嘘吐き童話『花嫁少女』
サイトからのを手直しして投稿
雰囲気を味わって頂ければ
幸せにしてね、とは彼女は言わなかった。
「忘れないで、」とだけ小さな声で願うものだから僕は戸惑った。巨大で荘厳でグロテスクな教会の祭壇、その中央の聖母は無表情に微笑んでいる。美しいマリアと傍らの彼女を視線だけで見比べる。白いベールの向こうから答えを待つ花嫁に僕は頷いて見せた。
その時、初めて笑った貴女。
その容貌の醜かったこと。
アレの姿はそう忘れられるモノではありませんよ。神父を務めた男が式の終わりに嘲笑って僕に囁いた。
おめでとう、少しの辛抱さ。代わる代わる弟達が僕の肩を叩いていく。
入れ替わり立ち替わり祝福と哀れみと励ましの台詞を吐く親族達。
僕は真っ白い椅子に腰掛けて妻を待った。
暖かな春の日差しが降る庭。白いリボンが至る所に散りばめられた草木。芝生に落ちた無数の薔薇の花弁。
目眩がして目を閉じた。瞼の裏の暗闇さえ明るかった。その中で浮かんだのはあの祭壇のマリア像。無表情に微笑んだ聖母だけは決して祝福の言葉を吐かなかった。
賑やかな宴は続く。花と緑と菓子と酒の匂いが混ざり合う。
引き留める手手をやんわり外して僕は喧騒を後にした。
君と僕が過ごしたのは神様のまばたきにも満たないような短い時間で。
貴女はやはり一度も愛して、とは言わなかった。
もしも、もしも
君が願うなら、
飛車がれたその声も枯れ枝のような体もおぞましいその顔も愛してあげたのに。
最後まで貴女の願いは
「忘れないで」
嗄れた声で囁いて事切れた僕の妻。
あの巨大で荘厳でグロテスクな教会の祭壇。中央の聖母は変わらず無表情な微笑みを浮かべ足元の棺に横たわる彼女を見下ろしている。
白い薔薇に埋もれて眠るその容貌は寒気がするほどに醜く恐ろしかった。葬儀に参列した誰もが目をそらしながら花を供えた。そしていつまでも彼女の死に顔を見下ろす僕に奇異の眼差しを向けた。
真新しい墓の下。埋められた小さな棺。誰もが遺された莫大な資産をどう分けるか算段しながらひとり、ひとりと帰って行く。
「君の姿はそう忘れられるものじゃないよ」
小さな声を拾う者はいない。僕の顔もきっと誰も見ていない。だからきっと泣いたって気付かれないだろう。
けれど僕は静かに微笑うことにした。あの日頷いた僕に嬉しそうに笑った貴女を思い浮かべて。
ある成り上がり者の青年は位欲しさに落ちぶれた貴族の娘を妻に迎えた。おぞましい娘の容貌に青年の一族はみな哀れみながらも彼からのおこぼれを嬉々として拾う。けれど娘は数年で病に倒れ事切れた。もともと長くは生きられない体だった。誰もが上手い話だ、と笑う。
青年は程なくして可憐な少女を側に置き三人の子を成した。一族は繁栄し青年は年を取りやがて死んだ。
だが、知っているか。男は決して共に苦楽を歩んだ少女を花嫁として迎えることはしなかった。妻として側にあることを許しはしなかった。
何故ならば、何故ならば
男にとって、花嫁とは、妻とは
少女のまま、女にも、母にもならず
マリア像のもと傍らで笑った彼女ただひとり
「フランチェスカ」
死の間際呟かれた
忘れない
ただひとりの僕の花嫁