6/9 『ペヤング』
結局、昨日は2回もしてしまった。
まあなにがとは言ってないし、男と女でするときと違って女同士の場合はなにをもって1回とカウントするのか難しいところだし、そんなふうに考えていると「肌を重ねた日はトータルで3日。でもうち1日は2回重ねてるワケで……そうなると通算回数は3回なのか、それとも4回なのか」的な計算が私の頭のなかをグルグル駆け巡るのだけど、こうやって色々が不確かで境界という境界が曖昧になっていくなか、ひとつだけ確実に言えることがある。
今日、また1回追加された。
ちゃんちゃん。
なにがちゃんちゃん、なのかわからないけど。
「由奈、今日は何飲む? ジンジャーエール飲む?」
「ん、水でいい」
「おっけ。あ、なんか食べる?」
「あー、任せる」
冷蔵庫の前から聞いてきた愛梨に、私はまだ熱を帯びたままの声帯で答える。すると、愛梨は小さく「あいよっ」と言って、やかんに火をかけつつ、コップに水を注ぎ始めた。注ぐ、と言っても昨日みたくエビアンではなく、かと言って蛇口から直接とかでなく、スライスレモンを入れた細長いジュースボトルからだ。
愛梨はオシャレなので、部屋の小物のセンスがいい。私が今いるベッドも、きっとイケアとかで買った高くはない代物なのだけど、シーツやカバーでどことなく品の良さや高級感が出ている。ベッドサイドに置かれた観葉植物も、それとなくアジアンテイストな雰囲気を出してくれている。
テーブルは古いけどモノ自体は良さそうなやつで、床に敷かれたラグは古いレザーを再利用したハンドメイドの製品だ。ざっくりとした編み目がかわいく、部屋にリラックスした雰囲気を加えるのに貢献している。きっと、どっちもこの近くのお店で買ったものなのだろう。高円寺はそういう系のお店も結構あるから。
と、そんな感じで愛梨の部屋は、高円寺のワンルームアパートならではの古さを上手に活かしたコーディネートだった。高いモノを買っているワケではなく、むしろ中古がメインなのに、愛梨のセンスの良さですごく雰囲気のいい空間になっている。初めて来たとき、私は正直ちょっと「おっ……」となったくらいだった。
まあそれでも、愛梨に言わせると、築年数30年のこのアパートはここいらの似たような物権の中では、比較的新しい部類らしいんだけど。怖いな東京。
「はい、どうぞ」
そんなことを思っていると、すぐ側に愛梨が立っていた。スラッとした体躯の彼女は、ショートパンツにタンクトップ、そのうえに部屋用のチェックシャツという出で立ちだ。
そのチェックシャツも近所の古着屋で購入したモノで、クタッとした風合い、長めの丈が愛梨にはとてもよく似合っている。格好良いし、かわいい。
「ありがと」
愛梨からコップを受け取り、水を口に含む。レモンの爽やかな風味が口のなかに広がった。隣の愛梨は、今日もジンジャーエールだ。
(……やっぱ格好かわいい……)
スッと通った鼻筋に(黙っていると)涼しい目元。マッシュに近い髪型なので、前髪が程よく目にかかり、かわいい雰囲気もある。
と、そんな感じでどこか中性的で、格好かわいい愛梨にひとり見惚れていると、である。 愛梨がニヤッとした表情を浮かべて、
「そろそろかな」
そんなことを言って、軽い足取りでキッチンスペースへと戻っていった。くるぶしを持ち上げながら歩いており、なんというかウキウキが出ている感じ。四角いプラスチックの容器を傾けると、ベコッとシンクが音を立てるのが聞こえ、程なくして下から湯気が上がってくるのが見えた。
ここまで描写すればわかるだろう。愛梨はカップ焼きそばを作っていたのだ。
「おっまったっせっ!」
愛梨はテーブルのうえにそれを置く。これはあれだ。容器的にペヤングの普通サイズだ。普通と言っても女子ふたりが食べるには十分だけど。アレをしたあととは言え、一応食後ではあるワケだし。長引いたせいで、もう晩ごはんから4時間以上経ってるけど。
愛梨がふりかけとスパイスをかけ、お箸で混ぜていくと、香ばしいニオイがさらに鼻腔を刺激してくる。
「ん~、背徳的なこのニオイ。たまんないな」
「わかる。なんでか深夜に食べたくなるんだよね……」
「あ、由奈も食べたことあるんだ?」
「さすがにね」
「いいとこのお嬢だからペヤング童貞かと思ってたけど」
「ペヤング童貞ってなに……せめてその女の子版にして」
「ペヤン……子?」
そんなことを、真面目な顔で言ってくる。もちろん顔が真面目なだけで、いや顔が真地面な分、実際はふざけているだけなのがわかる。
「真面目に返した私がバカだった……いいとこのお嬢でもペヤングくらい食べるよ」
「お嬢ってのは否定しないんだ……ふふっ。由奈のこと新しく知れた」
「もー、我慢できないから食べちゃうね?」
「おっ、ごめんごめん」
そんなことを言いながら、私はペヤングに箸を伸ばした。程よい量を口のなかに放り込むと、ペヤング特有のジャンキーで即物的な、だからこそ深夜にはたまらない風味が広がる……と思ったら。
「愛梨、これなんかちょっと違う……?」
「ふふっ、さすが由奈。じつは一工夫加えてあるんだ」
「一工夫……醤油?」
「正解」
そう言うと、愛梨は自慢げに視線を流し台のほうへと向ける。そこには醤油の鎌田の出汁醤油の紙パックがドドンと鎮座していた。
