8 エスケープ・フロム・JK!
女子高生に追いかけられるシチュエーションは全国男子諸君の夢にはちがいないが、凶器ふりかざして追いかけられるのはちょっぴりニュアンスちがうよね。
オレ、他校の女子にうらみ買うようなことしたっけ?
校門をでて全力ダッシュで逃げてきたが、どうもふり切れる様子はない。
どこに隠れてもルカ女の制服が目につく。ご町内にあんなお嬢様学校に通う金持ちがそういるとは思えない。とすれば、自分を狩りだすためだけにこれだけの人数が出張してきてるってことになる。
考えるだにおそろしい。
世界は敵だらけじゃないか。
ごみバケツのふたをそろりと持ちあげて様子をうかがう。
「みつかった?」
「いないわ」
「ほんとゴキブリみたいなやつね!」
さんざんなことを言われているが今出ていくわけにはいかない。
プルルル……
「はい。こちらかぐや親衛隊はな組……それらしいの見つけた?」
「場所転送して! GPSで追うから!」
…………。
「河川敷だって!」
「ちょこまかとほんとうざい奴!」
遠ざかっていく女子高生の足音。
しばらく息をひそめる。
……引きかえしてくることはなさそうだ。
慎重にゴミバケツからぬけだすと、前途多難な帰り道にほそい息がもれる。
「あなオソロシヤ文明の利器」
携帯電話という最新技術は兵器である。索敵なんかお手のもの、どこにいたって連絡がつくし、指名手配の顔写真なんてばらまかれた日にはとても陽の下なんか歩けない。
なんでそんな凶悪なものをみんなホイホイ持ってるんだ。
路地から顔をつきだし、おっかなびっくり辺りをうかがう。
「今日は厄日だ。大凶な日にちがいない」
肩を落として歩きだす。
それでも行き先はからすま神社である。無意識なうちに、あえかのもとへかよう習性が生まれてしまっている。
バッグのなかに胴着はあるが、自転車がないので徒歩でいくしかなかった。
「ん? あれって――」
手のひらを水平にかざし、50Mほど前を歩く人影に目をかがやかせた。
「いっちゃん!」
天の助け!
おそらく目的はおなじだろう。ポケットに手をつっこんで、からすま神社の方角へ歩いている。
大沢木はあまり学校では話しかけてこない。不良というレッテルのある自分が親しくすれば、日和までクラスから浮いてしまうと考えているフシがあった。
考えすぎなんだよな、とおもう。
日和にとっては、彼も御堂や志村と変わらない大事な友達だ。
たまたまあったその友達にボディーガードしてもらう。
うむ。きわめて偶然。
自然ななりゆきってヤツだ。
急いで追いかける。
どん!
「きゃっ!」
「わっ」
誰かとぶつかる。
もつれあうように地面に転がった。
フニュ、と柔らかい感触。
変幻自在なフィット感。
服のうえからでも感じるこの弾力。
人肌のぬくもりがなんとも心地よいにゃぁ――
「いやぁ!!」
ばちぃぃぃん!!
強烈な手のひらフックが左から右に通り過ぎていった。
もんどりうって地面に転がる。
「ぐふ」
これはうめき声。
痛むほほをおさえて身を起こすと、おびえた目の少女がいた。
分厚いハードカバーの本を抱えている。
それでも隠しきれない胸のふくらみに思わず目が吸いこまれる。
「やぁねぇ。こんなまっ昼間から痴漢よ」
「近頃の学生の倫理観ってどうなってるのかしら」
「ゲームのしすぎであたまが悪くなったのよ。うちの子も気をつけないと」
しかたないじゃんか!
だって男の子なんだもん!
