3.婚約期間
エイダとスティーブンの婚約の知らせは、瞬く間に王国中を駆け巡った。国内外から多くの祝福が届き、結婚はまだ先であるのに気が早い人々はもうお祭り騒ぎである。何せ、あの“理想的な王子様”の原因不明の病を愛の力で癒した“慈愛に満ちたご令嬢”がお后さまになるのだ。まるでおとぎ話のようじゃないかと、国民たちはこぞって二人をもてはやした。
ラフィネ公爵家が正式に後ろ盾に就くとあって、様々な声は一旦の静まりを見せた。騒がしくなりそうだった地域や国境も落ち着きを取り戻し、国軍も派遣予定であった兵たちに順繰りで休暇を出した。
全ての問題が片付いた訳ではなかったが、スティーブンは今までの反省を活かし側近たちとの連携を密にした上で、ラフィネ公爵や自身に与する勢力の囲い込みを以前以上にそつなくこなした。その為に王妹派やその他の派閥は勢力を徐々に無くし始めている。そもそも王妹自身がスティーブンが戻った以上はと、王位に執着をしなかった。彼女の子どもたちもそうであったので、一番の敵対勢力になりうるであったろう王妹派が一番最初に空中分解をしそうなのである。
国の平和に一役買った王子様の婚約であるが、当の二人は未だにどこかよそよそしい。仲が悪い訳ではなさそうであるのだが、何かいまいち親密さが足りないようにうつるのだ。二人の時間がとれないことも要因の一つなのだろう。側近たちが手伝ってくれているが、スティーブンは公務に忙殺されることもまだ多く、エイダは王室に入る為の勉学に忙しかった。しかし、側近たちも同じ轍は踏まないと意気込んでいる。
「という訳で、執務室から追い出されてしまってね……」
結婚後にエイダが住む予定の部屋へ、スティーブンが訪ねて来た。既にエイダに与えられた王宮内の部屋であるので、彼女はここで専門の教師たちから教えを受けたり、自習をしたりしていた。
「……またですか」
「そう、まただ……」
三ヶ月程そんな生活を送ったスティーブンに業を煮やした側近たちは、あろうことか自身たちの王子殿下を執務室から追い出すようになった。半年以上もスティーブンの仕事を肩代わりしてきた者たちであったから、彼の仕事の進捗を確認しつつ休日をねじ込ませるくらい容易いのだ。
本来ならばそれも、スティーブン自身が命を下すまで彼らは待つつもりでいた。だというのに、「楽になった」と別の仕事を探し出すような王子殿下にはこのぐらいで丁度いいという結論を出した。こうなるとスティーブンは本当に執務室に入れてもらえなくなり、近衛でさえも「陛下のご命令ですので」の一点張りだった。重要機密などは王族にしか開けられない仕組みの箱に入れて前もって国王に渡しているらしく、用意周到にも程がある締め出しなのだ。
「適宜休憩をなさらないから、あの方たちも強硬手段に出られるのです。お休みの日くらいはご自身でお決めになられては?」
「それはまあ、そうなんだが、書類が机の上にあるとどうしても気になって」
「それで追い出されていては、本末転倒かと」
「ぐうの音もでないな。で、それはそれとして、教育係さん。僕は今日は何をすればいいかな?」
エイダは静かに本を閉じた。コミュニケーションをとろうとしているのか、それとも乗馬以外にまともな趣味がないからか、スティーブンは執務室から追い出されるとエイダの部屋を訪れてこう言うのだ。会いに来てくれているとときめくのが正解なのか、暇つぶしに使われていると憤慨すべきなのかエイダははかりあぐねている
「……お茶をなさいます?」
「気分じゃないな」
「読書は?」
「それも違う」
「まあ、では、お散歩になさいますか?」
「そうだね、そうしよう」
スティーブンは離宮の時とは違い、このように自己主張をするようにはなった。気分転換になっているのならばそれでいいのだろう。エイダは当然のように差し出された手を(内心未だに緊張しながら)とって立ち上がった。