「お湯入れる前にさ、ちょびーっとだけ入れとくの」
「へー」
「そしたら醤油の風味が出んだよね」
「あ、でもたしかに出てる」
「お好み焼きのソースも美味しいよ。なんかフルーツ入ってるでしょあれ」
「酸味とか出そう。ライフハックー」
そんなふうに話しつつ、私たちは一個のペヤングを両端からつついていく。ゆえにペヤングは両端から減っていき、中心部だけがこんもりしていく感じだ。べつにはかり合わせたワケじゃないけど、なんとなくそういう感じになっている。
「あーし、カップ焼きそばだとペニャングが一番しゅきだな」
「口の中いっぱいすぎて全然喋れてないよ」
「由奈はどれが好き?」
モグモグ咀嚼し、ゴクンと飲み込んだのち、愛梨が首をかしげる。
「どれ? んー、でもペヤングとUFOと一平ちゃんと俺の塩とマルちゃんとモッチッチくらいしか知らないしな」
「ハタチの女の子がそんだけ知ってたら十分だよ……」
愛梨がジト目で返す。
「でも味は大差なくない? 塩かソースかってくらいで」
「いやー、それがそう思うじゃん? じつは結構違いあるんだよね。たとえば油揚げ麺かノンフライ麵か」
「ドン・フライ麵??」
「なにその聞き間違い……重そうな麺だな。カロリー高山?」
「ごめんそのギャグわかんない」
「プロレス詳しくないのか……奇跡的な聞き間違いだな?」
愛梨はちょっとがっかりした感じだった。バンドとかプロレスとか野球とか、この子は結構男の子っぽい趣味をしている。まあ、その辺の話はおいおい。
「で、なにフライ麺なの?」
「ああ、ノンフライ麺、ね」
「ノンフライ麺」
「要するに油で揚げてないですよってこと」
「ふむ。深く考えたことなかったけどたしかにそうだ」
私がうなずくと、愛梨がどこかお姉さんっぽい表情で続ける。
「あれって熱風で時間かけて乾燥させてるらしいよ。だから油揚げ麺が1分とか2分で仕上がるのにノンフライは30分くらいかかるらしい」
「なるほど。手間暇かかってんだね」
「30分だし、機械だけどね。揚げてないからカロリーも違くて、ノンフライ麵のカップ焼きそばのが100キロカロリーくらいは低いんだって。だからダイエット中のあたしはもっぱらこっち」
「ダイエットする必要どこにあるのってのはさておき、そもそもダイエット中なら食べないでおきなよ」
「うむ。たしかに」
愛梨がもっともらしい表情で、神妙にうなずいた。
「この山どうする?」
そして、私は視線で示す。その先にあるのは、カップ麵の真ん中に残った焼きそばの山だ。両端から食べ進めた結果、真ん中にだけキレイに残ってしまったのだ。と同時に、カップには麵に絡みきらなかったキャベツの残骸が張り付いていた。
すると愛梨がピシッと手を上げる。
「はい、落合由奈さん」
「なんでしょう、馬場愛梨さん」
「あたしにひとつ案があります」
「どんな案ですか」
「今日は満月です。ってことでひとつ追いマヨネーズしません?」
「……ん?」
「そーなるよね。まー、そこは論より証拠ってことで!」
そう言うと、愛梨は立ち上がり、トタタと冷蔵庫へと駆けていった。
そしてトータル10秒もかからず、マヨネーズを取ってくる。
「これをね……こうするの」
「なんと……」
私が驚いたのは自然なことだった。だって愛梨は、最後に残った丸い焼きそばの山に、これでもかとばかりにマヨネーズを乗せていったのだから。焼きそばはすっかり見えなくなり、マヨネーズの黄色が、暗がりのなかで光っているかのように思えた。
「ここに来て……まさか、ここまで猛烈な追いマヨネーズがくるとは……」
「まるでドン・フライと高山のノーガードマッチのようなヘビーさでしょ」
「だから私プロレスわかんないんだって」
「やっぱ最後はガツンとねってこと」
「ガツンとって、さすがに限度があるでしょ。だってこれ、焼きそばにマヨネーズかけたってより、マヨネーズに焼きそばが絡まってるって感じだよ、もはや」
「否めない。でもさ、これが美味しいんだから」
「それは……それも、否めない、かな」
「でしょ?」
愛梨が悪く微笑んだことで、薄くて形のいい唇が横に広がっていた。ダイエット中とか言ったのはどこの口かと思ったけど、私の中では正直、とっくの昔に諦めがついていた。
「じゃあ食べよっか」
「うん」
そして、私たちはペヤングの残りを食べ始めた。月のような、丸くて黄色い、マヨネーズに埋もれたペヤングを。
ふと窓の外を見ると、目の前の焼きそばと同じようにまん丸な月が浮かんでいた。外はとても静かで、すぐそこにある純情商店街の人通りが減ったことがわかる。
そして、人の声だけでなく、車の音も聞こえてこない。それなりに近い場所に早稲田通りがあるせいか、ここに来た数時間前には結構な交通量を感じさせる音だったから、図らずもギャップを感じてしまう。
でも無理もない。もう夜は遅いのだ。
聞こえるのは、窓から吹き込む夜風の音と、隣にいる愛梨の、嬉しそうな咀嚼音だけ。
世界が眠ったかに思える午前2時。お喋りしすぎて、少し冷たくなった月の残りを、私はぱくっと飲み込んだ。
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