戻して
今晩ノアと会う約束をした。
本当はずっと話さないといけないと思っていた。
私たちの結婚をノアが望まないなら破棄したい。
この家にいて1週間ノアは相変わらず中二病だった。
普通のスーツでいいところを毎日タキシードを着ているし謎の数字をつぶやき続けている。
「お茶をどうぞ。」
私はいつものようにノアにお茶を出す。
本当はメイドの仕事だが無理を言って変わってもらっている。
ノアのことを観察したかったからだ。
伯爵家の仕事はノアにとってかなり楽しいようだった。
夕食時に父もノアをよく褒めていた。
伯爵家の当主になることはノアの望みなんだなと思った。
私と結婚して伯爵になろうと思っているようだ。
その上で好きな人を愛人にするつもりなのだろうか。
それが貴族にとって普通だと言われても私は愛人を許容したくない。
前世では不倫はいけないことだと学んでいたし私にだって幸せな結婚をしたいという夢くらいある。
前世の私はアニメの中の恋愛が大好きで憧れを持っていたのだ。
ちょっと普通と違うのはかわいい子を自分の手で守りたいという夢だったことだけど。
私はじっと毎日違うノアの仮面を眺めた。
それに気がついたのかノアと目が合う。
一瞬ドキッとしたがノアが目を逸らした。
私は自分にうんざりしながらそのまま執務室を出た。
なぜこうも毎回期待してしまうのか。
実は私も忙しく過ごしている。
お昼は家庭教師のもとで教養を身につけなければならない。
家の外のことは夫の仕事だが家の中のお客様のおもてなしや使用人の管理は妻の仕事だからだ。
お客様を楽しませられるようピアノや刺繍なども身につけなければならない。
私はピアノは向いていないが刺繍はまあまあの腕前だ。
でも本当はそれより身体を動かすことの方が向いていた。
去年までは父に無理を言って剣術を習っていた。
男性に混じってこっそり大会に出たりもした。
それが一番向いていたが結婚を控えて辞めることになった。
それでもノアとの結婚ならと妻になる決心をしたのに。
私は胸がぎゅっと痛くなった。
その晩、ノアと話す約束をしていたので食事をしてすぐ風呂に入らず待っていた。
ノアも同じ気持ちだったのだろうコンコンと内扉を叩く音がした。
「…はい。」
「ニーナ、開けていいか?」
「うん。」
鍵を開ける音がしてゆっくり扉が開いた。
ノアが私の部屋に入らず立っている。
私の部屋に入るのが嫌なようだ。
「あ、私がそっちに行くね。」
私がそういうとノアが身体を避けた。
内扉をくぐってノアの部屋に入った。
以前入った時と違ってノアの匂いがする気がした。
私はくんくんと部屋の匂いを嗅いだ。
「…ここに。」
気がつくとノアが部屋の隅にあるテーブルと椅子のところにいた。
ちょっと緊張したが内扉を閉めそのまま奥に入った。
ノアの部屋は電気をつけていないようで窓から明るい月明かりが差し込んでいた。
内扉を閉めたことで私の部屋からの明かりも入らない。
向かい合って座るとノアの仮面が月明かりで輝いていた。
仮面の下の黒い瞳と目があって私は息を飲む。
目を逸らして窓辺に置かれたバラの鉢植えを見たことでなんとか自分を取り戻した。
「…話すの久しぶりだね。」
私は意を決して話しかけた。
「…ああ。」
「今日は結婚について話したくて。」
ノアの身体がピタッと止まった気がした。
私は何から切り出していいのか分からない。
「…何か問題が?」
ノアが私を見ている。
私は緊張した。
「あの、問題っていうか…
ノアは愛人を作るつもりだよね?」
ノアが動いたことでテーブルがガタッと音を立てた。
私が驚いて見つめるとノアが体勢を直した。
「…誰が?」
「え、ノアが…。」
「俺が?」
なんだか驚いているようだ。
もしかしてノアは愛人を作るつもりはなかったのだろうか。
「ノアは愛人を作るつもりじゃないの?」
「全くそんなつもりはない。」
力強く言われてホッとした。
でもノアには好きな人がいるはずなのにどうするつもりなのだろう。
「…ノア、好きな人がいるよね?」
「……いる…が…」
「私、結婚は好きな人としたいの…。」
「…」
「だから、婚約破棄した方がいいかなって思ったんだけど…」
「…」
ノアの顔が見れない。
向こうは仮面で私は素顔なことが不安になった。
ノアが全く喋らないので顔をチラッと見つめた。
表情はよく分からないが口元はキュッと結ばれている。
子どもの頃の口元に見えてもしかして泣きそうなのかなと思った。
でもそんなはずはないので困った。
ノアがテーブルの上に乗せた手のひらを握りしめたことでイライラしていることが分かった。
「…相手がいるのか?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
「……もう結婚したい奴がいるのか?」
「え、私?」
私はちょっと驚いていたがノアは指でトントンとテーブルを叩いている。
私はノアの態度に戸惑った。
「い、いないよ。」
「じゃあ婚約破棄しない。」
食い気味である。
ノアは顔ごと視線を窓に向けていた。
黒い髪なのに月明かりで光っている気がした。
「…それでいいの?」
「…ニーナは?」
仮面の下の瞳が動く。私を横目に見た。
何を言えばいいのか分からない。
好きな人がいるノアと結婚する。けどノアは愛人を作らない。
「…分からない。どうなるのか…。」
好きな人がいる人と結婚して私はどんな気持ちになるのだろうか。
「…」
「…ノアがそのつもりなら見た目を戻して。」
私は言った。
好きな人のために変えたその見た目を私の好きなノアに戻して欲しかった。
「…戻す?」
「金髪と黄色い目に戻して。」
「どうして…」
ノアの口元がぽかんと開いている。
「…変えられたものだから。」
「…偽物ってこと?」
「う、うん。」
「…」
私たちの間に沈黙が流れた。
これが認められないなら好きな人がいるノアを認められない。