二人は温室に向かった。王宮の中庭には、特殊な魔法で管理されたそれがある。外がどんなに暑くても寒くても麗らかな春の陽気を再現しているその場所では、一般的な草花は勿論、貴重な薬草から国花、果樹なども植えられている。王宮の魔法使いや薬師が使うこともあるので、一ヶ月程入らないでいると配置がごろっと変わることもあるらしい。
「あれ、あそこの一角、花が変わってる?」
「あら、本当ですね。前回来た時は黄色い花が植わっていましたもの」
「はあ、前に来たのいつだったっけ。こんなだから、追い出されるんだろうなあ……」
「それが分かっていらっしゃるなら、きっと後もう少しですわ」
「もう少しって?」
「ご自身で休む習慣をつけるまでもう少し、ということです」
「難しいな。……頑張って、教育係さん」
「今、まさかわたくしに丸投げなさいました?」
「はは、君に期待しているよ」
「もう……」
エイダが呆れたように笑うので、スティーブンは思わず彼女の髪を耳にかけた。無意識でのことだったらしく、エイダが驚いたように見上げるとスティーブンは両手を上げて一歩後ずさった。
「ご、ごめん、あの、君が、ああいや、エイダが笑ったから、つい、その、すまない……」
「い、いえ、大丈夫です」
きっとこの場をスティーブンの側近であり兄貴分でもあるクリストフが見ていたのなら、あまりの初々しさに頭を抱えたことだろう。少し離れた所で控えている近衛や侍女たちでさえ、それを我慢するのに必死だった。
スティーブンの名誉の為に補足をするのであれば、彼は決して女性に慣れていない訳ではない。パーティーでエスコートをすることもあれば、社交界デビューした少女とダンスを踊ることだってしばしばあった。学生時代から王子の婚約者の座を射止めんと、様々な方法で彼に近づいて来た者も多かった。そしてそれらをそつなく相手にし、必要であればそれ相応の態度でもって撃退したこともある。そちら方面の教育だって、王子に相応しい基準のものを受けていた。それがこれなのである。関係各位は頭を抱えるやら笑いを堪えるやらで大変な思いをしていた。
「あの」
「うん」
「わたくしも、我が国において美人の基準が笑顔にあるということは知っております」
「君は笑顔でない時も美人だけど」
「……んんっ、ですが、わたくしが一番初めに遊学に訪れた国では、親密な間柄でない人に笑顔を見せるのは、はしたないとされておりました。その国には長く滞在していたこともあり、その時の癖が抜けず」
「つまり、親密な間柄になれば、笑顔を見せてくれると……?」
「そ、う、ですが、そうではなく。お時間を頂くかもしれませんが、常に笑顔でいる努力を致しますので」
「それはしなくていいんじゃないかな」
エイダはゆっくりとまたスティーブンを見上げたが、スティーブンは感情の読みにくい笑顔で笑っているだけだった。あれだけ狼狽えた後であるのに、変わり身が早い。
「それはしなくていいと思う。うん、するべきじゃない。無理は禁物だよ」
「……殿下?」
「……だってエイダ、君、モテていたらしいじゃないか」
「そこまででは、それにそれは他国での話であって、我が国の話では」
「嫌だ、ライバルが増える」
「不貞を疑っていらっしゃるのですか、それは」
「そういう話じゃない。それに君はその手の器用さがなさそうだから、そこは心配していない」
エイダが沈黙と視線でもって抗議すると、スティーブンは少しだけばつが悪そうに眉を下げた。
「でも、君は可愛いから横やりを入れられるのは困る」
「か」
「だから、君はそのままでいい。でも、僕にだけは笑顔を見せてくれないと嫌だ」
「……嫌って、そんな、子どもみたいに」
「格好悪いかもしれないけど、本音だ。……エイダ、君が好きなんだ、だから」
「え!?」
「えっ……?」
「え、そ、す……って、あの、わ、わたくし」
