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6/11

6.パーティーにて

 スティーブン王子殿下の全快祝いとして、王宮では華やかなパーティーが行われた。にこやかで心優しく、しかし凛とした姿のスティーブンに貴族たちは胸をなでおろし、あるいは爪を噛み、またあるいは感嘆の息を吐いた。


 スティーブンの進退は、彼が“休養”している間に多くの貴族たちの間で議論されていた。王子派、王妹派、そしてその他の王家の血筋が入った高位貴族派。思惑は様々で、このままではどう転ぼうとも王亡き後の内乱はある程度避けられないと皆が感じていた。


 しかしスティーブンは帰ってきた。正しく“王子”の風体で、彼以外に誰が王位を継げようかと言わんばかりの空気を纏って。



「皆、本日は参加をしてくれて感謝する。楽しんでいってくれ」



 短い挨拶の中に、スティーブン・フィエルテという、次期国王の覚悟を見出した者までいた。そしてそれは間違ってはいなかった。スティーブンは壇上から集まった貴族全員を見渡して、自身に不利益になりそうな者に目をつけていた。彼をとりまく者たちもそれをしっかりと目に焼き付けている。王子派に移行できそうにない者は、そしてそれを隠しもできない者はこの場で彼らに目をつけられていた。



「ご全快おめでとうございます。殿下のお帰りを心待ちにしておりました」

「ありがとう」

「ご病状を案じておりましたが、無事にお帰りくださり大変喜ばしい限りです」

「心配をかけたね」



 王族が全員分の挨拶を受け、さてそろそろダンスが始まろうとした。王子のファーストダンスの権利を狙っているご令嬢やその親たちがじりじりと色めきだっていたが、スティーブンは彼女らをさらりとあしらってラフィネ公爵夫妻のもとに向かった。



「楽しんでくれているかな、ラフィネ公爵、夫人」

「おや、殿下。ええ、とてもよい夜です。我が領の酒も映えている」

「とても素晴らしいパーティーだと、夫と話しておりましたのよ」

「それはよかった。貴領の酒はいつ出しても外れがないからね、助かっているよ」

「お役に立てましたなら、幸いでございます」



 ラフィネ公爵夫妻は、スティーブンが何を言いたいのかを知っていた。スティーブンからではなく、国王から既に話を聞いていたのだ。しかし、公爵はしたり顔でグラスを揺らしスティーブンからの言葉を待った。



「本日、エイダ嬢は?」

「息子のパートナーとして参加しております。現在は両名とも友人の所へ……。ああ、あそこにおります。再従兄弟のシーザーと共におりますな、あれはうちの傍流ですが気持ちのよい男ですので娘との結婚を許そうかと考えておりまして」



 スティーブンは、ぴしりと一瞬固まった。


 この国ではむやみに新たな貴族が増えぬよう、数を規制する法律がある。子どもの数を減らすという法律ではない。しかし、子どもが何人いようとその家の爵位を賜るのは基本的に一人だけなのだ。故に傍流と本家の人間を結婚させることも少なくはない。


 貴族の血を絶やさずにいるには、傍流は欠かせないが彼らは貴族として正式に認められてはいない。けれど本家の血筋を定期的に入れることによって本家に守られ、且つ必要になれば本家へ養子に出る。血が濃すぎるのはよくないと言われるが、再従兄弟であればそこまで問題にはならないだろう。



「……そのことだが、ラフィネ公爵」

「ふふ、冗談ですぞ」

「もう、ふふ、貴方ったら」

「え」

「ほら、そのような顔をしてはいけません。シーザーは来春伯爵家への婿入りが決まっております、ご心配なく」

「……人が悪い」

「そうですかな、いやはや私などまだまだ。さて、曲が始まってしまいます。殿下におかれましては、お好きな方とどうぞ」

「っ、感謝します」



 からかわれたのだと察して、少しばかり頬を染めたスティーブンは走り出しこそしなかったものの、分かりやすく足を速めてエイダのもとに向かった。その後ろ姿にラフィネ公爵夫人が「可愛いわあ」と和んでいたが、スティーブンは知る由もなかった。