胸中の言い訳は、主婦たちの冷たい視線の前にかすんで消える。
このままでは通報されかねないので、立ち上がってなんとかフォローをこころみる。
「いまのその、不可抗力なんです!! 君のおおきな胸が思わず誘惑するから! ちがう! 男なら誰だって誘惑されるから! ちがう! えーと、思わず顔をうずめて死んでしまいたいとか思ってしまってチクショウ!」
地面に手をつく日和。
「すいませんでしたーー!!」
必殺の土下座だった。
「あ、あの、もういいですから」
ずっとあたまを下げた態勢でいると、おずおずと声をかけられた。
「不可抗力――ですよね? わたしなんかに――その、わたし、気にしませんから」
顔をあげる日和。
「本当ですか!?」
その眼がとらえたのは、赤いリボンのセーラー服につつまれたボリューム満点のふくらみ。
志村いわく、男を獣に変えるといわれる伝説の幻獣。
あさはかな己の既成概念をあざ笑い、あまつさえその甘い誘惑に理性の壁を壊そうとする。
なんという圧倒的な存在感。
そこにあるだけでそれだけしか目に入らなくなる。
「あの……」
…………。
巨乳が遠ざかり、怯えた視線が向けられる。
しまった。
オレとしたことが冷静さを失い、フォローのチャンスを失うとは!!
巨乳おそるべし!
こうなれば選択肢はひとつ――ッ!!
くるりと180度回転して逃げだそうとすると、壁があった。
女子高生の一団がズラリと横にならび、手に手にラケットやバットをもって逃げ道を塞いでいる。
「よくやりましたわ、のねずみさん」
その中から、ひときわ物騒な武器をもった女傑が進みでてくる。
「あ…」と小さな声をだして、身をすくませる少女。
「の、野墨、です……」
蚊のなくような声は、しかし日和の向こう側に届かなかったようだ。
「観念なさい。ゴキブリ男」
キョロキョロまわりを見渡し、目があった人に声をかける。
「呼ばれていますよ?」
「アナタのことでしてよ!」
ですよねー。
「よくも手間取らせてくれましたわ。観念して刃の露とおなりなさい」
凶器を見せびらかすように振りあげるなぎなた女。
「まてっ、話せばわかる!」
「問答無用!!」
ぶぉん! と大振りな一撃は、日和をかすめて真横を切り裂いた。
「ひぃ!」
滑るように刃が移動し、首筋のあたりにピタリと当てられる。
「おばけ高校の男子がかぐや様にとり憑くなんて穢らわしい。即刻許嫁などというご冗談、取り消していただけませんこと?」
おばけ高校というのは日和の通う月代高校のことだ。オカルトスポットで有名な弓杜町ただ一つの高校で、近くの学校からはそんなあだ名がつけられている。
「いいいイイナズケですか?」
「そう。あなたはかぐや様にはふさわしくありませんの。あの方にはもっと高尚で、もっと学識豊かな美男子でなければ認めませんことよ」
「そーよそ-よ!」という、思春期のガラスのハートを粉々にする容赦のない黄色い声。
「ひょっとして、香月さんのことでしょうか?」
「まぁ、なんて馴れ馴れしい! お名前で呼ぶなどッ」
こわいよぅママン。
目の前の女の人が鬼のように毛を逆立ててボクを睨むよぅ。
「分際をわきまえぬ下郎の所業。よもや生きる価値なし!」
すさまじい気迫に呑まれ、ヘビに睨まれたカエル同然に固まる日和。
オレの人生は女子高生の手によって幕を閉じるのか。
香月ちゃんにもあえか様にもまだなにもしてないのに!
