神との交渉
ギードは身体の中から泉の神が逃走するのを阻害する。
「ルンには外から抑えてもらいたい」
大事な仕事だというと、ルンは興奮した赤い顔のままで「がんばります」と、白い柔らかそうな手を握りしめた。
さあ、交渉を始めよう。
ギードが荷物から取り出した正装に袖を通す。
「し、失礼します!」
ルンは自分に気合を入れるためなのか、珍しく大きく声をかけてギードの腹のあたりに抱きつく。
正装を着たギードはその姿が一変する。身長も普段より頭一つ分以上高くなっている。
「おわっ。な、なんだ」
姿を変えたギードに、泉の神が降りる。
ルンがぎゅうっと抱きついているのを見て驚いている。
「ル、ルン?」
しかしまんざらでもなさそうだ。かわいらしい精霊に抱きつかれ、何となくうれしそうな気配がする。
ギードは身体の中からほくそ笑む。
『泉の神』の気配に釣られ、神殿の奥から『湖の神』が光の玉となって姿を現す。
とたんにギードの顔が嫌そうに歪む。もちろん中身は泉の神である。
ギードには理解出来ない光の点滅が始まる。
これは神同士の対話らしいので、通訳をお願いする。
(何を言えばいいのだ?)
若干いらいらした声で泉の神に問われたギードは答える。
(海に船を出して交易がしたいのです。安全に航海するために『海の神』を紹介していただきたい、と)
ギードは『泉に宿りし神』と、そして『王国を守護する湖の神』に出会った。
二柱いるということは、おそらく、他にも何柱かの神が存在するはずだと思った。
(商国の石材を、旧連合国の港町から王国側の港へ運べないかと思いまして)
ドラゴンの領域はこの大陸の中心部にあるという。
そこは周囲を険しい山々に囲まれており、その南に王国、北にギードのいる商国がある。
現在、交易には馬車隊が使われいるが、王国へ行くには山脈を遠く迂回するため片道一、二ヶ月ほどかかる。
商国が現在扱っている商品の多くは農作物と家畜だ。
日持ちしないため、ギードは主に旧連合国の首都の町と、その周辺の小さな国とだけ交易を行っている。
王国の商人たちは、移動魔法陣で国境近くの町まで来て、そこから駅馬車を使い商談にやって来ていた。
一度にたくさん住人が増えたので、未だ商国には足りない物がたくさんある。
他国から見れば商機なのだ。
しかし石材となれば重く、大量に運ばなければならない。
交易を町の移動魔法陣で行うには、料金が馬鹿にならないほど高い。
まして、旧連合国側の町は魔力が乏しく、その土地から魔力を吸い上げて使う移動魔法陣は使えないのだ。
そのため、船を利用することを思い付いた。
ギードがいたエルフの森では、成人の儀のエルフたちはまず船で始まりの町へ出て行くのである。
始まりの町には港があった。
そして、商国から十日ほどの距離の首都の町には漁港があった。
始まりの町の港へ船で荷物を運ぶことが出来れば、最終的にそこから王都へ荷物を運べるようになるだろう。
何にしても、航海が安全でなければ意味がない。
(お前が魔法で運べばいいだろうが)
泉の神が不貞腐れている。
(いえいえ、毎回そんなことをしていたら商売になりませんよ)
いくら魔力が無尽蔵なギードでも、そんな荷物運びをしている時間は無い。
まあ、闘技場に関してはさっさと終わらせる必要があるので、少しなら運んでもいいかな、とは思っているが。
(とにかく、海の神さまっているんでしょうか?)
まずそこから確認する。
(ああ、いる)
泉の神も知ってはいるようだが、この引きこもりが紹介してくれるとは思えない。
(湖の神さまはご紹介してくださるので?)
(………)
ぎゅうううう。
ギードの身体が少しでも動こうとすると、ルンががしっと腕に力を込める。
いつの間にか、ギードの体力が限界に達しそうになっていた。
理解出来ない神々のやり取りは、ハイエルフであるギードであっても、肉体的にも精神的にも負担がかかるのだ。
「少し離してくれ。逃げるようなことはしない」
ギードの体調に気がついた泉の神が、ルンに声をかける。
「いえ、神さまとはいえ、我が主であるギードさまのご承諾がなければー」
ルンは一途な性格をしている。一度決めたら引かない。
「いや、このままだとギードが危ない」
「えっ」
ルンの支えがなくなった途端にギードの身体が崩れ落ちた。
神殿の奥に運び込まれ、ルンの癒しの魔法を施された。
「危なかったー」
そんなギードの中身である神にルンはひたすら謝っている。
「本当に申し訳ありません」
ルンは主の様子に気づけなかった自分が情けなくて項垂れていた。
「いや、悪いのはあの湖の神だから」
話が長引いたせいでギードの体調が悪くなったのだと言う。
「さっさと答えてくれればよかったんだ」
毒づく泉の神の言葉に、
「それは大変申し訳ないことをした」
やさしげな女性の声で答えが返ってきた。
透明な人族の女性の姿をしたものが立っていた。
その荘厳な佇まいに思わずルンが膝を折り、頭を下げる。
それは『湖の神』の化身だった。
何とか交渉に成功したようで、『海の大神』への紹介を受けることが出来た。
「会う、会わないはわたくしでは決められません。あとはそちらで」
「はい。ありがとうございます」
『湖の神』と、通訳してくれた『泉の神』にも感謝する。
(さすが、引きこもりでも神さまだ)
だがそれはこの三年の間に『黒いハイエルフ』の中で経験を積んできた結果であった。