一人の少女のさがしもの
昔々、ある国のある村で一人の子どもが、平凡な家に生まれました。
生まれた子どもは女の子で、家族はとても喜びました。しかし、それはすぐに悲しみに取って代わりました。
まだ生まれたばかりの女の子はある病を持っていたのです。
それは必ず死に至る病気、不治の病というものでした。
家族は嘆き悲しみました。
だからこそたくさんの愛情を込めて、女の子を育てました。
女の子はすくすくと育ちました。まるで病など元からないように。
しかし、病は女の子の身体にしっかりと根を張り続けました。
だからこそ、家族は女の子が望むものをなんでも与えました。
早く死んでしまうことが決まってしまっている女の子を愛していたからです。
しかし、女の子はそんな自分と他の子を比べて、自分がなぜこんなほしいものが与えられるのか不思議でした。
他の子は叱られたり、怒られたりするのに、なぜ自分だけ褒められ、与えられるのか。
不思議に思った女の子は、家族の会話をたまたま耳にしてしまいます。
自分の病のことを。
その病を治せないことを。
自分は皆より早く死んでしまうことを。
月日が過ぎ、女の子は大きくなりました。
背も手も足も伸び、女の子というよりは少女という歳になりました。
少女は自分の病に気付いてから様々なことがありました。
わがままを言ったり、暴れました。
物を壊したり、泣きわめいたりもしました。
しかし、ある日を境に少女はそんなことをしなくなりました。
変わりに物怖じせず、自分の思ったことを主張する、明るく図太い少女になりました。
少女は投げやりになったわけでも、諦めたわけでもありません。
ただ、とても当たり前のことに気付いたのです。
誰でも必ず死んでしまうことを。
時間には限りがあることを。
自分はただそれが分かりやすく区切られているだけだということを。
そう考えた少女にとって、後は簡単なことでした。
少女は後悔しないように生きることにしました。
したいようにする。自分のやりたいように生きる。
ただ、そのための苦労は自分で背負うこと。
誰かにそれを背負わせるのはずるいことだ、と少女は思ったのです。
その苦労を背負ってこそ、生きていくことなのだと。
そんな開き直ったともいえる少女が日々を暮らして、何年か経った頃のことでした。
森を歩いていた少女は狼の群れに襲われました。
絶体絶命の少女を助けたのは、一人の王様でした。
少女は王様を皆の話の中でしか知りませんでした。
『完璧な王様』なのだと話されているのを、何度か耳にしたことがあります。
だからといって、少女が畏まることはありません。少女はあまりそういうことを気にしない質でした。
しかし、少女も王様の国に住む人間だったので、良い国を創ってくれている王様には感謝していました。
なにより自分の命を救ってくれた恩人です。
少女は礼を言ってから、恩人である王様にこんなことを聞きました。
「お礼をさせてください。何かほしいものはありませんか?」
「遠慮する。私にほしいものはない」
その即答に少女は瞬きを数回繰り返して、王様を見つめました。
「…なんだ」
「王様、それはほしいものがないというのではありません。ほしいものが分からないというのです」
そうです。この王様はこともあろうに自分のほしいものが分からないというのです。
王にただの少女がお礼などできるはずがないと嘲るわけでもなく。
それほど大したことはしていないと謙遜するわけでもなく。
本気で自分のほしいものが分かっていないのです。
王様は少女の言葉を平然と受け止めて、どうでもいいと言わんばかりに言いました。
「それがどうした。私はそれで満足している」
これには少女の方が思いっきり眉根を寄せて、口をへの字に曲げました。
そんな顔をしながら、この目の前に立つ無表情で朴念仁で唐変木で鈍感な王様をどうしてやろうかと頭の中で考えます。
王様は命の恩人です。少女にとって自分の命とは、とてもとても重く大切なものでした。
だからこそきちんと恩返しをしなければならないのです。
なにより、自分にほしいものなどないと言い切る、その無表情が気に入りませんでした。
妙なところで義理堅く、ほんの少し向かっ腹を立てた少女は数秒頭を悩ませた後、解決策を見つけて、一人で頷きながら言いました。
「分かりました。王様のほしいものを私が探して、見つけたものを差し上げましょう」
「いらない」
「そうと決まれば話は簡単。さあ、お城に帰りましょうか。早くしないと日が暮れます」
「話を聞け」
「夕ご飯はなんでしょうね?あ、お相伴させてください」
「…………………ハア」
さっさと歩き出した少女の後ろで、完璧な王様は無表情のまま、ため息をつきました。
城にやってきた少女は蜜蜂のように忙しなく動きました。
「王様、出来ました!」
仕事を手伝ったり、
「すいません…、お茶をこぼして…」
失敗したり、
「これが城下町で流行っているパンですよ!一緒に食べましょう!」
何かを持ってきたり、
「お忍びで行きますから、その無駄に美形な顔を隠しましょうか」
王様を街に連れ出したり、
少女は様々なことを王様と一緒にして、王様と共に暮らしました。
「これを明日までにやっておけ」
山のように積まれた仕事を必死に片付けて、その成果を王様に見せにいきました。
「どこ見て歩いてるの!お茶がこぼれちゃったじゃない!」
わざとぶつかられ、そのお茶で汚れた書類を持って、王様に謝りにいきました。
「ほら、これを今日の夜までに買って来な」
重い買い出しを一人でさせられ、途中のパン屋で美味しいパンを買って、王様と食べました。
「お前のような者が気安く接するな。王は完璧でなければならない。さっさと出て行け」