「やあ、ご機嫌いかがかな?」

「スティーブン殿下」

「お心遣いありがとうございます。素晴らしい夜ですわ」



 エイダと、エイダの再従兄弟であるシーザーは、スティーブンに恭しく最上の礼をおこなった。このパーティーでは最初の挨拶を除き、最上の礼は省略することが認められているが爵位が低い者や年若い者たちは、このような場でも省略しない方が好ましいとされている。


 スティーブンが年若い貴族たちが多くいるエリアに足を踏み入れたことで、その場が一気に色めき立ったが、皆、はしたなく周りを囲むようなことはしない。むしろできない。


 スティーブンが声をかけている相手が公爵令嬢であること、彼を手伝う優秀な若手貴族たちが微笑みながら睨みを利かせていることが原因だ。不用意に近寄れば、今後の出世にも響くとよく分かった。



「――ところで、そろそろ曲がかかる頃だね」

「あら、そうですね」



 何でもないようなことを二三話して、スティーブンはそう切り出した。シーザーが少し気まずそうに視線を斜め上に上げたが、エイダは特に気にする様子もなくやはりすまし顔で頷いた。スティーブンはそんなエイダに僅かに怯みかけたが、決してそれを悟らせずに笑いかけた。



「エイダ嬢、よければ私と踊って頂きたいのだが」

「……」

「いかがかな?」



 エイダは黙って、小さく目を見開いた。何も返してくれないエイダに、スティーブンは内心冷や汗をかきながらもう一度伺いを立てた。断られることはない筈なのだ、多分。スティーブンは王子であるのだから、自国の王子の誘いを断るなんてことはしないだろう、恐らく。


 しかし、相手はエイダである。彼女は令嬢として逸脱するような振る舞いはしないが、教育係の時と同じで読めない人なのだ。スティーブンはじわりと手袋の下に汗をかいた。



「エイダ嬢?」

「えっ、あ、ああ、すみません。……謹んでお受け致します。お誘い頂き、ありがとうございます」



 スティーブンがもう一度名前を呼ぶと、エイダははじかれたように半歩後ずさった。「すみません」と言われた瞬間にはさすがのスティーブンも顔を引きつらせたが、続いた言葉に助けられた。

 スティーブンが動揺をそれ以上、外に出さないようつとめて手を差し出すと、エイダの小さな手がそっと乗せられた。やはり丁寧に彩られた爪が愛らしかった。



「では、行こう」

「はい」



 エイダの手を取りホールの中央にエスコートするスティーブンを、会場の皆が見守った。「やっとお決めになったか」と、ひそめた声がいくつがあがる。


 スティーブンは、今まで婚約者を決めてこなかった。初めから、ここまで決めないと定められていた訳ではない。なんなら国王と王妃の結婚は、それこそ二人が生まれる前から決まっていた。


 スティーブンが婚約者を決めなかったのは、ただの偶然が重なっただけなのだ。貴族の力関係も影響したがそれくらいで、後は特に意味はない。ならばもっと早くに決めればいいものを、少し成長してしまい勉強と仕事に追われるスティーブンが「今はそんなことを考える余裕がない」などと言うものだから、今日この日まで決められていなかった。


 エイダはラフィネ公爵家の長子であり、遊学経験もある。外国の貴族とも交流があり、五ヵ国語を理解する。教育に熱心で、他国で得た知識をラフィネ公爵領の教師を呼び教え、更にそれを子どもたちに教えさせているという。ここ数年でラフィネ公爵領の大学校進学率は高くなる一方だった。少し変わっていると言われているくらいで、特に後ろ暗い噂もなく、彼女もまた婚約者を持たない。王子の相手として、未来の国母として問題のない人だった。


 曲が流れだす。滑らかに動き出す二人は、絵画の中の登場人物のようで年若い令嬢の一人がほう、とため息を吐いた。



「君さ、ちょっと薄情すぎやしないかい?」

「何のことでしょう」

「そういう所だな」



 踊りながら、スティーブンがエイダに耳打ちをする。



「分かりかねます」

「教育係、いつ終わったんだ」

「陛下からはまだ、終えよとは」

「そうだよね。何故、来なかったの?」



 スティーブンが王都に戻って数週間、エイダは一度も王宮には訪れなかった。スティーブンもこの数週間は様々な業務に忙殺されていたが、皆が手伝ってくれたので以前ほどではなかったし、エイダが来るというのならいくらでも時間など空けられたのだ。



