第十八話:別れ
この話は辛いですが、あと2話でエピローグです。どうか最後までご覧ください。
風が凪ぎ、海がどよめく。
荒れる波は思った以上に煩く、静まり返ったこの場で唯一音を掻き鳴らすのだった。
神楽がその一言を放ってから、10秒が経っただろう。俺の事を、"お兄ちゃん"と呼んだ。死んだ妹の呼び方と同じで、綾の出した問題の答えは、俺の想像と同じらしい。
彼女、【神楽の磯女】は砂賀浦神楽なのだと。
「……私は、正体がバレちゃいけなかった。だからお兄ちゃんに正体を隠してた……それは、本当に……ごめんなさい……」
謝罪する彼女の声は震え、目流れる涙は止めどなく、美しい少女の顔は台無しになっていた。
「でも、私はね……少ない日数だったけど、地上に戻って、家族と話せて、凄く楽しかった……。ありがとう、お兄ちゃん、綾ちゃん……」
涙で破顔しつつも、精一杯笑って彼女はその言葉を紡いだ。それは紛れもなく別れの言葉で、なんでそんな事を口にするのか、わからなかった。
「……"神楽"、だったんだな」
「うん。大きくなったでしょ?」
「あぁ……。本当に、大きく……」
本来なら絶対見れないだろう神楽の成長した姿が目の前にあるんだとわかる。7年前掻き消えた命が、すぐ目の前に、時を超えて現れたんだ。
言い表せない想いが胸を渦巻き、言葉に表すことができない。嬉しい気持ちが大半を占めているけれど、戸惑いの気持ちも大きかった。今まで、正体を明かす機会はいくらでもあった。なのに神楽も綾も、知ってて教えてくれないんだから。
それは何故――?
「……デメリットのないことはできない。それをわかってたんだよね、綾ちゃん……」
「…………」
神楽は、俺から綾へと視線を移す。腕を組んだ長髪の少女は、いつも通りの声調で滔々と答えた。
「ええ。明かそうと思えばいつでも正体を明かせるのに、言わないのに理由があるのはわかっていた……。海の魔女との約束、なんでしょう? 人魚姫は陸に上がる事の対価に一歩一歩が激痛を伴う対価があった。しかも、上手くいかなかったら泡にまでなってしまう。貴女は海の妖怪だけれど、陸に上がることもできる。一説では姿も自由に変えられる。だから、貴女は声の交換による対価はなんなのかを考えた」
説明する彼女は目を伏せ、悠長に説明していた。
鋭い考察の果てに得た結論を、彼女は唇に乗せる。
「貴女は――家族に正体がバレたら、死んでしまうのね」
いつもの声色で紡がれた一言は、急速に俺の頭を支配していった。
正体がバレたら死ぬ。そんな事って――
「……凄いね、綾ちゃんは。なんでもわかるんだもん」
他ならぬ本人の言葉により、俺の疑念は叩き切られた。死ぬ事を覚悟して俺達に会いに来ていた、家族なのに――再会して、他人として振舞わなきゃいけなかったなんて、どんなに苦しい事だっただろう。
家族なのに、家族じゃない関係。
俺達家族に会うために戻って来てくれたのに――正体がバレて、ここでお別れなのか――?
