第二章・君の名は 君の名は。 / 16
「いちおう義務だと思うから訊くけど、」光恵が一度限りの茶々を入れた。「本気で、小学生をバクチの世界に引き込んでいいと思ってる?」
この問いに、二人はキョトンと腑に落ちぬ顔になって、「何がいけない?」と、二人の答えが重なった。
「本人がてめぇの了見でやるって話なんだから、いいじゃねぇか」と、テツ。
「今の子供は、バクチのひとつも覚えねぇからシケたツラしてんのさ」と、ジョー。
「やっていいバクチと悪いバクチがあんだよ。その見分け方は、子供のうちに教えとくもんだ。そんなこともわからねぇインテリどもがパァチクさえずるのなんざ知るか。───それで、打っていい大バクチをここぞで打つぞって子供が出てきたら、大人がちゃんと後ろで支えてりゃあいいのさ」テツが締めた。
光恵の予想通りの回答であった。お金を直接賭ける話と、リスクを負ってチャレンジする精神そのものを混同するのはよくないんじゃないかなぁ───と思いつつ、彼女はそれ以上止めなかった。彼女がキャバ嬢の身になったきっかけは、マジメ一辺倒だった親が、証券会社の口車に乗って全財産を海外株に投じ、サブプライムローン騒ぎでそのすべてを紙クズにしたことだ。これでもう老後は安心だと嬉しそうな笑みを浮かべていた両親の顔が、やがて絶望に変わっていった様を、なんとなく思い出す。その自分が、今は株式会社の役員のひとりをしている。
───しかしそんな大人同士の会話も、アリエスの混乱に拍車をかけた。頭の中がぐるぐる回り出す。
負けたこと。弱点を突きつけられたこと。老人に頭を下げられたこと。小学生がバクチ打ちでもいいと言われたこと。そして───自分にかかる最大の呪いを、何でもないかのようにスルーされたこと。
「……あたし帰る」
〝スイッチ〟を切った。突然無表情になり、リュックをつかむと、卓に背を向けすたすたと歩いて去ってしまった。振り向きもせず、ホールを出ていく。
奇っ怪で無礼な行動だったが、大人三人には、その理由が容易に推測できた。むしろ懐かしく、微笑ましく思えた。───あぁ、頭がいっぱいいっぱいになっちゃったんだな。
「ティルトしたから即撤退、か。ポーカープレイヤーとしては正しい判断よね」光恵がその背を見送りながら言った。
「ティルト……ピンボールの?」ジョーが尋ねる。
「そう、ピンボール台を揺らすと非常停止する機能のことを、ポーカーじゃ、動揺して正常な判断ができなくなる、って意味で使うの。───大人と真っ向から話した経験が少ないんだろうから、読み違えて当然よね」
テツやジョーは、子供が意に沿って動いてくれないことなど、百も承知である。これが往時のヤクザの前でヤンチャしたツッパリ少年なら、無礼はただちにしばき倒して、誰が序列の上にいるのか体に叩き込むのがスジであるが───もうそういう時代でないし、ここはそういう場面でもないのである。
たいして気にもせず、まぁそんなこともあらぁなと受け止めた。
「さて、帰っちまったが、どうする」ジョーがテツに問いかけた。
「明日のポーカー大会にも来ると言ってたな。またそのとき話をしてみよう」
「あの様子で、果たして来るかな」
「名前がどんだけ嫌いか知らんが、そんなことで逃げ出すんなら、残念だがそのていどのタマさ。世界なんざ夢のまた夢だ。そうは見えなかったがね。───みっちゃん、明日の大会はまだ申し込めるか」
「え、……飛び込みで全然平気だし、参加者が増えるのは大歓迎だけど───出るの?」
「話をするためだけに家を出るのもつまらんからな。ルールを覚えたばかりの身が場数踏むにゃ、ちょうどいい。ジョー、おまえも来い」
「えぇ? 俺も?」
やがて、ホール内の喧噪が急に甲高くなった。ポーカー教室が終わり、子供らが解放されたのだ。待機していた保護者連中も、それぞれの子や孫を迎えに動き始めたのだ。誰彼相手なく私語が始まって騒々しく、これ以上話をするのは難しい。翔太と陽菜も曾祖父の元へ駈けてきた。もう、それぞれに自宅に帰る頃合いのようである。
さて、余録がある。
アリエスが去り、テツとジョーが大会への参加を決めたその直後に、光恵は老体どもに、ぼそりとこんな言葉を突き刺している。
「ところで。人の名付けにケチつけられるようなエラい大人は、ここにはいないわよね」
とたんにテツとジョーは、ずぅぅんと重い顔をして、ひどく居住まいが悪そうに顔を背けた。
「息子の名前にキンタだもんねぇ。きんたまきんたまって、子供の頃だいぶからかわれたそうね」
「あの頃は欽ちゃんと言えば大スターだったんだよ! コント五五号は最高だぞ!」顔を背けたままテツがうめいた。
───タチバナシステム本社ビルで、欽太がくしゅんとくしゃみをした。
「冷房、強いですか」
「いや、そんなことは───誰かが噂でもしてるのかな?」
「お義父さんも、名前に関しては、息子にだいぶ恨まれてるわよね」
「……」
「まさか同名の富市さんにしてシワシワのおじいちゃんが、総理大臣になるなんてね。そのおかげで、トミーと呼ばれるはずだった多感な時期の少年に、トンちゃんという肉屋のマスコットみたいなあだ名が定着した、と」
「それ、俺悪くないよね?! 絶対悪くないよね?! 全部政治が悪い!」ジョーは半泣きでわめいた。
───タチバナシステム本社ビルで、今度は富市がくしゅんとくしゃみをした。
「……お大事に」
「噂……かな? 冷房の温度、少し緩めますか」
「いや、そろそろお開きにしましょう。あとの話は電話なりメールなりで」
「うちで扱ってるオンライン会議システム、導入しませんか。その方が楽ですよ」




