7.数年後、王子は
「そんなことがあったから、お父様はとても悲しかったんだ」
「おとうさま、おかわいそう」
エイダに逃げ帰られたパーティーから早数年の時が過ぎていた。スティーブンは双子の娘と息子を膝の上に乗せ、あの悲惨な日の出来事を昔話をするくらいには立ち直っている。
あの日はあの後、パーティー会場にいた半数以上の者から可哀想な目で見られ、その次には「是非、うちの娘を」などと売り込まれ、一部の女性からは「何をなさったのかしら」と疑われて散々だった。
母、アリスにも「スティーブン、まさかとは思いますが、変なことはしなかったでしょうね」と聞かれた時にはスティーブンは憤死するかと本気で思った。あの時、父、ウィリアムが庇ってくれなかったらまた離宮に引きこもるところだった。
「でもそれって、おとうさまが」
「また、そのお話ですか?」
「おかあさま!」
双子は、彼らの母が登場した途端にスティーブンの膝から飛び降りて駆け寄った。
「おかえり、エイダ。今回は桃色にしたんだね」
「おかあさまのつめ、かわいい」
「かーわいい!」
双子の母でありスティーブンの妻であるエイダは週に一度、爪を塗りかえる。あの離宮の頃と変わらず愛らしく、しかし洗練されたデザインの爪は子どもたちにも好評だ。
「ふふ、ありがとう」
エイダはしゃがんで双子の頬にキスをした。双子を追いかけてきたスティーブンが、エイダの前でしゃがむと彼女は笑ってスティーブンにもキスをしてくれる。
「おとうさまばっかり、おくちずるい!」
「お父様はお母様の夫だから特別なんだ」
「おかあさま、おとうさまがまたパーティーのおはなしをしていました」
「ねえ、いつまでも飽きないものですねえ」
「おとうさまが“好き”っていわないのが、わるいのにねー」
「ねー」
「おや、痛いところを突かれた」
クスクス笑いながら、スティーブンはエイダを立たせた。子どもたちは手を貸さずともぴょんぴょん跳ね回り、二人に付いてくる。王子様とお姫様であっても、子どもは子どもだ。幼い内は健やかであれば、礼儀作法も程々にで構わないだろうとスティーブンは笑った。
エイダが逃げ帰ったパーティーの次の日、ラフィネ公爵家から正式に婚約を受け入れるという旨が届き、王宮は上を下への大混乱だった。何せ誰も、国王夫妻はもちろん他の貴族もスティーブンでさえも、この縁談は無理だと諦めきっていた。この後も色々とあったが、どうにかこうにかエイダはスティーブンの后となった。今では仲のよい夫婦だと国内外で評判である。
ちなみに、スティーブンの立太式も結婚式の日に済ませた。例外が一切ない訳でもないが、フィエルテ王国では独身者を王太子に任命することはできないと、法律で定められている。スティーブンはこの日、名実ともに次期国王となった。
「もちろん、エイダのことを愛しているとも」
「言うのが遅いのです」
「おとうさまがわるい」
「おとうさまがわるーい」
「僕の味方はいないようだね。困ったな」
スティーブンがわざとらしく悲しげに首を振ると、エイダがおかしそうに笑う。子どもたちが話せるようになってからは、定石の会話だ。いつもスティーブンが責められて終わるのに、彼はこの話を止めようとしない。
「ふふ、いいえ、スティーブン様。わたくしたちはいつでも貴方の味方ですわ」
「おとうさま、ないちゃった? よしよししてあげる!」
「よしよししてあげるから、えほん、もういっかい、よんでください」
「絵本もいいが、アルコイリスに会いに行かないか?」
「いくー!」
「アルコイリスにのるー!」
「まあ、貴方たち。アルコイリスに会いに行くなら、お着替えが先ですよ」
双子はきゃあきゃあと騒ぎながら侍女たちに連れられて着替えに行った。ついこの前までベビーベッドで黙々とベビーサークルを眺めていた静かな赤子と、同一人物だとは思えない素早さだった。
「エイダ」
「……それ、もういいのでは?」
「君が始めたことだよ、教育係さん」
「教育係も、もういいのでは……」
スティーブンは所々表紙が剥げた“よくできました帳”をエイダに差し出した。あの頃から今までかかってもまだ五分の一は残っている“よくできました帳”だが、ようやく終わりが見えてきてもいる。エイダは苦い顔をしつつも、いつもポケットに忍ばせてあるハンコを押した。
「父上が任を解かないからなあ」
スティーブンの両親、国王夫妻はもちろんまだ健在だ。スティーブンは後十年程は王位を引き継がない。この猶予期間で“改革”を済ますとスティーブンの側近たちは躍起になっている。
「さて、何を叶えてもらおうかな。“よくできました帳”を渡された時はどうしようかと思っていたけれど、いざとなると沢山あって迷うものだね」
「お手柔らかにお願いしますね」
「とりあえず今考えているのは、今の週二を毎日に」
「却下で」
「何でも叶えてくれるって言った」
