1度目の人生、終了
「いやぁぁあぁあぁ……!!」
ある初夏の夜、平凡な家に少女の悲鳴が響く。
暫くして、その悲鳴を異常と捉えた近所の人からの通報に駆け付けた警官達の目に映ったものは---
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「疲れたぁ……」
「お疲れ、舞彩」
「ありがとう、お兄ちゃん」
よっこらせ、と高校生の女子とは思えない言葉とともにソファーに沈んだ舞彩。ジュースを渡そうとして……横になったまま受けとろうとする様子に座るように促し、ヨレッとしているがしっかり座ったのを確認して渡す。
俺は同じような体勢で飲もうとして見事にひっくり返したことがあるしね。カルピスだったからベタベタして拭くのが大変だったなぁ……。
「学校、大丈夫だった?」
「お兄ちゃんがいないからつまんない」
「そりゃどうしようもないわ」
質問に対する答えとしてずれた回答に、思わず溜め息が出た。
「……ねぇ」
「んー?」
カフェオレが入ったカップを持って隣に座った俺に、舞彩が遠慮がちに話しかけてきた。
「……いつ謹慎とけるの?」
「さぁ?」
遠慮しておきながら核心を突く質問に、苦笑いする。
「お兄ちゃんは悪くないのに……」
「……」
俺以上に悔しそうな舞彩に、俺は何も言えない。ただ肩を引き寄せて、頭を撫でることしか出来なかった。深呼吸をして言葉を必死に探している舞彩を、ジッと見ながら次の言葉を待つ。
「お兄ちゃんは悔しくないの?」
「別に?」
「っ何で!?」
バッと俺から離れて泣きそうな顔をする舞彩に、あら離れちゃった、と思いながらも、俺の事を自分の事のように悲しそうにしている舞彩に対してこれは無かったか、と反省する。
でも……。
『お前サイテーだな。皆が必死になってやってるのに……嘘つきが』
『成績が良いから君の素行も許してたけど……これじゃねぇ。分かる?嘘つき君』
「でも、俺は悔しくないよ。あんな嘘に乗せられる奴等は所詮はそれまでだった、ってことっしょ?」
「だけど……」
まだ納得してなさそうな舞彩。心配性というか何というか。
「気にすんな、とは言わないよ。何せ、せっかく舞彩が俺のために怒ってくれてんのに。勿体無い」
「勿体無い、って」
途端に呆れた、とでも言いたそうな表情になることさえ可愛いと思う。本当に勿体無い。その豊かな表情で、感情で、あいつ等なんかを怒るなんて。
「笑ってるのが1番可愛いのに……って何の漫画のセリフよ」
「え?」
「いや?何でもない」
ボソリと言った声が聞き取れなかったのか、聞き返された。面と向かって言う度胸なんて俺には無いので、ヘラリと笑って会話を流す。舞彩なら今の言葉を聞いても茶化したりせず、照れたように笑うだろうけど……俺が無理だし!そんな事を面と向かって言った日には顔から火が出るよ!
