~君に魅せる空~
――ファルジオ戦術専修学園。初等部から高等部まである学園の正式名称だ。名前のとおり、ここの生徒は戦術の技術を会得するのを目標にしている。そしてこの学園の特徴は『スタイル』である。
『武術』『魔術』『精霊術』。
一般にこの三つのスタイルから成り立っている。だが、もうひとつ――
「いいわよ、はじめちゃって」
景色や生き物を想像し、チャネルと呼ばれる扉を開けることで発動する術がある。それが特殊戦術、『幻創術』。
すなわち、本物が持つエネルギー波長と魅せたいと思う想像の波長との同調である。この共通のエネルギー波長を媒体として目的の想像を具現化させる。これが幻創術の仕組みである。
チャネルを開けるのに時間がかかり過ぎてしまったり、想像している状態で雑念が入ってしまうと波長がずれてしまい、同調できなくなってしまうのだ。
「想像世界――空と草原」
二重のチャネルが脳裏に浮かぶ。青と緑の螺旋。雑念を消して同調させ、時を待つ。
二つの波長が重なり合い――
教室全体を鮮やかなスカイブルーの空と広大な草原が覆う。想像した景色を創り出せてほっと安心すると、儚く消えていった。
「以上、幻創術師による幻創でした」
「なんでよーッ! あぁんもう、途中までキレイに魅せていたのに! どうしてテキトーにイメージして終わらせちゃうかなー」
……たまたま雑念が入っただけですよ。
「想像したものを現実に映像化させる能力をあなたは持っているのよ。もったいなぁーい。真面目にやってよー。もう! バカ! 好き!」
頬をなすりつけ、ぎゅっと抱きしめられる。
「やめてください、お父様」
「ちょっと! 校内でそのように呼ぶのは禁止と言ったでしょう。私のことはアイギナ先生と呼びなさい」
「でも、その名前も偽名ですよね。あと、幻創術でお母様に化けるのも、その口調で話すのもやめてください」
「いいじゃない。私はあなたが寂しくないようにしてあげてるのよ」
…………。
父の名前はユレイニアム。プロの幻創術師で教師をしている。幻創術は個性によって能力が変わる。父の特徴は半永久型の幻創術を使えることである。一度開いたチャネルをそのままの状態で維持できるのだ。
そのため、お父様は亡くなったお母様に化けて教師をしている。たぶんお母様は怒っているだろう。
「わたしはお父様みたいな幻創術師にはなりたくないです」
「どうしてよー?」
「だって幻創術が嫌いですもの。もともとセンスないですし……。魔術科に行きたかったのに、勝手に書類を出すなんて……」
しょんぼりする娘の肩を叩く。
「あなたにも解るときがくるわ。まず、今日のテストは不合格! なので、教室の掃除をして帰ること、いいわね」
放送で、会議が始まるので教員の方々は会議室にお集まり下さい。招集がかかったため、急いで行ってしまった。教室は夏休み明けで埃が溜まっていた。
仕方がなく干されている雑巾を手にし、独りで掃除することにした。
――――
箒をドアの外れかけたロッカーにしまう。
静寂に包まれた、人の吐息も響かぬ教室。窓から射し込む夕陽だけが視界を埋め、下校の刻を告げる鐘が鼓膜をゆらす。
微風になびく髪をおさえず、少女は独り、窓の外の光景を眺めていた。
校舎の二階。それほど高い場所から眺めているわけではない。それでも、少女はこの窓から眺める景色が好きだった。
眩しいくらいに輝く夕陽。陽がおちて空は焼けるような橙から夜の深い群青へ、水平線にかけて色が変わっていく。
「――綺麗な空」
見る者を照らし、心を落ち着かせる。自分には遠く、憧れの存在。
でも、それでもわたし――
不意に、微風に撫でられ少女は目を閉じた。一筋の涙が頬を伝う。
「想像世界――夜と月」
独り言のように呟き、少女が吐息を洩らす。
閑かに教室を、無限に広がる夜が覆い、青白く輝く月が照らしている。夕陽色に染まる世界は存在を消
した。
否、消えたのではない。塗り変えられたのだ。微風に乗る吐息とともに――
