退院間近の贈り物
二巻発売記念の一週間毎日更新の始まりです
幸いな事にアミの虫垂炎は投薬だけで治す事が出来るらしい。アミは年頃の女の子だ。手術痕が残らないのは、ありがたい。お貴族様は見た目や家柄でしか結婚相手を決めない奴が多い。顔に小さな傷が残っただけで、婚約破棄した奴もいるそうだ。もし、手術痕を理由にアミが婚約破棄されたら、お兄様はフライングシップから火炎瓶を投下していただろう。
入院期間も谷の言う通り、きっちり一週間で退院出来るらしい。無事に治ったから思うんだけれども、この数日で兄妹の仲はさらに深まったと断言出来る。
朝、みんなを希望の場所まで送ってすぐさま病院へ、面会時間が兄弟の仲を裂くまで病室にいたのだ。お陰様で久し振りにのんびり出来た。
「アミ、谷崎先生に確認したらもう少しで退院出来るそうだぞ。良く頑張ったな」
お兄様のひいき目をなしにしても、アミは良く頑張ったと思う。話にも聞いた事がない異世界で入院したにも関わらず、何もわがままを言わなかったのだ。
「おに……ジョージおじ様とタニザキ先生って仲が良いんですね。先生からこちらでのおじ様のお話をたくさん聞かせて頂きました」
アミはそう言うとクスリと笑った。花のように美しい笑顔である。見ているだけで人の心を和ませてくれるそんな笑顔だ。しかし、俺の心は物凄い不安にかられていた……例えるなら嵐にあった小舟のような感じだ。不安と言う嵐のせいで、小舟並みの耐久力しかないお兄様のハートは沈没寸前です。
(谷の野郎、アミに何をちくったんだ⁉酔っぱらって、道で寝た事か?古くなった飯を食って、腹を壊した事か?まさか、振られて泣いた事じゃないだろうな⁉)
学生時代の俺は恥ずかしエピソード満載だ。下手をしたらお兄様の威厳が木っ端みじんに砕け散ってしまう。でもここで、根掘り葉掘り聞いてしまったら自滅するパターンだ。自然に話題転換するのが吉だと思う。
「そ、そうか。アミが退院したら行きたい場所や食べたいは物ないか?どんなわがままでも叶えてやるぞ」
日本の服を着たアミとデート。絶対に街中の視線を二人占めだろう。何しろアミはお兄様お墨付きの美少女だ。その場でファンクラブが出来るかもしれない。
「なんでも良いんですんか?……それでしたらお兄様の生まれた町を見たいです」
感動のあまりお兄様はノックアウトされてしまいました。ブランドの服が欲しいとか、遊園地に行きたいとかじゃなく俺の故郷を見たいなんて……思わず目頭が火傷する程、熱くなってしまった。
「アコーギさん、具合はどうですか?……言っておくけど、涙を堪えて顔を強張らせている不審者の方じゃねえぞ」
俺が感動に浸っていると、谷と看護師が病室に入って来た。兄妹の美しい交流を邪魔するとは、無粋な医者め。
「皆さまのお陰で痛みが何もなくなりました。本当にありがとうございます」
アミはそう言うと、谷と看護師に頭を下げる。アミは伯爵家の令嬢だ。普通の伯爵家令嬢なら、人づてで褒めて使わすと言ってお仕舞だと思う。それをきちんと頭を下げてお礼を言えるなんて、まさにお兄様の自慢の妹だ。お兄様の目頭は、さらにヒートアップ。
「頑張ったのはアコーギさんですよ。私は患者様が良くなろうとする力に手を貸しただけですから……すいませんが、退院後の話をしたいので、そこでどや顔をしているおっさんを借りて良いですか?」
谷に急かされて廊下に出ると、人がバタバタと走りまくっていた。窓から外を見下ろすと、何十台ものマスコミの車が見える。
「随分と大変そうだな。まっ、現役の医師がヤクザに薬を横流ししていたなんて、スキャンダルも良いとこだしな」
あの後、晴香は弁護士に連れられて警察に出頭したそうだ。もちろん、件の彼氏も納得しての出頭だったらしい。そこから病院は蜂の巣をつついたような大騒ぎである。マスコミは無責任に面白おかしく書き立てて、晴香も晒し者状態だ。
「経営陣は大慌てだよ。医院長派の医者の中には、辞職勧告を受けた人もいるんだぜ」
医院長派を一掃して、病院のイメージを回復したいんだと思う。
谷は医院長に可愛がられていたし、今回の騒動を事前に知っていた。嫌でも辞職勧告のリストに入れられる確率が高いだろう。
「お前は北海道に帰るのか?」
確か谷の妹さんは北海道の大きな病院の跡取り息子のところに嫁いでいたはず。今回の事件に谷は関与していないから、受け入れてくれると思う。 これだけ大騒ぎになると、医院長派は転職もままならないだろうし。
「アミちゃんの退院後の事も含めて、お前に相談があるんだよ。まず、入れ」
谷に促されて診察室に入る……アミちゃんか、どこまで聞いているんだ?