「まぁでも本当そんなに怒んないでよ。逆に言えば、こんなに小さな事で別れたお陰で、アレがとんな奴だったか分かったわけで……人間関係の断捨離が出来たと思えば儲けもんじゃね?」
そう言った瞬間、舞彩の表情が変わった。えっ、と思うより先に舞彩が勢いよく立ち上がる。その拍子にソファが大きく揺れ、俺は倒れそうになるのを踏ん張った。
そんな俺を尻目に舞彩は、ギュッと拳を握りしめて胸元に上げ、足を肩幅に開き、カッと目を見開いて眉を吊り上げた。……ソファの上で。
「そうだね。そうだよっ!」
「あ、あのぉ……舞彩さん?」
声をかけても、何処かを見ているようで見ていない目をして何かをブツブツ呟くだけで、反応が返ってこない。小さすぎて何を言ってんのか聞こえないし。
「……駄目だこりゃ」
声をかけるのを早々に諦めてソファに座り、机の上に置いてあった雑誌を開く。
ソファーの上に立ってブツブツと何かを呟いている少女と、その横で雑誌を読む俺。
「ふはっ……」
やべ。他の人が見たらどう思うか想像したら笑えてきた。なかなか笑いが収まらない。ニヤニヤと、これまた第三者が見たら引くだろう表情で雑誌を読み進めていった。
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舞彩の意識がこっちに戻ってきたのは、それから数時間経ってからの事だった。外は暗くなり、家の中には俺の作るカレーの匂いが充満する。カレーは俺の得意料理のうちの1つだ。
「あ。お帰りー」
「……ただいま?」
不思議そうに首を傾げて窓から外を見る舞彩に、また笑いそうになる。
「ほら、ご飯できるから準備して」
「うん?」
状況が理解できてないながらも言われた通りにスプーンを用意して、ご飯を入れたお皿を持ってくる舞彩。
「お兄ちゃん」
「んー?」
「お母さんは?」
舞彩の質問に、カレーを混ぜる手が止まりそうになる。何事も無かったかのように再び混ぜはじめて、声音が変わらないように気を付けながら口を開く。
「……さっき連絡あって、もう少しで帰るって」
「そっか」
明らかに声のトーンが沈んだ。俺が何か言わなくても舞彩も分かってるんだ。あの人が何故わざわざ連絡してきたのか。
不安そうな舞彩を安心させるようにニッと笑って、お皿貸して、と言う。僅かに不満気ながらも素直に従う舞彩。
「ほい」
「ありがと」
ご飯に対してルーは多め。決まった入れ方をして、お皿を舞彩に返す。俺のも入れて席に着くと、舞彩が律儀に待っていた。
「「いただきます」」
何気無い会話をしながら食べていると、玄関の方から鍵を開ける音がして、場の空気が張りつめる。
(母さんが帰ってきたね)
(今日はお母さんだけ?)
(いやぁ……まさかそんな訳……)
((お母さんに限って、ねぇ))
と、小声で会話をしながらそっと耳を澄ませる。
「……たぁだいまぁ!」
「「……」」
「お邪魔しまーす!」
「どーぞどーぞ!」
俺達の予想通り。母さんの声に続いて知らない男の声が聞こえて、無言で視線を合わす。当たったことを喜んでいいのか、子供がいるのに平気で俺たちが知らない男を家に上げる母さんを怒れば良いのか。でも怒ろうにも、いつもの事すぎて、何をどう怒ればいいかわからない。舞彩の表情は複雑そうだった。俺も同じ表情をしてるだろう。
「お子さん、いるんですよね?」
「うん。いるいる!さっき連絡したら今から食事って言ってたしねー。咲哉が作ったんだろーね。私ももーらお……っと」
「おっと。危ないですよ」
「ごめんごめん。あんたも食べさせてもらったら?咲哉の料理は絶品よ」
「まじっすか。咲哉君が良い、って言ったら食べさせて貰おうかなぁ」
耳を澄ませるまでもなく。大声で交わされる会話はこっちまで筒抜けで、溜め息をついて立ち上がった。カレーを温め直していると、同じように立ち上がった舞彩がご飯を入れたお皿を2つ持ってくる。
覚束ない足音と、ときどき転びそうになる音が徐々に近づく。
ガラッと横開きのドアが開く音と共に、くぐもっていた声が鮮明になる。カウンター式のキッチンのため、酔っ払った赤ら顔で知らない男性に寄っ掛かる母さんがしっかり見えた。知らず溜め息が出る。