「そしたら、綾ちゃん……なんで私が妖力を落としてるのか、わかるよね?」
「……。言っていいの? 彼、もう限界よ?」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは、強いもんね?」
いたずらっぽい笑みで確認してくる神楽。しかし、俺の精神はズタズタで、頷く気力もない。
小学一年生という幼さで死んだ彼女は、家族の事を大切に思って、もう一度会いに来てくれたのに……俺はあの頃と同じで、神楽を救うこともできず、ただ過ぎ去るのを待つしかないのか――。
返事もせず俯く俺に意に反して、綾はいつもより少し弱った声で、神楽の問いに答えた。
「神楽ちゃんが妖力を落として、人間にほど近い理由――それは、海坊主に殺される為よ。今年はまだ死者が出ていない。それは貴女が言いつけて殺さないようにしたのでしょう。自分が死ねば、今年の死者は出ないのだから」
その言葉の意味はつまり、どうせ死ぬのなら犠牲者を減らすという、ようは自己犠牲だった。その意味を理解した刹那、俺は神楽に向かって言い放つ。
「ふざけんなよ――そんなの、お前は全然幸せじゃねぇだろうが! 折角再会して……なんで、自分を蔑ろにするような事を……!」
感情が溢れ出し、俺は立っていられなくなった。砂浜に膝をつけ、絶望に打ちひしがれる。
妹が、2度も殺されてしまう。そんな許しがたい事、すぐにでも止めたいのに、俺に止める術はない。
神楽を止めれば、次はタンザナイト号の手形だけでは済まないだろう。海には人が来ないのだから、船が捕まるしかない。俺か綾が身を投じたところで、そんな事でこれから死ぬ神楽が喜ばないのもわかっている。
耐えるしかないのだろうか。神楽がもう一度死ぬ事を。俺は兄貴なのに、無力である事を受け入れるしかないのだろうか――?
「……お兄ちゃん」
ゆっくりと上から、神楽の体が俺を包み込む。覆い被さるように俺を抱きしめながら、神楽は優しい声で囁いた。
「大丈夫だよ。私は十分幸せだから……。お兄ちゃんとお母さんに、もう一度会えた。2人とも、全然変わってなかったね。お母さんはガサツだし、お兄ちゃんはビビリだけど、人に優しい……。お父さんはわからないけれど、みんな私の大切な家族だよ」
諭すように言い聞かせる彼女だが、その声の暖かさから本心なのが伝わってくる。そんなに暖かい気持ちを伝えてくるから、余計悔しくなるんだ。死んで欲しくないって気持ちが、強くなるから。
フッとその抱擁も解かれ、彼女は立ち上がる。2歩、3歩と後ろに下がりながら足跡を作り、海へと向かって俺達から離れていく。
「――時間がないの。もう、お別れだね……」
にこやかに笑いながら別れを告げる。でも俺はまだ、何もできてない――。
「嫌だ、神楽……!」
「……。じゃあね、どうか、お兄ちゃん。幸せに暮らして――」
神楽は俺に背を向け、ゆっくりと海の中へ入っていった。彼女の後ろ姿は眩しく、流れる黒髪は光り、左手首につけられたマザーオブパールのブレスレットも、その輝きを一層増していた。
ザブザブと白い足で海を歩いていく。前に来た時は海の上を歩いていたのに、今は海の中へ入っていってる。人間に限りなく近くして、海坊主に妖怪だと悟らせないためなんだろう。あのまま進んで行けば、すぐにその姿は頭のてっぺんまで水に隠れてしまうだろう。
――なら教えてあげるけど、磯女は泳げないらしいわ――
「…………」
泳げない癖に、海の中へ入っていった家族を見送ることしかできず、俺は砂を握りしめた。
どうあっても彼女は助からないんだろう。でも、こんな終わり方で別れてしまうのが――どうしようもなく、悔しかったんだ――。
やがて海に入った妹の姿が消えると、俺は再び俯いて、憎いほど白い砂浜に涙を零した。神楽は幸せだと言った。だから俺も、もう一度再会できたことに喜ばなきゃいけないけど――俺は神楽を怖がり、あしらったり、妹として接してやることができなかった。
もっと大切にしてやれたはずなのに……こんな終幕、後悔しか残らないじゃないか……。
「……。じゃあ、ボクは帰るよ」
波がさざめく中、智衣さんは暗い声でそう言った。でも俺の耳には全く入ってこなくて、ただただ呆然とするのだった。
「……公平くん」
綾が俺の肩に手を置く。しかし、顔を上げることはできなかった。悄然とし、もはや何も考えられなかったから。
それでも綾は俺の顔を無理やり動かし、彼女の瞳を覗かされる。
「貴方に、見せたいものがあるの。ついて来て――」
一応補足ですが、"泳げないらしいわ"のくだりは7話にあります。