「ま、待って待って! ちょっと待って、行かないで!」
スティーブンは咄嗟に、今にも走って逃げようとしていたエイダの両手首を掴んだ。あのパーティーの傷がまだ痛む内に、同じ場所を切りつらけれるのはどうしても阻止せねばならなかった。掴んでしまった後に、何か失礼なことでもしてしまったのかとスティーブンは自身の言動を振り返ったが、どうしても分からなかった。
「~~っ、聞いてません!」
エイダはエイダでパニックになっていた。そんなことは、聞いてなんていなかったのだ。エイダは未だに自身が選ばれたのは、あくまで条件があっただけだなのだと思い込んでいたのだ。あの夜に「可愛い」などと言われて浮かれてしまってはいたが、あんなものは社交辞令だとやはり思い込んでいた。あれ程に“思い込み”がいけないのだと反省したばかりであったのに。
「何が!?」
「わたくしのことを、そ、そんな風に思っていらっしゃるなんて、聞いてません!」
「は!? え、え……? 言って、いや……」
「聞いてません」
「……好きでもない人に、可愛いなんて言わないよ」
「そんなの、知りません……」
言いながら、エイダの体からは力が抜けていった。何故、自分はスティーブンに八つ当たりをしているのだろう。情けなくて恥ずかしくて、もう泣けてくる。エイダは「貴族として感情を表に出してはいけません」と、厳しく教えてくれた指導役に謝りたくてしかたがなかった。
「うん、僕が悪かったから、落ち着いて。……嫌だった?」
「嫌なんて! 嫌なんて、そんなこと、とんでもないです、あの……」
「うん」
「あの、わたくし、も、殿下のことが」
「ぼ、僕の名前を言って、エイダ」
ぎゅうと握られた手が痛いくらいだったけれど、もう言うしかないのだとエイダは覚悟を決めた。
「う、ス、スティーブン様のことが、好きです」
今時、成人前の学生だってもう少しましだろうと思いながら、けれども懸命にエイダは言葉を紡いだ。絵本のようなロマンチックさなどひとかけらもなくて、ただただ恥ずかしいばかりだったけれど、どうにか全てを伝えることができた。
スティーブンはそんなエイダをじっと見るだけで、何も言わなかった。むしろ微動だにもしなかった。数拍をおいて、エイダが声をかけるまでそのままだった。
「スティーブン様……?」
「いや、噛みしめてて、うん、うん……。ねえエイダ、抱きしめてもいい?」
「え、は、はい」
抱き合うくらいであればと、エイダは静かにスティーブンに近寄っていった。この程度の触れ合いであれば、挨拶だ。いくら恥ずかしいといえども、断ることは失礼にあたる。しかし今のこの行為に、挨拶以外の何かがあることを理解した上で、エイダはスティーブンの腕の中に納まった。
「ごめん、求婚した時もそうだったけど、もう知られているとばかり思っていたから、言っていなかったみたいだ」
「……はい」
「言わなければ伝わらないなんて、当たり前のことだったね。これからはちゃんと言葉にしていくよ。エイダのことが好きで、愛おしくてたまらないって」
「う……」
「前から思ってたけどエイダは恥ずかしがり屋だよね。耳まで、いや首まで赤い……。可愛い、僕の婚約者が可愛い……」
「あの、スティーブン様。程々にしてくださらないと、わたくし、心臓がもちません」
今日は、感情のふり幅が大きくてもうエイダは疲れ切っていた。心臓は痛いくらいだったし、顔どころが全身が熱かった。けれど、スティーブンの手を振りほどこうとは思えない。この複雑で初めて経験する心情も、エイダをひどく困らせた。
「僕も、もたない……。はあ、どうして僕は子どもの頃、こんなに可愛い君を放っておけたんだろう。あの頃からちゃんと君がいいって僕が言ってさえいれば、もっとずっと一緒にいられたのに」
「……ふふ、いえ、そうかもしれませんが、違ったかもしれません。あの離宮で再会できたからこそ、今こうしていられるのではないかと、わたくしは思います」
