幕間 カリナの気持ち
カリナ・アイゼン ミューエ・アイゼン アイゼン・ハンマー 三人がアイゼンかぶりなのでカリナ・アイビス ミューエ・レオパルドに変更しました。
世間ではバレンタインって事で、少し甘めの話です
時がゆっくりと流れていく春のお昼過ぎ、一台の馬車が路地裏にある食堂の前で停まった。大衆向けの食堂には似つかわしくない高級な馬車である。井戸端会議に夢中になっていた奥様方は、誰がやって来たのだろうとそれぞれが予想を出し始めた。
何しろここの食堂ではナベ料理やトーフと言った変わった料理を出してくれるのだ。それだけでなく値段が安いうえに、使われている野菜や卵が新鮮とあって、今や王都でも評判の店なのである。高名な騎士や貴族の奥様がお忍びで来る事も珍しくない。
しかし、馬車から降りて来たのは意外な人物であった。
「あら?あの子、カリナちゃんじゃない?」
「カリナちゃんに貴族の知り合いなんていたかしら?」
奥様方の好奇の視線が一斉にカリナに注がれる。
(だからアタイは歩いて行くって言ったのに。ジョージの馬鹿っ…)
愚痴をこぼしてはいるが、カリナの頬は僅かに緩んでいた。何しろ馬車の持ち主は彼女の想い人ジョージ・アコーギなのだ。普段は聞き流している奥様方の噂話であるが、自分とジョージの事を噂しているように思えてどこか面映ゆい。
「ただいまー」
更に緩んでくる頬を隠す為に、カリナは飛び込むようにして食堂の中に入って行った。お昼過ぎの為かお客さんは殆んどおらず、食堂の中にもゆったりとした時が流れている。
「あら、カリナちゃんお帰りなさい。旅はどうだった?」
声を掛けて来たのは、獅子人のウエイトレス。カリナと同じオレンジ色の髪をしているが、ウエイトレスの少女の方が若干大人びており雰囲気も柔らかい。獅子人にしては色白な少女で、人目を惹く容姿の持ち主である。皮肉な事にその優れた容姿が、彼女の不幸の一因となっていた。
「お姉ちゃん、アタイが変わるから中に入って」
カリナが慌ててウエイトレスの少女からエプロンを外す。少女の名はスノウ・アイビス、カリナの姉である。カリナと違い、学校に通っていない。
しかし、スノウの成績は決して悪くなかった。彼女はとある事情から実家の手伝いだけをしているのだ。正確には家族以外の人間と会わないようにしている。
「カリナちゃん長旅で疲れているのに、ごめんなさい。それと後から旅のお話を聞かせてね」
滅多に外に出る事がないスノウは、家族から話を聞く事を楽しみにしていた。中でもカリナは中学校に進学してから、物語のような話を聞かせてくれるので特に楽しみしている。そして今回彼女の可愛い妹は王都から遠く離れたイジワール領に行ってきたのだ。だからだろうかスノウはまるで、昔話を聞かせてもらう幼子のように目を輝かせている。
「鍛え方が違うから大丈夫だよ。それに今回は物凄い経験をいっぱいしてきたんだよ」
そしてカリナの話はスノウだけではなく、彼女達の両親をも驚かせた。
何しろカリナはドラゴンに馬車を運んでもらったり、公爵様のお城にゲストとして招かれたりと家族の予想を大きく上回る経験をしてきたのだ。
「本当にイジワール公爵様のお城に泊まらせていただいたのか?」
カリナの父クオーコが、念を押して聞いてきた。イジワール公爵と言えばコーカツ公爵と並んで称される国内有数の権力者である。猿人の貴族であっても、ゲストとして呼ばれる事は滅多にない。ましてや獣人、しかも庶民の娘がゲストとして呼ばれるのは前代未聞の事なのである。