「たぁいまぁ。この匂いカレー?」
「お帰り……そう、カレー」
「こんばんは。舞彩ちゃん、咲哉君」
「こんばんはー。今カレーつぐんで、ちょっと待って下さいね」
お皿を持って俺の隣に立ったまま、一言も喋らない舞彩の代わりに俺が話す。素晴らしい。拍手を送りたくなるほどの無表情&無視っぷりだ。
「咲哉君。舞彩ちゃん、人見知りなのかな?」
「そうなんですよ、慣れたらよく喋るんですけどねー。初対面だとちょっと……」
最後は少し皮肉っぽくなってしまった。酔ってるくせに傷付いた表情をする母さんに、正体不明のモヤモヤが心に広がる。
「えっと……席に座ってて良いですよ」
「あ、あぁ、じゃあ遠慮なく」
ボーッと突っ立っていた男に、俺の隣の席を視線で示しながら言うと、少し戸惑いながらも席に着いた。
「母さんも」
「え……」
「もう出来るから、席に座っといて良いよ」
「……え、ええ」
宣言通り、すぐに出来たカレーを二人の前に出す。
「どうぞ」
「うわぁ……美味しそうだなぁ!ありがとう!」
「ありがとう。いただきます」
食事を中断していた俺達も席について、4人で食べる。何も話題がなく、先程までとはうってかわって静かに食べ終え、母さん達は部屋に入っていった。気まずい空気が消え、ほっと息をつく。
先に舞彩をお風呂に入れ、使った食器を片付ける。ふと、母さんとあの男の事を考えてしまった。
『ありがとう!』
そう言った男の顔を思い出すと鳥肌が立った。
何故か、あの男は好きになれそうにない。……いや、別に好きにならないといけないわけじゃないけどね。
「気持ち悪ぃ」
母さんも、前はあんなんじゃなかったのに。今とは全然違う昔の母さんを思い出す。
本当、正反対だ。
クスリと笑ってみるが、それと一緒に色々なことが頭に浮かんでは消えていく。
「お兄ちゃん?」
「……!」
少しのつもりが、すっかり考え込んでしまっていた。舞彩の声で意識を取り戻すと、中途半端に止まっていた洗いかけの食器が目につく。
「どしたの?」
「いや。お風呂から出てきたら、お兄ちゃんが珍しくボーッとしてたから」
「あぁ……心配かけてごめんね」
「……ううん」
無言で洗い物を終わらせ、ホットミルクを作る。ソファーに座ってる舞彩に渡して、俺もお風呂に入ることにした。
脱衣所に行くには、必ず母さんの部屋の前を通らないといけない。
「はぁ……」
意図せず溜め息が出たが、部屋の近くまで来たときに違和感を感じた。
防音仕様でも何でも無いこの部屋からは、扉を閉めきっていても室内の音が少しは聞こえる。扉が少しでも開いていれば尚更。普段はこの時間のそれが嫌だし、今もそれが憂鬱だった。
てか最悪!今日に限って扉少し開いてるし……!
覚悟を決めて駆け足で通ろうとしたけど、何も聞こえない。布が擦れる音はもとより、会話の声すら漏れてこない。
そんな時もあるか、母さんがあの調子だったから酔い潰れて寝てるのかも、と気にしないことにしてお風呂に入ってもやっぱり気になる。帰りにも何の音も聞こえなかったら声をかけてみよう、と密かに決め、パジャマに着終えた時だった。
「いやぁぁあぁあぁ!」
「な……っ」
空気を切り裂くような悲鳴に、ただ事じゃない、と脱衣所を出ると、母さんの部屋に誰かの足が引っ込んだところだった。
いや。誰かの、じゃない。あのパジャマは舞彩の物だ……!
「舞彩っ!!」
閉まりそうな扉をすんでのところで掴む。
「……っ」
強い力で閉めようとするそれを無理矢理こじ開けて、体をねじ込む。と、すぐ目の前にいたのは、舞彩の髪の毛を鷲掴みして驚いた表情でこちらを見る、あの男だった。
「おまっ……」
口を開いたとき、男の後ろの光景が目に入って絶句する。
「なんで……」
色々な疑問が吹き出てきてそれしか言えない。背中に冷や汗が伝う感じが気持ち悪ぃ。
なんで母さんがベッドに横たわってんの?
なんで目に光がねぇの?
なんで口の端から血が流れ出てんの?
なんで何も言わねぇの?
なんで……お腹から何かの臓器が出てんの?