また独り言のように呟き、少女が吐息を洩らす。
「愛すは夜色に染まる世界だけ」
紡がれるそれは、歌だった。
だからこそ世界は美しい
夜色は独り
静寂の愛 禁断の星
その旋律は深く 雫の音色
それは世界を癒す 一粒の雨
小さな箱の中の世界 楽園に帰れない
夜色は独り――
歌の終詩を目前にして、少女は口をつぐみ、止んだ。
目を開けて、ゆっくりと少女は振り返る。
「綺麗な幻創だね。……最後まで聴きたかったのに」
夜の闇を纏う幻創は薄れ、もとの夕陽色が顔を出した。
空虚な教室にいつの間にか、自分のすぐ後ろの席に見覚えのある少年が座っていた。
「絵の具のようなべた塗りじゃなく、ムラのない夜に飾らない月――。君らしいね。澄んだ星空は本物そっくりだった。あの歌も綺麗だったね。悲しそうで、寂しそうで、繊細で、でもどこか力強い。君が作ったのかい?」
……あなたに言う必要ないでしょ。
応えるそぶりも見せず、相手に背を向け立ち去ろうとする。が――
「憧れてるんだろ?」
無意識に足が止まった。
「憧れてる?」
オウム返しをして、右手で拳をつくる。
「君はあの空が好きなんだろ? でも君には創り出せない。君と夕陽は正反対だから。だから憧れるんだろ? ……違うかい?」
「あなたには関係のないことでしょ」
振り返りもせずに答える。
「つれないなぁ」
この少年と話すのはこれで二、三回目だろう。名前も知らないクラスメイト。ただ、いつも彼の周りには人が集まり、歓声が上がっていた。たしか、みんなはこう呼んでいたような……。
――創造者。
独特な感性の持ち主で、真似のできない幻創を得意としているらしい。そのため、彼の周りには幻創術見たさに集まってくるのだ。
「……話はそれだけ? それじゃわたしは」
帰るわ。
そう言い捨て、歩きだすと――
「想像世界――夕陽空」
少し前の、あの光景が広がっていく。
また、無意識に足が止まった。
「どうしてそんなに関わろうとするの?」
振り返り、夕陽に紅く染まる彼の目を見た。
「ぼくは君と同じだから」
……言ってる意味がわからない。
私と彼―― 一体なにが同じなの。同じなのは年齢だけよ。ほかに共通点なんてない。
彼の瞳の中に映る自分がいる――そんなどうでもいいことすら気付くほど、自分が彼を見つめることに気がついた。
……わからない。
「憧れているんだ、君に」
「変わってるのね。わたしに憧れるなんて」
「嘘。君も同じはずだよ? 同じように憧れてる」
胸が苦しくなった。自分の動悸が聞こえてしまいそうな錯覚を感じて、胸を強く押さえつけた。そうしなければ彼に心を覗かれているようで怖かった。
毒を含むように、彼の口調が強くなる。目線をはずしてもこの圧迫感。
「なにが言いたいの……」
「ぼくと君は正反対なんだ。ぼくが憧れているのは君の創り出す夜空。そして、君はぼくの創り出す夕陽空。互いに同じものに惹かれている」
「それがどうしたの。じゃあ、わたしは帰るわ」
「ひとつ、約束してほしい」
右腕を伸ばし、細い人差し指を立てた。
「ぼくは君の夜空を創れない。君もぼくの夕陽空は創れない。――誓ってくれ。互いに創るんだ。遠い存在の空を」
「無謀ね」
「無謀でも構わない」
彼を見ると目にはうっすらと涙が浮かんでいる。真剣な眼差しは少女を押さえ込んだ。
――でも、そういう無謀な挑戦もいいかもしれない。逃げてばかりでは成長しないわ。それに、お父様の言葉の意味も解るかもしれない。
その言葉を心の奥底に押し止めたまま。
「……もし、創り上げたら」
つづけようとした言葉は、こみ上げる何かに遮られた。
胸の鼓動が速くなる。喉の奥が熱い。視界がぼやける。
泣いているの……。温かい雫が頬を伝っていく。
……絶対に魅てよね。
彼が頷くのを見て、空を見上げた。
「――綺麗な空」
少年はこれ以上移り変わらない空を見て言った。
「まだ、この空の続きはありそうだ」