「わたくしが叶えられる範囲で且つわたくしが叶えてもよいと思える願いであれば、です」
「一緒に寝るだけだよ、変なことしないから」
「信用ができないので無理ですね」
「ひどい……」
双子が生まれる前、スティーブンたちは同じ寝室で休んでいたが、双子が生まれてからエイダは自室で休むようになった。初めは産褥期の安静の為の隔離であったが、エイダは久しぶりに感じた一人で寝る快適さを手放せなかった。スティーブンは週に二度だけエイダの寝室に入ることを許されているが、それが不満で仕方がない。
「わたくしからもお伺いしているではありませんか」
「僕はエイダと一緒にいたいだけなんだ」
「……スティーブン様は、本当にわたくしのことが好きですねえ」
「ああ、好きだよ。愛してる。エイダが僕の后になってくれたから、本当なら他の全部を我慢しなくちゃいけないくらいには幸せなんだ。あんなに可愛い子どもまで産んでもらえて、なのに。君のことになると欲深くなっていけないな」
「貴方は、自己犠牲的な所がおありだから、我儘くらいで丁度いいのだと思います。……しゅ、週三回に増やして差し上げても、よろしくてよ」
「本当!?」
「わたくしだって、スティーブン様をお慕いしておりますもの。貴方の望むことは叶えて差し上げたいわ。……毎日になるかは“よくできました帳”が埋まってから考えますわ」
「うん、ありがとう、僕の可愛い人」
夫婦が小さく笑いあいながら軽い口づけを交わしていると、外から甲高い子どもたちの声が聞こえだした。
「おかあさまー! おきがえできました!」
「おとうさま、はやく! アルコイリスのとこいこ!」
「ああ、行こう」
スティーブンはエイダをエスコートしながら、子どもたちのもとへ歩き出した。あの、真っ昼間から離宮で酒を飲んでいた哀しい人の影はない。背筋を伸ばし、自信に満ち溢れ、幸せに包まれた人の姿がそこにあった。哀しい人はまだ身の内にいるのだろうことを、スティーブンは知っていたけれど、それでもだからこそと、胸を張る。一人ではないと、知ったから。
読んで頂き、ありがとうございました。
これで王子編は終了になりますが、6から7にかけての様々な過程は令嬢編で詳しく書いていく予定です。三人称ですが、王子サイドの主観でしたので令嬢編ではエイダが何を思っていたのかを書き込んでいく予定です。
スティーブンは完璧主義者で、挫折を味わうことなく(挫折したくなくて努力をしてきたので)ずっと気を張って生きてきました。完璧過ぎる父は偉大で、誰かの心無い言葉やアドバイスより自分自身の中の基準を満たすことだけを目標にやっていました。「頑張らなくていいよ」が地雷で、「怠惰」は憎むべきもの。けれど、スティーブンはウィリアムのようにはできず、心身が疲弊するのは当然でした。
あの離宮でのひと時は、スティーブンが王様になるのに必要なことで、しかしそれを理解できる人なんているのか。と、国王夫妻が探し出したのがエイダでした。この辺も令嬢編で書きます。
父ウィリアムは神様から愛されてる典型的なタイプ。コミュニケーション能力に難ありですが、それなりに慕われてもいるので周りの人と奥さんがなんとかしてくれています。国王としては非常に優秀で且つトップダウン型。国のことなら小さな村の人口数まで覚えている。ただ、息子との接し方が分からない。
「何で、寝ろって言ってるのに寝ないのあいつ、死ぬの? このままじゃ死ぬよ? そのくらい分かってるよね?」顔には出さないけれど、すごく戦々恐々としていました。下手したら奥さんより心配してた。今まで“分かってくれる人”として接してこなかった弊害で“分かってもらう努力”とか“教える、諭す”“分かりやすく優しくする”ができない人。
母アリスは芸術に秀でており、コミュニケーション能力の塊みたいな人。芸術家一家に生まれていれば時代に名を残すレベルの人ですが、高位貴族の生まれなので芸術はコミュニケーションツールの一つとしてとらえています。
正直、夫の言ってることはよく分かっていない時が多いけれど仲のよい夫婦。可愛い一人息子が悩んでいるのにどうしてあげることもできないと嘆く普通の母。「休みなさい」と叱っても諭しても突っ走っていく息子が心配で、けれど、自分は国母だからと国のことを第一に考えねばならなくて。もし、息子が倒れることがあれば、ということまで考えてはいました。
その他、スティーブンの側近たちは「俺たちの王子、危なくね?」と相談し合ってはいたものの、どうにもできない不甲斐なさを感じ、且つ「俺たちって信用されてなくて?」と不貞腐れてもいました。離宮に引きこもり事件がなかったら、もしかすると謀反までいかなくても関係は悪化してたかも。側近たちは婚約者がいる人とか既に既婚者とか様々です。(こっちはあんまり書く予定ない……)
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!