なんでなんでなんでなんで……なんで?
「なんで……?可笑しな事を聞くね、君も。頭は良いって聞いてたんだけど……所詮は親の欲目かな?死んでるんだよ。分からない?」
本当に可笑しそうに言う男を睨み付ける。
「良いねぇ、その反抗的な目。……あぁ……時間に余裕があれば、苦しめて、苦しめて、その目を恐怖で染めてあげるのに!」
そんなことより、さっきから一言も……苦痛の声すら漏らさない舞彩が気になる。男の変な言葉と嫌な予感を無視して尋ねた。
「……舞彩は?」
「あぁ舞彩ちゃん?」
心底どうでもよさそうに、ほら、と投げ渡された舞彩を見て固まる。
「舞彩……?」
反応がない。当然だ。
「悲鳴がうるさかったから口を裂かせて黙らしたけど……。まぁ……せめてもの慈悲として、何も見ないで済むように目をくりぬいてあげたんだよ。でもね、あっという間に死んじゃった。ははっ、脆いね」
「なっ……!」
首を竦めて「おもしろくないなぁ……」と、大して気にしている様子もなく呟く男に戦慄する。てかさ……それだけのことを俺が脱衣所から出てくるあの一瞬でしたっての?
信じたくないけど、実際に男の言う通り、口が裂かれてる。耳の横まで、しっかりと。さらに舞彩の目は無く、ただポッカリと穴が開いてるだけで……俺の大好きなあの目は?
じっと俺を見つめるあの大きな目は?
「……っ」
息が苦しくなって、涙が頬を伝う。……喉の奥が熱い…。
ボロボロと流れるそれをそのままに、舞彩の瞼をそっと閉じて黙祷をした。
「君は良いね、静かだ。時間が無いのが本当に惜しいよ……。時間があれば、そのムカツク態度を屈服させることができたのに!」
そう言いながら、ゆっくりと近づいてくる男を再び睨み付ける。そんな俺を見て、口元に歪んだ笑みを乗せて男は嗤った。
……さっき、どうしても好きになれそうにないって感じた理由がやっと分かった。なんとなく、なんとなく直感で感じたんだ。この本性を。
頭の中はクルクルと色んな事を考えるのに、手足が痺れたように固まって動けない。カタカタと震える自分の体に小さく舌打ちする。
……少し…いや、かなり後悔していた。こんなことなら、どうして何か武術を習ってなかったんだろ。まぁ、それで俺だけ生き残っても嬉しくも何とも無いけど。でも、舞彩のため…あるいは大切な家族を殺された俺自身のために一矢報いることは出来たかもしれなかったのに。
後悔の念が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。どんなに悔やんでも仕方ないのに……。
もはや意地で、視線だけは逸らさない。その視線を受けて男はさらに歓喜に顔を歪める。そのうちに、ついに目の前まで来た。
「バイバイ」
楽しそうに言ったその笑顔が最後だった。視界は真っ暗になり、全身に激痛がはしる。何されたんだろう……。頭の隅でそんなことを考えても、俺には二度とわからない。
ただ、最後に見た笑顔が舞彩じゃなくて自分を殺す男のものだったのが、ひたすらに悔しかった。
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
ウゥーーー
夜、町中にサイレンが響き渡る。とある家の前に止まったパトカーから降りてきた男達は、家の中の一室に入って絶句した。
「な……何なんだ、これは……」
中年の警官が茫然と呟く。
その目には、ベッドの上で女性が臓器を引きずり出され、床の上にはその子供と思われる男女が重なりあうように倒れている光景が映っていた。
少女の方は、口が裂け、目から大量に血が流れていたが、不思議なことに目は閉じられていた。少年は、刃物か何かで全身がズタズタに切り裂かれ、首が裂かれている。挙げ句には目が横一文字に裂かれていた。だが、何故か苦しそうな表情ではない。
「これは……何があったんでしょうか……」
その無惨さに静まり返った現場に1人の若い男の声が響くが、その言葉は誰にも拾われることなく消えた。