「必要がないと判じました。……ご入用で?」

「そうだよ、ずっとご入用だった」

「あら、どのような?」



 二人はひそひそと話しながらも、ステップを踏み間違えることはしない。周りで踊っている人々でさえ、優雅に踊る彼らを羨望の目で見ていた。



「君が職務放棄をした頃からどうにも寝つきが悪くてね、安眠をするにはどうすればいいのか教えて欲しくて」

「放棄をした覚えはございませんが、それは……お医者様にかかる案件では?」

「……それで、治ると思う?」

「治らなさそう、ですね」



 エイダは困ったように小さく微笑んだ。思わずスティーブンの手に力がこもったのと、一曲目が終わったのはほとんど同時だった。


 曲がひとつ終われば、パートナーを変えるかダンスを止めるかのどちらかだ。未だスティーブンのダンスパートナーの相手を熱心に待つご令嬢たちが、今か今かと彼を待っている。しかし、スティーブンはエイダの手を離さなかった。



「殿下?」

「あの、少し話がしたいんだ」

「結構ですわ、バルコニーに出ましょう」

「あ、ああ」



 スティーブンは一瞬もたついてしまったが、きちんとエイダをエスコートしてバルコニーまで出た。顔をしかめて二人を見送った令嬢たちを、今まで見向きもされなかった男性陣がダンスに誘った。


 昼間であればこのバルコニーからは王宮自慢の庭園と城下町が見えるのだが、今は警備用の火が灯された道がちらほらあるくらいだった。代わりに空には魔法使いたちが星屑のカーテンをかけていたので、遥か北の国で見られると聞くオーロラに似た美しい景色が広がっている。



「寒くない?」

「問題ございません」

「そう」

「お話とは、教育係のことですか、不眠の件でしょうか。それとも、それ以外のことでしょうか」

「それ以外のこと、だね」



 スティーブンはずきずきと痛むように高鳴る胸を自分自身で隠しながら笑顔を作った。昔から培ってきた処世術だったが、この時だけは上手くできている自信がなかった。



「……離宮でのこと、感謝する。君が来てくれなかったら、私はあのまま駄目になっていただろう」

「身に余る光栄ですが、過大評価でございます。殿下はわたくしの助けなどなくとも、きっと」

「いいや、それはないな。あそこで上手く飲めない酒を浴びながら腐って消えていただろう。本当に感謝している、ありがとう」

「……お言葉、謹んで」

「それで」



 エイダが膝を折ろうとするのを制して、スティーブンは言葉を被せた。焦りが隠せていなかったが声が上ずらなかっただけ上出来だと、スティーブンは自身を慰め話を続けた。



「それで、その。君には、これからも僕の傍にいて欲しいんだ」

「それは、今後も教育係としてという意味でしょうか。それとも殿下の精神衛生管理者としてでしょうか」



 スティーブンは緩く唇を噛みながら、覚悟を決めた。エイダはもうスティーブンが何を言いたいのかを理解している。した上で、こう言っているのだ。いつものすまし顔で、しっかりとスティーブンの目を見ながら。



「君には、僕の后になって欲しい。ひいては王妃に」

「……お返事をする前に、わたくしのお話も聞いて頂けますか」

「あ、ああ、もちろん」



 基本的に、王子からの求婚を断ることは現実的ではない。しかしエイダはラフィネ公爵家の娘だ。ラフィネ公爵家は何も酒ばかり作っている家ではない。初代国王の娘が興した家で、古くから大きな力を持ち要所要所で鍵を握ってきた。今代のラフィネ公爵は飄々とした笑顔の気のいいおじさんのように見せているが、彼の一言で王子派と王妹派の比率が変わる程度の発言力を持っている。


 そのラフィネ公爵家の娘であるエイダが意図を持って断るというのであれば、今のスティーブンではそれを覆すことはできない。スティーブンは拳を握り、エイダの言葉を待った。



