その13 生命術(Part. H)
「業深き実験の成れの果ての霊が、そこらの鼠にでも憑いて魔物化したんじゃろうか…?」
唇だけの魔物に近づくハーヴィー先生は、あごに手をやり、しげしげと観察する。
でも、どうも魔物はこっちを見ているようで、突然両手を挙げる。
「ひぃっ(°̀ᗝ°́)!?」「まてまて、そっちはダメじゃて。」
その体勢のまま私の方へ走りこもうとした矢先、唇の魔物はがっしり木の腕に頭を掴まれる。
やれやれとかぶりを振って術式を展開し、天地を貫く流れを具現化させる薬草術士。
白と黒と灰色の世界に、美しく輝く黄緑色の流れ。
その色は、ディアス先生が魔術を使う時に纏う光の色に似ていた。
「お前さんに己の存在を知ってほしかったんじゃろな。こういうものは、そんな相手に現れる。」
魔物の赤い唇は、ぽかんと空いて、初めて見る新しい色を見つめている。
と、先生の樹木の腕はその魔物を、無造作にポイっと投げこむ。
「もうこんなもんに縁するんじゃないよ。」
流れに落ちた魔物は体を溶かされ、溶かされ…なんと、可愛いらしい赤ちゃんの姿になった。
ハーヴィー先生の眼差しは優しく、赤ちゃんの顔は安らかだった。
赤ちゃんが姿を消せば、貝の頭の人もいなくなっていた。
「…以前ディアス先生が、こんな風な魔術を使っていました。」
「これに似た…ふむ、なるほどな。でも今は、“それらしく”振舞っておるのかね?」
以前先生がアンデッドを元に戻して、それを故郷に帰していた姿が蘇る。
頷けば、先生は、世知辛いのう、と呟く。
「ここは禁書架。普段表では言えない言葉も、この檻の中では許されよう。…この世界の生命術は、いつから死霊術などと呼ばれるようになってしまったのかのう。」
「…色々な都合でしょうか?」
「そうじゃな。きっと色々な都合があったのだな。傍から見た奇跡、不思議は、不気味そのものなのじゃろうな。」
さあ行こうかと微笑む先生の背中に駆け寄る。
禁書架に入っていきなりの厳しい洗礼に、心の中は不安でいっぱいだった。
その12 終
ひとこと事項
・生命術
現在、ジルオール界隈には消滅した魔術体系がいくつか存在すると言われている。その一つが生命術であり、古い文献によれば、王国がこの地を占領する前の民族が用いていた、生命力の活性化を目指した魔術であったらしい。
・薬草術と生命術の接点
様々な植物の効能を道具的、魔術的に引き出す薬草術の中には、大樹の持つ生命エネルギーの流れを具現化する治癒術の奥義が存在するらしい。その原理は今は存在しない生命術と共通する根を持っている可能性がという指摘がある。




