバーで勝てる役に発展するカードのことを〝アウツ〟と呼ぶ。アウツの枚数を場に見えていないカードの枚数で割った値に、残る共通札の数をかけた数を、〝勝率〟と見込む。
彼女は機械的に計算を始めた。もうすっかり慣れっこだ。この場合、3が四枚と8が四枚でアウツは計八枚。アリエス自身に見えているカードは手札と既に出た共通札の五枚だけであるから、残りは四七枚。8÷47で、3か8が出る確率は約17%。これがターンとリバーの二回。したがって、勝率は34%となる。
ポットは現在56万$。プリフロップで5万$ずつ出し合い、フロップで自分が10万$ベットし、36万$にレイズされた。コールするにはあと26万$必要である。それだけ払って、勝てれば82万$が還ってくる。26÷82はざっと32%。勝率の方が高い。
これならばコールできる。アリエスは確率に順い、コールした。
ターンは♠Aと出た。
ポットは82万$。市原が18万$ベットした。ポーカーの確率計算では、〝これまでにいくら賭けたか〟はいっさい考慮に入れないのが鉄則である。つまり現時点では、自分が18万$払ってこれにコールした場合、勝てれば118万$得られる、とのみ考える。残る共通札はリバーの一回だけなので勝率は17%に減っているが、18÷118は15%、したがって勝率の方が高い。コールできる、が……。
アリエスの背筋を、ぞっと怖気が走った。つまり、自分の手がストレートドローだと読まれている。その上で、コールできる最大額を市原はベットしているのだ。
確率に順え。アリエスはコールした。
リバーに、♡3が出た。
勝った、とアリエスが安堵したその瞬間───、ふつう、フォールドのときは自らの手札が何であるか明らかにしないものだが、そのとき市原ははっきりと表に返して、ショーダウンせず直ちにフォールドした。♠8♣8だった。
アウツは八枚ではなく六枚だった。二枚は彼が持っていたのだから。したがって、彼女は、確率上は大損をするコールをしていたことになる。
手を読んだ上で、仕掛けてきた相手の駆け引きに、自分は易々と乗った───たった今背筋を走った慄きを、アリエスは昨日経験したばかりだ。テツとの勝負が脳裏によみがえって、アリエスははっと手で口を覆った。良いカードの時は、呼吸が大きくなって、そうでなければ落ち着いたまま……。
「なんだ、自覚しているんじゃないか。でも、そういう生理的な癖は、すぐには矯正できないよ」市原が穏やかに言った。
そこから先は、コテンパンだった。
もとより市原は、旧帝大の理数系学部を卒業した秀才である。確率の暗算は造作もない。ポーカーの経験も長い。どのシチュエーションでいかな確率が生じるか、ほぼ完全に把握している。
そんな人物に、手札を精緻に見破られては、勝ち目はなかった。
市原は、アリエスのバリューベットに応じず、ブラフと見れば打ち込んだ。アリエスはみるみる劣勢に追い込まれた。
最後は、あっけなかった。アリエスがQ7でオールインし、それを市原はQKで受けた。ボードはどちらにも絡まず、キッカーの差で市原が勝利した。
「優勝はさすがの市原プロ! 容赦なし! 真保アリエスさん、大健闘するも及ばずでした!」
二人の間にテル読みの駆け引きがあったとは知らない光恵の実況と、ギャラリーの歓声が、ホール内に響き渡った。