「幼少の頃、わたくしは殿下の遊び相手に選出される誉れを頂き、同じく選出された子どもたちと共によく王宮に招かれておりました」

「そうだね」

「殿下は、できるだけ皆と平等にお話をなさろうとしてくださいましたが、次第に呼ばれる者の数が減っていきました」



 スティーブンはエイダの話を黙って聞いた。今の所はただの昔話である、スティーブンにもその当時の記憶はあった。その頃に、何かをしてしまっただろうか。当時のエイダとは、正直な所あまり大きな思い出はない。


 集められた子どもたちは、自身の役割を理解していたとしても、やはり自身の性質の合う者同士で固まってしまった。スティーブンですらそうだった。クリストフたちが選出されたのは、スティーブンとの相性がよかったからだ。残念ながら、その中にエイダはいなかった。



「徐々に減っていく子どもの数に、わたくしは恐怖しました。けれど、安堵もしておりました。あの場で、わたくし以上の高位貴族の女子がおりませんでしたから」

「それは、つまり」

「わたくしは、あの時点で、わたくしこそが殿下のお相手に選ばれたのだと思ってしまっていました」



 確かに話は出ていた。スティーブンもよく覚えている。大人たちが難しい顔を突き合わせて、ああでない、こうでもないと何度も話し合っていた。同じ話を何度もしてよく飽きないなと、子どもらしく感心していたのもスティーブンは覚えていた。だが、



「しかしそうはなりませんでした。いつの間にかわたくしも王宮に呼ばれなくなり、それに気づいた時の想いは、今でも言い表すことができません。悔しかったのか、恥ずかしかったのか、情けなかったのか、それとも悲しかったのか。そのどれでもあり、どれでもなかったようでもありました」



 何故だったか、と問われても、スティーブンは理由を知らなかった。その当時の貴族社会で何かしらの問題が起きたか、反対派が優先になったか、そのくらいの憶測しかできない。


 当時からスティーブンは優秀ではあったけれど、まだ完全に子どもだった。自身の婚約者が決まることにどういう意味があるのか、決まらないことにどういう影響があるのかを正確には理解していなかった。



「ただ、そこで目が覚めたのです。わたくしは別に、殿下の婚約者になりたかった訳ではなかったのだと、気づきました」

「そ、そう……」



 エイダが長く悲しまなかったというのは喜ぶべきことであるが、スティーブンは微妙な気分になった。エイダはやはりすまし顔のまま、話を続ける。



「父もわたくしのことをどうしても后にしたかった訳ではなかったようでしたし、自由になったのだし外遊でもしようかと。結果的に遊学になりましたが」

「僕は、断られているのかな」

「どうでしょう、……っくしゅ」



 スティーブンは上着を脱いで、エイダの肩にかけた。エイダは抵抗することなく、しかし少し視線を外しながらスティーブンにお礼を言った。



「ありがとうございます……」

「いや、続けて」



 エイダはスティーブンの上着をそっと持ち、本人からは視線を外して少し俯きぎみのままで笑った。場違いにもスティーブンはこちらを向いてくれればいいのに、と思ってしまった。



「わたくしが殿下の后になったとして、何ができるか、という話なのだと思います。選出には残っておりましたし、父もわたくしの婚約者を今まで決めてこなかったので、全くその気がなかった訳でもないのでしょう。しかし、わたくしである必要もないでしょう。わたくしはただ、一ヶ月と少しの間、殿下のお傍にいただけです。特にこれといった功績も持たず、何かに秀でている訳でもありません」

「僕は君でなければ駄目だと思っている。その理由も言えるが、君は僕と結婚したくない?」

「ご命令であれば従う他ありませんが、わたくしでなくてもいい、とは思っております」

「それは王妃になりたくないってことかな、それとも僕個人との結婚が嫌だということかな」

「嫌とは……」



 エイダは彼女には珍しく、スティーブンから視線を外したままで口ごもった。これは、本当に断られる流れかもしれない。そしてスティーブンにはそれを止めることはできない。口の中の水分が全て蒸発したような気分で、それでもスティーブンは口を開いた。