「うん、何でもコーカツ公爵様がお声を掛けて下さったんだって。帰りにお土産も頂いたし…ほら、この髪飾りがそうだよ」
カリナの髪に付けられていたのは、フェニックスが模られた銀色の髪飾り。フェニックスはイジワール家の紋章に使われている魔物で、絶対に獣人の娘が持って良いような物ではない。
イジワール公爵はジョージパーティーのメンバーに何がしからの土産を渡していた。もっとも、一番とんでもない土産をもらったのは、他でもないジョージだったりする。
「カ、カリナ…恐れ多い事を…早く外しなさい」
アイビス家の母デボレアの顔は真っ青になっていた。もし、カリナがこの髪飾りを付けて王都を歩いたら、不敬罪で捕まってもおかしくはない。
アイバン家の人々はとある事情から、貴族という言葉に過敏になっているのだ。
「でも、公爵様が〝これは俺がお前を認めた証だ。何か理不尽な目にあったらこの髪飾りを見せろ〟って」
カリナは自分や家族の知らないところで、重要人物として扱われているのだ。もし、彼女やその家族を理不尽な目に合わせる者がいたら、とんでもない目に合うだろう。ボーブル城の人間だけでなく、コーカツ・イジワールの二大巨頭を敵に回してしまうのだから。
「カリナちゃんってジョージ様のお話をしている時が、一番嬉しそうだよね」
「なっ…お姉ちゃんの馬鹿っ‼お、お休みなさい」
カリナは夕日のように頬を真っ赤に染めたかと思うと、大慌てで寝室へと駆け出して行った。ドアも閉め忘れるくらいの慌て振りである。
スノウは妹の微笑ましい行動を暖かな目で見ていたが、彼女達の両親は哀しげな目で見ていた。
カリナがジョージに恋しているのは、家族全員が分かっている。彼女の話題の中心はいつも彼だし、ジョージが店に来るとカリナの顔は眩しいくらいに輝きだす。
末娘の一途な恋を知っているからこそ両親は哀しいのだ。本来ならジョージはカリナと出会う事がない人物である。種族が違うし、何より身分に天と地ほどの差があった。無論、両親も貴族らしからぬジョージの人となりを知っている。
でも、ジョージは猿人の貴族でカリナは獅子人で大衆食堂の娘だ。ましてジョージにはマリーナ・ライテックというオリゾンどころかレコルト中から羨まれる婚約者がいた。
カリナの容姿も優れているが、親の贔屓目を加えてもマリーナの容姿の方が優れているのが分かる。そしてマリーナの優しい性格もよく知っていた。だからカリナの恋が一途なら一途なだけ、両親は哀しくなるのだ。
◇
寝室に入ったカリナは勢い良くベッドへとダイブした。赤く染まった頬を誤魔化すように、枕に顔を埋める。
(うー、お姉ちゃんの馬鹿‼お父さん達の前で言うなよー)
そして何かを誤魔化すようにマットレスをポカポカと叩く。
カリナはジョージと出会った日の事を今でも良く覚えている。第三小卒の獣人達と一緒に店へ来て、自分の作ったマッシュポテトを美味しそうに食べてくれたのだ。
噂だけなら大分前から聞いていた。守銭奴貴族・嫌味なソバカス野郎・コーカツ公爵の権力を笠に着て威張る卑怯者・獣人しか友達がいない仲間外れ貴族。
そしてジョージとの婚約が決まった友達は、とても悲しんでいた。
出会う前の印象は最悪の一言である。でも、話をしてみると威張るどころか、使い過ぎるくらいに気を使ってくれる人だった。他の男子は自分を男扱いするが、ジョージだけは女の子として接してくれた。仕事の話をしている時は、ドキッとするくらいに大人びた表情をしている。婚約者のマリーナや従者のドンガに見せない弱みを自分だけに見せてくれるのだ。
(やだ…また顔が熱くなってきた。明日、どんな顔してあいつに会ったらいいのー?)