「……アミから何を聞いたんだ?」
谷に促されて、背もたれのない丸椅子に腰掛ける。俺はどう思われても良い。アミが異世界から来ましたなんて言う痛い子だなんて思われるのは耐えられない。
「お前が違う世界のお兄様だって言ってたよ。そして私の所為で、この世界に帰れなくなったって泣いていた」
俺が決めた事なのに、まだ気にしていたんだ。俺はこれまでの事を谷に話した。自分が制作に携わったゲームキミテと似た世界に転生した事。転生したのはキミテの嫌われ者ジョージだという事、父親と不仲で独立をしてボーブルで領主をしている事、そしてこれから魔王ゴライアスが出現し魔族と戦争になる事。
「俺がこっちに居られるのは、後十日くらいなんだよ。向こうに行ったらもう戻って来れないらしい。取り敢えずアミが落ち着き次第、弘前に帰る予定だ 。こっちに滞在できる期間は限られているから、これで故郷も見納めさ……アミからどこまで聞いたか分らねえが、町から一歩でも表に出れば魔物がうろついていて、人の命が紙切れくらいの価値しかない世界だ。日本から逃げたいなんて根性で来ても引き籠りになるのが関の山だぜ」
谷に付いて来て欲しいが、それ以上に後悔はして欲しくない。一生食いっぱぐれさせない自信があるなら格好いいんだけども、魔王が出現すれば自分の食い扶持すら危うくなる可能性がある。甘言で誘うのは無責任過ぎるだろう。
「まさか文化部出身の奴に根性を問われるとはな……人の命が粗末に扱われている世界こそ、医者の腕が試せるじゃねえか。俺が救える命があるんなら、どこでも行くぜ」
試しに谷をスキャンしてみたら、転移が可能だった。一旦、谷の転移をキャンセルして話を進めていく。
なんでも義弟とその両親は、谷を受けいれてくれると言っているそうだが、他の職員が猛反対しているらしい。母親も義弟の世話になっている手前、妹夫婦には迷惑を掛けたくないとの事。
「転移が可能みたいだ……マジで行くんなら、向こうに持っていける医療器具を準備してもらえるか?それと必要な設備や道具も知りたい。贅沢を言えば、その道具の作り方が分かると助かる。それとペニシリンや抗生物質は手に入るか?」
俺が質問を投げ掛けた瞬間、谷が盛大に溜め息を漏らした。
「ペニシリンも抗生物質だよ。それに向こうの世界の人間に合う保証が無いんだぞ。治験が済んでいない薬を持っていくより、避妊具を持って行った方がよっぽど梅毒の予防になるぜ。医療器具も薬も揃って無いんなら、過度の期待はしない方が良いぞ」
漫画知識が足を引っ張るとは……今なら、前から気になっていた事を確かめる事が出来るはず。
「谷、DNAの検査って何日くらい掛かるんだ?」
「調べる情報量にもよるけど、簡単な物なら二、三日で出来るぞ。誰か孕ましたのか?それとも、アミちゃんと血が繋がっているか心配になったのか?」
俺とアミは太い絆で結ばれているから問題ないっての。それと向こうではお貴族様だが、まだ童貞なんだぞ。
「今回付いて来てもらった人達の中に獣人がいるんだよ。種族が違っても子供を作れるみたいなんだけど、遺伝子的にどうなのかなって思ってよ。人と99%同じ遺伝子を持っているチンパンジーが相手でも子供を作る事は不可能って聞いたぞ」
良く考えてみれば、狼人や獅子人が猿人と同じ顔をしているのは不思議だ。毛のないライオンや狼みたいな顔に進化する方が自然だと思う。猿人の血が混じって今の姿になったとしても、先祖帰りとかで思いっきり犬顔の狼人がいなきゃおかしい。念の為、持ってきたマナプラントの蜂蜜漬けも調べてもらおうと思う。
「あー、あれは正確な数値じゃないんだよ。省いた遺伝子が多いんだぜ。あの理屈でいくと人間とバナナの遺伝子は50%同じになる。でも、俺も向こうに行くから、遺伝子を調べておく必要があるな。 明日、アミちゃんの見舞いに連れて来てくれたら 血液とかを採取して調べてみる。お前は検査の説明をして、許可を取っておいてくれ」
話を聞いてみたら、谷の大学時代の同級生に遺伝子の研究をしている人がいるらしい。医者なら誰でも遺伝子検査が出来るものだと思っていた。
「それは助かるよ。向こうに持っていく物が決まったら、連絡してくれ」
「分かった。それと軒音からこれを預かっている」
谷が手渡してきたのは分厚い封筒。封筒を開けてみると大量の万札と手紙が入っていた。手紙の内容はみんなに迷惑を掛けてしまった事のお詫びと、目を覚ましてくれた事のお礼が書かれていた。
「着手金はお返ししますってか。これから金は、いくらあっても足りないだろうに」
ちなみに手紙はきちんと睡眠と栄養を取るようにとお小言で締められていた……でも、言い訳や許してほしいの文字はどこにも書かれていなかった。
ゲーム制作でデスマーチをしていた時は 、もっと体を大切にしなさいってよく晴香に叱られたんだよな。今もバゲットサンド片手にデスマーチをしている。転生しても、人の本質は変わらないと……異世界に転生すれば、コミュ障でもモテモテだって山さんが言っていたのは嘘だったんだろうか?まあ、あの手の物語はイケメンに転生しているが、俺の場合は見た目もそのまんまだし。前世でもてた経験がないからもてる道理もない。奇跡的にもててもハーレムを作る気はない。一人身の今でさえ時間が足りずにデスマーチをしているのに、複数の女性に時間を割いたりしたら……恐ろしくて考えたくもない。
「女を盗った上に弁護代まで恵んでもらったら立つ瀬がないんだろ?」
俺としては、十数年も前の失恋話なのでもう気にしてないんだけど。封筒を触ってみたら、まだ何かが入っている事に気付いた。
「これは何だ?鍵か……メモも入ってるな」
メモを見てみると、この鍵は地下鉄のコインロッカーの物らしい。元カノが託した地下鉄のコインロッカーの鍵、サスペンスドラマみたいな展開です。雰囲気を盛り上げる為、脳内に火サスの音楽を流しておこう。