「……離宮での僕は、今までの僕が一番に嫌悪する類の人間だった。だが、あれも僕の一部だ。僕が王になる以上は、そういう僕でさえも支えてくれる人でなければならない。……君を利用するように聞こえるだろうけれど、公爵家の娘で外交に強く勉強もできる。そして僕を立ち直らせてくれた。僕の后として君以上の条件の人はいない」

「殿下が王宮にお戻りになったのは、殿下のお力でございます。更に殿下のご結婚相手として、条件を並べられるのは当然のことですわ。ですが、そこまで言って頂けて光栄でございます。謹んで――」

「待って」

「え?」

「まだ何か言っていないことがあるんだろう。結婚をしてくれるのは嬉しいけれど、できればちゃんと、納得をした上で返事をして欲しい。……急がないから」



 せっかく受けてもらえそうであったのに何をしているのだろうと、スティーブンは自身を嘲った。けれどこのまま身分を理由に受けてもらえたとしても、きっと何かが違う。エイダは依然としてスティーブンの方を向かない。淡々と、そうすべきだと話している。



「冷えてきたね、そろそろ戻ろう」

「……」

「どうかした?」

「殿下は」

「うん」

「殿下は、わたくしの名前など、ご存じないとばかり」

「えっ、え゛!? 知っている、というか覚えているよ! 僕たちは昔から――」

「離宮では、一切お呼びにならなかったので。今もではありませんか」

「それは、そ、でも、ちゃんと覚えているよ。エイダ・ラフィネ公爵令嬢、ちゃんと、あの……」

「ええ、ですから、先程、ダンスに誘ってくださった時に、名前をお呼びくださったから、わたくし、びっくりして……」



 そんな風に思われていたのだと知り、スティーブンは焦った。まるでエイダ自身のことなどどうでもよくて、彼女の地位や条件だけで求婚したようなものではないか。



「ごめん、あの、本当にすまない。どうにも気恥ずかしくて、だってほら、昔は“エイダちゃん”って呼んでただろう。それをかしこまって“エイダ嬢”っていうのが何だかおかしくて」

「昔の呼び名まで覚えてらっしゃるの?」



 そこでやっとエイダはスティーブンの顔を見た。目を丸くして、本当に驚いた顔で、スティーブンを見た。その表情にスティーブンは自身の評価を思い知った。自業自得と言えばそこまでなのだが、面白くはない。



「覚えているよ。いつも兎とか犬のぬいぐるみを持って王宮に来ていたこととか、僕のことを“スティくん”って呼んでたこととか」

「その節はご無礼を」

「子どもの頃の話にそういうのはなしだよ。君、あ、いや、エイダ嬢はあの頃からずっと可愛いものが好きだよね」

「え?」

「あの頃はよくリボンとフリルのたくさん付いたドレスを着ていたし、今もその爪が――」



 指摘された爪をエイダはバッと胸に抱きこんだ。



「あ、あの、お目汚しを」

「可愛いよ、似合っている。……僕が、そこまで見ていないと思っていた?」

「……」



 無言は肯定だ。スティーブンは僅かに苦笑を漏らした。どうやらエイダの中で、スティーブンはかなりの朴念仁らしい。



「子どもっぽいと思われたでしょう、成人も済ませたのにいつまでも少女趣味で」

「どうして、好きなんだろう?」

「それは」

「だったらいいじゃないか、君は素敵で可愛い女性だよ」

「か、あ……」

「エイダ嬢?」

「う、上着をありがとうございました! わたくし、今日はこれで!」

「え、ちょっ」

「失礼致します!」

「……あ、え?」



 エイダは淑女にあるまじき勢いでスティーブンに上着を突っ返し、雑に礼をしてぱたぱたとバルコニーから逃げて行った。そのままパーティー会場からも出て行ったようで、会場が静かに揺れた。



「……」



 スティーブンは、エイダの香りが少し残った上着を握りしめながら、バルコニーに立ち尽くした。目じりに何かが滲んだが、しばらくして様子を見に来たクリストフはそれに気づかないふりをして、ただ優しく肩を叩いた。

読んで頂き、ありがとうございました。

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