◇
幸いと言うか残念と言うか、次の日ジョージは学校を休んだ。ドンガの話では、旅行中に溜まった仕事を片付けるのと、イジワール公爵のお土産への対策を練るらしい。
昼休み、意外な人物がカリナを訪ねて来た。
「カリナちゃん、ちょっと良いかな?」
「マリーナ?大丈夫だよ」
教室がざわめく。カリナを訪ねてきたのは、勇者の子孫マリーナ・ライテックであった。同じ学校に通っているが、マリーナが十組に顔を出す事は滅多にない。何故なら彼女は婚約者のジョージ・アコーギを嫌っているのだ。頭では仲良くしなくてはと思っていても、ジョージの顔を見ると言い知れぬ嫌悪感が湧いてくるのだという。
「突然ごめんね。ちょっと心配になったから。カリナちゃん、イグニス荒野に行って来たんでしょ。火傷とかしなかった?」
マリーナはカリナの事が心配で、わざわざ離れた場所にある十組まで来てくれたらしい。カリナはマリーナの変わらない優しさにちょっとだけ安心した。マリーナはジョージが絡まないと、昔と同じ心優しい少女なのである。小学校の時に獣人と言うだけで苛められたカリナを庇ってくれたのは他ならぬマリーナであった。
「大丈夫だって。火傷どころか攻撃すらくらわなかったよ。お陰で更に強くなれたんだし」
「カリナちゃん強いから、余計な心配だったよね。でも、どんな扱いをされたか心配で…」
マリーナの心配はもっともと言える。貴族の子弟の旅に付き添った獣人は大抵奴隷のような扱いを受けるのだ。ただ、今回に関して言えば強力過ぎるお目付け役がいたので、まかり間違ってもそんな事はないのだが…でも、カリナは旅での扱いに、ちょっとだけ不満があった。
「子供扱いかな…ジョージ様は、攻略を終えても仕事三昧だったし」
ジョージに言わせれば子供扱いするのは当たり前なのだが、事情を知らないカリナにしてみれば不満でしかない。
「そういえば向こうにいた時はどこに泊まったの?まさか、馬車の中とかじゃないよね?」
今回の旅で使ったゴーレム馬車は、それなりに広く寝泊まりも可能な物である。実際、持ち主のジョージは何回か車中泊をしている。
「まさか?イジワール公爵のお城だよ」
カリナの言葉を聞いた途端、マリーナの表情が曇った。イジワール公爵家はライテック家にとって不倶戴天の敵である。
「そう…ジョージ様もイジワール公爵のお城に泊まったのね」
マリーナはそう言うと、そのまま踵を返して戻って行った。その顔は怒りと羨望そして嫉妬が混じり合った複雑な物であったと言う。
◇
その日の放課後、カリナが家の手伝いをしているとジョージが店にやって来た。
「ちょっと、あんた顔が青いよ‼どうしたのさ?」
カリナが驚くのも無理はない。前日まで元気だったジョージが疲れきっていたのだ。
「リーズン様の処遇を考えて一睡もしてないんだよ。プリムラ様もボーブルに顔を出すって言うし」
プリムラ・オリゾンはリーズンの婚約者であり、王族の一員である。もしボーブル滞在中にもしもの事があったら、廃領は確実だ。当然、警備は厳重にしなければいけなくなり、人件費がかさんでしまう。プリムラは気軽に来るかも知れないが、来られるジョージにとってはプレッシャーでしかない。
「これでアタイの気持ちが少しは分かったろ。人の家をお偉いさんとの会合に使うから罰が当たるんだよ。コーカツ公爵様が来た時は一家全員心労でダウンしたんだからな」
これはジョージにとっては理不尽な話で、ローレンが勝手にカリナを品定めにきただけなのだ。
「取りあえずなんか食わせて」
「はい、はい。マッシュポテト大盛りね」
ジョージは疲れた体と気持ちを癒しに自分の所に来てくれたのだ。カリナは、それが嬉しくまた誇らしかった。