「君がそう言うのなら、そうかも。ねえ、エイダ、勉強は順調?」
「ええ、遊学の経験が役立ちまして」
「辛いことはない?」
「……しいて言うのであれば、スティーブン様が休憩をとらないことでしょうか」
「気を付けます」
話題がそれたからか、少しずつエイダの緊張がほぐれていく。ついでにクリストフをはじめとする側近たちから、どうにかして欲しいと頼まれていたことを伝えておく。「婚約者なのだから、そこらへんも面倒見てほしい」とまで言われて困っていたのだ。
「そうしてください。……あの、よろしければの話なのですが、休憩の際に、たまにでいいので顔を見せて頂けたら、嬉しく思います」
「……それいいな。すぐに休憩したくなるかもしれない」
「休憩のし過ぎも駄目ですよ」
「うん、ああ、何だろう。何だか今すごく幸せだ。離宮に行く前は、もう全部どうでもいいって思ってたのになあ」
「スティーブン様……」
「あんな僕を救ってくれて、幸せをくれてありがとう、エイダ。……必ず、良い国王になると君に誓うよ」
「はい、微力ながらお手伝いさせて頂きます」
スティーブンが離宮に行くに至った絶望を、エイダは知らない。考えた所でそれは全て推測の域を出ない。けれどだからこそ、もう二度とあんな風にはさせないとエイダの方こそ誓いを立てた。
「君がいないと僕はすぐに駄目になるだろうから、ずっと健康で僕の傍にいて」
「それは、努力致しますがあの、スティーブン様、そろそろ離して頂いても……?」
「……」
「スティーブン様?」
「後、ちょっと……」
「……もう」
スティーブンはそのまま暫くエイダを抱き込んでいた。スティーブンが漸く理性を奮い立たせた時にはかなりの時間が経過していたが、エイダは笑ってそれを許してしまった。それがいけなかった。
スティーブンは許されれば許されるだけ踏み込んでいくので、歯止めがかかりづらく、そしてそのことにエイダが気づいた時にはもう手遅れだった。王太子夫妻が仲睦まじくいるのであればそれでいいと周りも止めてはくれなかったので、エイダは少しばかり苦労することになる。笑ってしまうくらいの幸せな苦労だったのが、救いだっただろう。
読んで頂き、ありがとうございました。
とりあえず、これにて完結とさせて頂きます。
王子編からこんなに時間がかかるとは作者も思ってみませんでした。
これからエイダは「ちょ、もう、いい加減にしてください!」と何度も叫ぶ羽目になるし、スティーブンはその度にしょぼくれてクリストフたちに小突かれる。中々に強かな所もあるスティーブンなので、そうやって萎れている姿をわざと見せることによってエイダの優しさにつけこんでいくんだ……。
親世代は大爆笑。彼らの世代は恋愛に関してはっちゃけていたので、おままごとかとお腹を抱えていたりします。唯一ちゃんと心配していたのは国王。「あいつは本当に大丈夫なのか」と過保護ぎみに。逆に王妃は「貴方の子なので大丈夫でしょう」と放任ぎみに。エイダが来てくれたので安心しちゃった。結局ちゃんとどうにかなって二人とも一安心。
スティーブンはそもそもワーカーホリック。仕事が好き。生きがいは仕事と言っちゃうタイプ。趣味は一応乗馬だし、馬も好きだけれど好きの度合いだと仕事の方がぎりぎり好き。そして他の趣味はない。音楽・舞台鑑賞とか絵画鑑賞とかは教養の部類としか捉えていない。お母さんの才能は一切継がなかった。
仕事が好きなのはそれはそれでいいのだけれど、彼の場合は責任が重すぎたのと父親が偉大過ぎた。人間どんなに好きなことでも十分な休息なく働くことはできないのです。その辺の管理は今後エイダの仕事になります。
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ここまで読んで頂き、ありがとうございました。