大きな男に厳しく詰られながら、王様の変装用の衣裳を隠しました。
王様は確かに慕われていました。しかし、それは王様から人が遠ざかってしまうような崇拝でもありました。
『王は完璧でなければならない』
それは呪いのようでした。
それは完璧ではない王様を許しませんでした。
それは王様のそばにいる少女を疎ましく感じました。
それでも少女は王様と一緒にいました。
王様は少女と共にいる時だけ、表情が変わるようになりました。
ほんのわずか、呆れたような顔です。
それでも変わるようになったのです。
少女はそれを嬉しく感じながらも、残念に思いました。
なぜなら、少女に時間が残されていなかったからです。
少女は病に倒れました。
生まれた時に言われた時間が来たのです。
昔から覚悟していた少女は、極めてあっさりと自分の終わりを受け止めました。
王様も「そうか」と一言言って、冷静に少女の病を受け入れました。
「死ぬのか」
「死にますね。さすがにこれは無理です」
「そうか」
「王様、何かほしいものはありますか?」
それは少女が王様に初めて投げた問いと同じでした。
違うのは少女が死にかけていることです。
王様は考えています。
少女は初めて会った時とは違うその間を無言で待ち、王様の顔を見つめていました。
少女は自分の死については、もうどうでもよかったのです。
ただ、遺していく人を心配していました。
後もう少しだったのです。
後もう少しで、この人はほしいものが言えるようになるでしょう。
でも、それを少女が聞くことは出来ません。
そのほんの少しの時間すら、少女の身体には残されていません。
「ほしいものはない」
まっすぐな目が少女に向けられていました。
「そうですよねえ」
少女もその答えは分かりきっていました。
本当にそれだけが少女の心残りでした。
悔いのないように生きてきた少女の唯一の未練でした。
だからこそ、次の王様の言葉に少女は驚きました。
「お前に何かほしいものはないのか?」
あまりの驚きに少女は思ったことをそのまま答えました。
「それはありますけど。人間、生きていれば欲がありますし」
「なんだ?出来る限りのことはする」
ああ、と少女は思いました。
この人は分かりかけている。自分が何をほしがっているか。本当に後少しなのだ。
だからこそ、少女がほしいものを知ろうとしている。
これなら大丈夫だ。これなら自分の最期の言葉で、この人は気付ける。
少女は意識して、口の端を吊り上げました。
自分なりに悪そうに見える笑顔を作ります。
どこか焦った雰囲気になった王様を見るのは、少女にとってかなり楽しいことでした。
「では、お願いします。王様、これから先、友達を見つけてください。対等に話せて、喧嘩をして、一緒にお酒を飲めるような友達です」
そんな友と笑い合うあなたを見たかった。
「それから、奥さんも見つけてくださいね。王様と一緒に笑って、王様を愛してくれて、王様も愛せる人と結ばれてください」
唯一の人の笑顔や涙に振り回されるあなたを見たかった。
「それから、自分の子どもです。守って、愛して、育てて、見送る。そんな子を持ってください」
子どもの言動に頭を悩ませるあなたを見たかった。
「そして、最期に笑って、死んでください。自分は幸せだって、そう思いながら死んでください」
そして、なにより。
幸せそうに微笑むあなたを見たかった。
少女はそんな王様を見てみたかったのです。
最後まで言い切って、少女は息を吐きました。
「これが私のほしいものです。いいですか、言ったからにはちゃんとくださいよ。破ったら、化けて出てやりますから」
「おい」
「あ、返答はいりませんから。台無しです」
「待て」
「そんなことは約束できないとか、そういう野暮はいりませんからね。ここは『分かった』の一言でいいんです」
「…………」
「返事は?」
「……………分かった」
半ば脅しのようですが、これでいいと少女は思いました。
なんの心配もいりません。
王様の返事を聞き届けて、少女は静かに目を閉じます。
「それじゃあ、王様。おやすみなさい」
「………ああ」
それが少女の最期の言葉でした。
『あ、王様!長生きしましたね。うん、文句なしです』
『お前か…』
『なんですか、その第一声は!失礼ですよ』
『お前の願いは叶えた。これ以上何が望みだ』
『言ったじゃないですか。しかも、二回』
『?』
『まったく…。じゃあ三回目です。今度は忘れないでくださいね。王様、何かほしいものはありますか?』
『…………』
『え、なんですか。その無言の間は』
『………いや、そうだな。ほしいものならあるぞ』
『本当ですか!それは良かった。で、なんですか?』
『ああ、私がほしいものは…』
『…なしだ』
『はい?』
『だから、ない』
『はい!?』
『なにを驚く』
『驚きますよ!なんですか、それは。さっきの「ある」は一体なんだったんですか!』
『生きている時はあったが、今それがなくなった。それだけのことだ』
『それだけって…。よく分からないです』
『今こうしてお前に会えた。これ以上ほしいものはない』
『…………ええー』
『その不満そうな顔は止めろ』
『いや、いいんですけどね。昔よりずっと表情豊かですし』
『長く生きたからな』
『ついでに可愛げもなくなっちゃいましたね』
『やめろ』
『まあ、いいです。さあ、行きましょうか。次が待っていますよ』
『…そうだな』
どうか、願わくば、次もお前と共に生きたい。
そう小さく言った男に隣の少女は笑い、男より一回り小さな手を差し出した。
遠慮がちに重ねられた手を、力を込めて握り返します。
2人はお互いの手を繋ぎ、笑い合い、次へと進んでいきます。
ほしいものはきっとここにある。