せめて、せめて、チューくらい……
「その辺にしておけよ」
いっちゃんの声が聞こえる……
これが走馬燈……
せめて最後くらい、師匠との甘酸っぱい思い出に浸りたかった――
「なんですのあなた? 邪魔しないでくださる?」
「いい加減日和も反省してンだろ」
グィと肩がひかれる。
そろりと瞼をあけると、まっ赤なシャツのデザインに負けず劣らず獰猛な笑みが向けられていた。
「いっちゃん!」
「コイツはオレのダチさ。そのくらいで勘弁してやっちゃくれねえか?」
割りこんできた大沢木一郎は、なぎなたの柄をつかんで押し返した。
「ま」
たたらを踏んで、キッと険しい目をつりあげるなぎなた女。
「邪魔する気ですのね」
「ビバ命の恩人! ヘルプ・ミー・いっちゃん」
背中に隠れる日和に苦笑する。
「おまえに非があるとおもって黙ってみてたんだがな」
「居たの!? もっとはやく助けてよ!」
「どこのどなたが存じませんけれど、極悪人の片棒を担ぐつもりならお覚悟あそばせ」
なぎなたの先をピタリと大沢木にむける。
「なんだよひーちゃん。まだ他にも悪いことしたのかよ」
気楽な調子でたずねる親友にぶるぶると首を横にふる。
「ぬれぎぬだよ! オレなにも悪いことしてない!」
「だ、そうだ」
かるく笑い声をあげると、するどい目で女子高生の一団を睨めつける。
「相手なら俺がしてやる」
見るからに不良な少年の登場に、お嬢様の女子高生たちは不安げな顔を見合わせた。
「ご自分の状況がお見えでなくて?」
ただ一人、なぎなた少女の高圧的な態度は変わらない。
「このなぎなたは三国兼定。本物でしてよ?」
無造作に足を踏みだす大沢木。
蒼白になり、あわてて後ろにさがる少女。
「あ、危ないじゃありませんの!」
「刃物つかうならよ。もうちょい思いきりよくいけよ」
わずかに切り裂かれた頬に指を走らせ、ペロリと舌でなめとる。
「なっ」
少女の顔が赤く染まる。
「慣れてねぇヤツは腰が引ける。ケンカで刃モノちかつかせるやつぁ、脅しだけのハンパ野郎がたいがいだからな」
「――馬鹿にされましたわねっ」
少女はグッ。と柄をにぎりしめると、裂帛の気合いとともに突きだした。
日和を蹴り飛ばし、なぎなたの刃から身をそらす。
「凰流薙刀術宗家の名をけがす不埒もの! 成敗いたす!」
「へっへ」
たて続けにくりだされる突きを避け、払い、みごとな体さばきでうけ流す。
口元には笑みすらうかぶ。
それを見てとり、さらにあたまに血をのぼらせる少女。
「このっ! このっ!」
往来でくり広げられる攻防に、次第にギャラリーが集まってくる。
日和もそのなかにいそいそと混じると、無責任に声援をおくる。
「さすがだぜいっちゃん!」
おいおい誰のせいだよ。
現金な声に油断が生まれた。
「――ひゃぁ!」
何かにつまずき、体勢が崩れた。
女がうずくまっていた。
怯えた目と合う。
「愚か者っ」
爛とかがやいた少女の瞳が、好機とばかりに隙をねらう。
避けることもできた。
だが――
ギンッ! と硬質のものに弾かれ、なぎなたを取りおとす少女。
ぺたんと尻餅をつく。
予想もしていなかった反撃。
まるで鋼にでもうちこんだかのような衝撃に手がしびれ、力が入らない。
同じ目線の位置に、いつもバカにしているクラスメイトの野墨灯里が、怯えた小動物のように身をすくめていた。
なにが起きたというの!
「ったく、あぶねぇ」
誰にも見られないよう片手を隠した大沢木は、すばやく目を走らせた。
見られちゃいねえだろうな。
するどく長くのびた爪が、するすると元へともどっていく。
まっ先に避難している日和もどうかとは思うが、ほかの誰かがいるとはおもわなかった。
どうしてこう、女ってのはドンクセェんだか。
こういう裏ワザは趣味じゃない。ケンカで使うにはすぎた能力だ。
だが、マァ――
アスファルトの路面にへたりこむなぎなた女に向け、笑顔で声をかける。
「意外とやるじゃねえか」
「――――ッ」
顔をまっ赤にし、すっくと立ちあがるなりクルリと後ろをむく。
「今日のところは失礼しますわっ!!」
ルカ女の女子たちがほっとした様子で安堵の息をつく。
「いきますわよ皆さん!」
ぞろぞろとつれだって去っていく女子高生の集団。緊張から開放されたせいか、口々に他愛もない話をはじめた。
「ふっ。やつらあきらめたようだな」
いつのまにか隣で腕をくみ、日和が勝ち誇った笑みをうかべていた。
「これが実力の差ってやつだ」
「……まっ、いいけどよ。次からは助けねーかんな」
「おおう、マブダチ! このヒーロー! 伊達にあの世はみてねーぜ!」
「みてねーよ」
笑いあいながら、二人はからすま神社へと歩いていく。
そのうしろ姿を見送る少女のことなど、気にもかけてはいなかった。