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俺は今持っているものに見覚えがあった。
それは、小さな小瓶のついたネックレスだった。
ネックレスが切れているが、小瓶の中に入っているのは無色透明な液体で、車の揺れに合わせて揺れていた。
「なんで、ここに」
山科も理解が追いついていないらしい。
先輩に問いかける。
「どうしてこれがあるんですか? これ、皆口の持っていたネックレスですよね!」
先輩は肩を掴まれて、やっと正気に戻ったようだった。
しかし声は震えたままだった。
「ああっ、えっとだな。昔に皆口さんを車に乗せたことがあるんだよ。ほら、お隣さん同士だし。多分、その時に落ちちゃったんじゃないかな?」
「でも・・」
山科は言った。
「沙川が小瓶について聞いたのは皆口が消えるその日ですよ。その時はまだ、ネックレスつけてたって・・」
車内に沈黙が降りた。
エンジンの響きとワイパーの規則的な音だけが、俺の耳に入ってきていた。
長い長い沈黙だった。
そして、やっと先輩がポツリと呟いた。
「仕方がなかったんだ」
「え?」
「仕方がなかったんだよ。ああ、そうだとも、あれは正当防衛だ。僕は悪くない・・、僕は悪くないんだ」
血の気がひいていくのを感じた。
山科も絶句している。
「勇気を出して告白したのに、彼女、それを断ったんだ・・。それで、つい」
「皆口はどうしたんですか?」
「山に埋めたよ。うまくいったと思ったのに・・」
俺は山科と顔を見合わせた。
どうする? と山科の表情は伝えていた。
「先輩、自首しましょう」
俺は言った。
「・・ああ、そうだな」
小森先輩は静かに呟いた。
俺は疑問だった。こんな簡単に納得するだろうか?
車は山道を進んで行った。
しばらく経って、異変に気付いた。
「先輩、道違うんじゃないですか?」
すでに数分が経っているはずだが、一向に集落につかない。
どうなっているのか? 俺は窓の外に目を向けた。
窓の外は深い暗闇だった。
まだ山道の最中だ。俺は悟った。
「おい、沙川。これやばいんじゃないのか?」
小森先輩は前を見据えたまま車を走らせていた。
そして言った。
「すぐ目的地に着くからね」
俺は山科に叫んだ。
「逃げるぞ!」
車の後部ドアを開けて、転がり落ちるように外に出た。
山科も俺に続いた。
車はしばらく進んでブレーキランプをつけた。
運転席から小森先輩が降りてくる。
「走れ!」
ここは山道だった。細い一本道で、アスファルトは半分以上落ち葉で埋もれていた。足が滑って走りにくい。
「スマホ持ってるか?」
山科が聞いてきた。
「だめだ充電切れだ」
「まじかよ」
「でも、まさか先輩が犯人だなんて」
「とにかく道を辿って集落に戻るしかないな!」
俺たちは走った。
だが、山科は降りた時に足を痛めたらしく、全力疾走はできない。後ろからの足音が徐々に大きくなっていく。
「見えたぞ! 県道だ!」
小道の先に綺麗な一車線の道路が見えてきた。どうやら、途中で県道から分かれた小道の方へ車は曲がっていたらしかった。
「うわっ」
その時、山科が足を滑らせて転倒した。
俺は彼に駆け寄る。
「大丈夫か?」
「ああ」
「やっと追いついた」
暗闇から先輩の声が聞こえた。
街頭のライトの下に先輩の姿が現れた。その手にはナイフが握られている。
「先輩・・やめてください。ここで俺たちを殺してもすぐ罪はばれますよ!」
「そ・・、そうです。沙川の言う通り」
先輩はニタニタ笑いながら近づいてきた。
「大丈夫、僕はうまくやる、きっとだ」
ナイフを構えて、先輩は俺たちに突っ込んで来た。
やられる!
そう思った時だった。
先輩が何かに足を取られて転んだ。
「な・・なんだ!?」
それは暗闇からすーっと現れた。
先輩の足元に絡みついているのはスライムのような細長い物体だった。街頭のライトに照らされてそれは艶やかな光沢を放っていた。
そして、声がした。
「逃げたまえ!」
男の声のような気がした。
先輩とそのスライム状の物体、人間の形をした水は格闘を繰り広げ、先輩に馬乗りになって、その顔面に液体状の手を押し付けた。
俺たちは呆気にとられ、その光景を眺めていたが、すぐに我に帰り、
「逃げよう」
「ああ」
後ろを振り返ることなくその場を離れた。
県道を走る車に助けを求めて、警察がきたのはそのすぐ後だった。
先輩の供述通りに、山の中から皆口の遺体が見つかり、翌日の学校は事件の話題で大騒ぎだった。
先輩は気絶した状態で発見されたらしく、水人間のことは報道にはなかった。
放課後、俺と山科は教室に残り、水人間のことについて話した。
「誰も信じてくれないな」
「しょうがない。水人間に助けられたなんて眉唾な話。せいぜい錯覚でも見たんだろうって思われちゃうだけだ」
「写真でも撮っとけばよかったのかな」
「多分ダメじゃない? 信じない奴はどうやっても信じないから」
俺たちは昨日の出来事を、たくさんの人から聞かれ、同時に否定されることを何回も繰り返した。
「それにしても、まさか小森先輩が皆口を殺してたなんて」
山科がポツリと呟いた。
俺もショックは受けていた。あの小森先輩が人を殺めていたなんて。
「山科の推理は大外れだったな」
「ああ。大外れだ。結局、どういうことだったんだろう。昨日の皆口の幻も不思議だし、水人間が俺たちを助けたのも不思議だ」
そう言って髪をわしゃわしゃと乱した。
「俺なりに考えてみたんだが、もしかしたら水人間は皆口の仇を討とうと思ってたんじゃないか?」
「皆口の仇を? 復讐か?」
「そうだ。あの小瓶に入った水がもし、水人間の一部だったとしたら彼女が殺されるところも見ていたかもしれない。だが、殺されたことは分かっても、どこに埋められていたのかは分からない。だから、皆口の姿に化けて、先輩に揺さぶりをかけた。彼女が死んだことを確かめるために遺体を掘り起こす可能性にかけて」
「確かに先輩、かなり動揺していたよな」
「あの分じゃ俺たちを送り届けた後、すぐに確認しに行ってもおかしくなかったな」
「でも都合よく俺たちのピンチに駆けつけたのもおかしな話だよな」
「もしかしたらボンネットの中に隠れていたのかもしれない。海外じゃボンネットの中にリスが木の実やらまつぼっくりやらを大量に入れることもあるらしい。隠れる隙間は十分にあったはずだ」
「なるほど」
正直な話、俺にとっては昨日の体験は驚きの連続だった。
水人間・・彼は今どこにいるのだろう。その行方は誰にも分からない。